3. すべての人に健康と福祉を

わたしは学園における流されびとの庇護者役を仰せつかった。

 すなわちマリエ・キンバラは以後、公爵令嬢サスティナ・ビリティスの学内派閥に入ることになる。

 わたしにとってこれは渡りに船だ。


 三日後、マリエが転入してくると、さっそく取り巻きにくわえた。

 最初は緊張して固くなっていた彼女だが、じょじょに打ち解けてフランクに話すようになった。

 お茶の時間は隣に座らせておしゃべりするのが日課になった。

 話題はマリエから異世界の様子を聞くのと、わたしから過去の流されびとの業績を語ることが中心だ。

 たとえばこんな感じだ。


「ゼロの概念や火薬の製法、あとノーフォーク農法なんかも流されびとからもたらされた知識だと言われてるわ」

「あちらの世界ではインド人がゼロの概念を、中国人が火薬を発明してます。ノーフォークは多分イギリスの地名だと思います」


 どうやら、こちらに漂流してくる異世界人のほとんどが、マリエのいた世界からやって来ているようだ。


「あなたの前にやって来たのはアンブローズ・ビアスという方で、いろいろな改革を提案したのよ」

「あっ知ってます、その人! 『悪魔の辞典』の作者です」

「あら、そちらの世界でも有名人なのね」

「有名なジャーナリスト兼作家です。メキシコ革命の取材中に行方不明になったって聞いたけど、こちらに来てたんですね」

 そこでわたしは王国におけるビアスの業績を説明した。


「では、こちらの世界で無事に天寿をまっとうされたんですね」

「ところがそうでもないの。彼の最後は悲劇的だったわ」

「そうなんですか?」

 そうなのだ。流されびとアンブローズ・ビアスの話には続きがある。


 民主主義の提言が却下されて少し経ったころ、王都の平民街で奇妙なパンフレットが出回るようになった。

 内容は王国の貴族社会を激烈な口調で批判したものだった。

 調査の結果、そのパンフレットはビアスがひそかに発行したものだと判明する。

 何食わぬ顔で王室から手厚い保護を受けておきながら、その恩人を裏で攻撃する彼の行為は大問題となり、ただちに宮殿の地下牢に閉じこめられた。

 それからすぐにビアスは獄死したそうだ。


「……どう? この国の王室はあなたの同郷の有名人に、そんな仕打ちをしたんだけど」

「貴族社会では仕方のないことだと思いますし、本人もそうなる予想はしてたんじゃないでしょうか。わたしにはむしろ、ビアスらしい最後だと思います」

 この返答で分かるとおり、マリエはあまり反骨心がなく、温厚で物分かりのいいタイプである。


 彼女は学者の卵だった。

 おもに機械工学という学問を研究していたという。

 機械というのは高度に発達した道具の総称で、あちらの世界では生活のあらゆる側面で活用されているそうだ。

 魔法学園に入学したのは、科学的観点から魔法というものを解明したかったからだそうだ。


「それで科学的観点とやらで解明できたの?」

「無理でした。質量保存の法則も熱量不変の法則も通用しないデタラメな現象ですから、わたしには手も足も出ません」

 そういって笑った。


 マリエが語る異世界の風景は想像を絶するものだ。巨大なビル群に行き交う自動車、道行く人々が手に持つスマホ……

 じっさい彼女の話を聞いた人の大半は、言葉だけでその姿をイメージすることが難しそうだった。


 ところが不思議なことに、わたしにはそれらの形状がなんとなく分かった。その利便性もすぐに理解できた。

 同時になぜか分からないけど、機械というものにうっすらと嫌悪感を覚えてしまうのだ。

 まあ、それはさておき、こうして親睦を深めたわたしたちは、やがて運命の日をむかえることになる。


 とある休日の午後、わたしとマリエは買い物をするために商人街へ出かけた。

 中央通りをしばらく歩いていると、マリエが深刻な表情で立ち止まった。


「サスティナさま、あの子供たちは……」

 彼女の視線の先には、ボロボロの格好をした子供の一団が、通りの隅に座り込んでいた。


「ああ、浮浪児ね」

 ここ数年、王都ではこういった浮浪児が激増していた。原因は不明である。


 浮浪児によるスリや窃盗の増加は、いまや社会問題になりつつあると言っていい。

 王室は炊き出しをやったり、孤児院を増設するなどして対応しているが、追いついてないのが現状だ。

 以上のことを説明すると、マリエは黙り込んでしまった。


「……買い物は中止して、寮に戻ったほうがよさそうね」

 わたしたちは通りの入り口に停めてある馬車にもどった。


 帰りの馬車の中でもマリエはうつむいて押し黙ったままだった。

 こういう時、わたしは無理に話しかけようとせず、相手が喋る気になるまで辛抱強く待つことにしている。

 そして馬車が寮に到着すると、マリエはようやく重い口を開いた。


「わたし、この国にを起こそうと思ってるんです」

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