君は俺のものだ

「小御門さん……?」


小御門が、ダッフルコートに両手を突っ込んで、千歳を見下ろしていた。


二木以外の誰が現れても意外だったのだが、ことさら意外な人物の登場に千歳は目を丸くする。


小御門は千歳の背中に回り込んで、両手の拘束バンドを外してくれた。そして呆然とする千歳に業を煮やしたのか、足の拘束バンドも彼女が外してくれた。


「行くよ。鬼塚さんが時間を稼いでくれているけど、たぶん長くはもたない」


鬼塚もいることに千歳は驚いたが、わざわざ経緯を説明させるわけにもいかない。今はいち早く逃げるべきだ。


千歳は小御門に手を引かれ、部屋の外に連れていかれる。


あたりを警戒しながら廊下を歩いていると、突然腕を強く小御門に引かれた。


二人は、階段室で息をひそめる。


「鬼塚。今日のお前は尋常ではない。いったい何を企んでいる?」


二木の怒気を含んだ声に続いて、ドアの開け放たれる音が廊下を貫く。


「早乙女! ちくしょう、どこへ行った!?」


一層強い怒鳴り声が、廃ビル全体をびりびりと震わせる。


「バレた」

小御門は舌打ちする。

「ひとまず上へ」


手を引かれ、千歳は階段を上がる。


背後から二木の足音が追ってくる。


千歳と小御門は、手狭な屋上に出た。フェンスも何もない、ひやりとする屋上だ。中央まで進んで、待ち構えるようにペントハウスに体を向けた。


はぁはぁと、二人ぶんの白い息が宙に舞って、冷たい夜風に吹かれて消える。


「早乙女くん、ごめん。ちゃんと助け出すつもりだったのに」


「助けてもらったよ。ありがとう」

千歳は柔らかい笑みを浮かべた。

「でも、どうしてここが?」


「会長が早乙女くんと今日二人で会うって知って、朝から会長を見張ってたの。会長の早乙女くんへの執着は常軌を逸している。もし早乙女くんの身に何かあったら、それは私の責任でもある」


「小御門さんの責任……? どうして……」


言い終わるより先に、ペントハウスのドアが開け放たれ、憤怒と安堵の中間の笑みを浮かべた二木がのっそりと屋上に出てきた。


「小御門。お前、俺を裏切るのか?」


「裏切るもなにも、初めからあなたの行動には疑問しか感じていません」


「はっ!」

二木は侮蔑に満ちた息を吐く。

「俺が知らないと思っているのか? この俺を利用して、早乙女をハメたくせに、いったいどの口が言う?」


え?


千歳は、隣の小御門に顔を向ける。


小御門はぐっと歯を食いしばるような表情を浮かべ、だけど千歳のことは見ようとしない。


「早乙女。たしかに君のハレンチな写真をバラまいたのは、この俺だ。君を孤立させ、俺が君を独占するプランだった」

想像どおりなので、千歳はちっとも驚かなかった。

「でもな、このプランを俺に提案したのは、小御門なんだよ」


「え……?」


千歳はまた、小御門に顔を向ける。


今度は、小御門も千歳を見た。


「ごめんなさい」


「じゃあ、本当に……?」


「ええ。私が仕組んだこと」


小御門は目を伏せる。月明かりが、彼女の表情に儚い影を作った。


「私は、早乙女くんと五十嵐くんが空き教室でしていることを知っていた。裏でフチュくんが糸を引いていることも知っていた」


「どうして……?」


「生徒会官房調査室を舐めてもらっては困る

と二木が口を挟んだ。

「生徒の秘密どころか、教師たちの秘密だって把握している。実質、ハガコーは我々が支配していると言っても過言ではないのだ」


以前、フチュと「実際の生徒会には権力なんてないよ」みたいな会話をしたのを思い出す。

しかし、情報を握りうまく使いさえすれば、生徒会だろうと絶大な権力を手にすることができるのだと、千歳は今実感をもって理解した。


「小御門は計画を立てただけだ。しかも、具体的に何かを実行するよう俺に勧めたわけでもない。あくまで、早乙女たちがしていることを耳打ちしただけだ。仄めかすだけで十分だと、その女狐は理解していたのさ。まったく、悪知恵の働く女だ。本当ならぶちのめしてやりたいところだが、生徒会のよしみで見逃してやる。早乙女を置いて、今すぐそこのドアを通って家に帰れ」


二木は、親指で背後のドアを示して言った。


ちょうど、ドアがギィと控えめに開いて、鬼塚が屋上に出てきた。なぜか彼女は制服姿だった。表情には特に何の感情も浮かんでいなかった。ただ、そっと二木の隣に立ち、こっちをまっすぐ見つめてくる。


千歳はすがるように鬼塚を見たが、彼女の無表情は揺るがない。


「帰ります。でも早乙女くんも一緒です」


小御門は毅然と言った。


「早乙女、君はどうだ?」

二木が冷笑を差し向けてくる。

「君をハメた性悪女にマッチポンプ的に助けてもらって、それでいいのか? 恥ずかしくはないか?」


「ひとつだけ、聞きたいんだ」

千歳は、二木を無視して、小御門に尋ねた。

「どうして、僕を陥れたかったの?」


「目障りだったから」


あまりにも短く説明されてしまい、千歳は愕然とした。


「目障り、だった……?」


「ええ。あなたが結城くんと仲良くするのが、許せなかった」


「それって……」


「想像のとおりだよ。私は、結城くんのことが好き。ずっと好きだった」


小御門の目から、ひと筋の涙がこぼれ、それを見た千歳は何も言えなくなった。


言う必要もなかった。さらなる説明を求める必要はない。小御門さんは僕と同じなんだと、妙に冷静でフェアな気持ちになった。


「泣かせるね」

二木が嘲笑を混ぜた拍手をくれる。

「早乙女、いいから俺のものになれ。そうなれば、君のスキャンダルはうまく誤魔化してやる。我々にはそれができる。なあ、鬼塚? 官房調査室のメンバーのお前なら分かるだろう?」


「……」


鬼塚は返事をしない。表情ひとつ動かさない。


でもそれには慣れっこのようで、二木は特に気を悪くした様子も見せない。再び千歳を睨みつけ、無言の催促をしてくる。


千歳が答えないでいると、苛立ちを隠さず舌打ちして、「早乙女、こう考えてみてはどうだ?」と二木は言った。「君が俺のものになれば、万事解決する。小御門は結城慎一郎を獲得し、ハッピーエンドだ。君も結城慎一郎の呪縛から救われるはずだ。叶わない恋に胸を焦がすのはもうやめろ」


「ダメ」

そう言ったのは、千歳ではなく、小御門だった。

「やっぱりこんなのは間違っています。結城くんが誰を選ぶのか、早乙女くんが誰を選ぶのか、それは本人らが決めるべきです。他人が介入するべきではありません」


「偉そうな口を」


二木は逆上し、歩み寄って小御門の髪を掴んだ。


「痛……!」


「やめてください!」


千歳は叫んで、二木に飛び掛かった。


二木は咄嗟に小御門を押し退けて両手を自由にし、千歳をうまく受け流して背後を取る。そして後ろから腕を首に回し、締めあげてくる。


「早乙女、やはり君にはお仕置きが必要だ! この俺に求められたらどうすればいいかを、身をもって教えてやる!」


千歳は必死でもがくも、びくともしない。

もうこうなったらと、彼は二木の腕に噛みついた。


「ぐぁ……!」


二木の力が緩んだ隙に、千歳は拘束からするりと抜け出し、尻もちをついて震えている小御門に駆け寄った。


「早く逃げよう!」


しかし、千歳は小御門に手を貸すよりも早く、二木に体を掴まれてしまった。


「早乙女! 君は、俺のものだ!」


「……!」


二木は顔を寄せて、あっという間に、奪い取るような口づけをしてきた。


千歳は驚きと怒りのあまり、二木の足を思い切り踏みつけた。


「こいつ!」


二木は千歳を突き飛ばした。


「あ」


誰かが間の抜けた声を発した。あるいは千歳自身が発したのかもしれなかった。


突き飛ばされた千歳の体は、今まさに、屋上の縁を越えようとしていた。パラペットに踵をひっかけ、バランスを崩し、自力で持ち直すのはもはや無理そうだった。


終わった、と千歳は思った。このまま六階ぶんの高さを落下して、背中から地面に叩きつけられて、僕は終わる。


そのとき、服を強く引っ張られた。千歳の目の前に、鬼塚がいた。彼女の表情は未だかつて見たことがないほどに鬼気迫っていた。片手を前に伸ばして前傾姿勢になっており、全力で走り込んできたのは明白だった。


鬼塚に引っ張られて、千歳は屋上の内側へと復帰した。


しかし、鬼塚は走り込んだ勢いを殺しきることができなかった。彼女の体は、そのまま縁の外側へ向かって流れていく。

お互いに逆方向へと体が流れるその刹那、目が合った。そして千歳は悟った。


鬼塚さんじゃない。


フチュ……!


直観だ。でも確信に満ちていた。


今まさに地上へ落下しようとしているのは、鬼塚に変身したフチュだ。


鬼塚に変身したフチュは、パラペットに足をひっかけ、体が横に半回転した。だから、その顔に浮かんだ微笑を、千歳ははっきり見ることができた。


直後、鬼塚に変身したフチュの姿は、視界から消えた。

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