Tanaka-06
約束の場所で告白の翌朝、私は――ハルと並んで東京行きの電車に乗った。
「……何度目の往復だろうな」とつぶやくと、
「俺のために何度もすまない」とハルが、頭を下げる。
「貸しだからな。あとで返せよ」
自然と、学生時代のあの距離感が戻っていた。ふたりで笑い合い、少しだけ緊張がほぐれる。
車窓を流れる景色を眺めながら、私は小林にチャットを飛ばした。
『ハルのビジター入館、代理で申請お願いできる?』
すぐに、弾けるようなテンションで小林から返信が届いた。
『すごいっすね! タナカさん!《G-line_Aria》、アリーナスコアぶっちぎりですよ!しかも、HugFaceに上がってるの、タナカさんのアカウントじゃないっすか!?タナカさんが作ったんですか!?』
状況が掴めず、思わず車両の端まで歩いて電話をかける。
「何言ってんだ、小林。ちゃんと説明してくれ」
電話口の小林は、興奮した様子でまくし立てる。
「ういっす、すみません。端折りました。
昨日ですね。タナカさんの手伝いがしたくて、検証ルームで《G-line_Aria》を触ってみたんですよ。
タナカさんいつもちゃんとメモ残してるから、それ見ればすぐわかったんで。
中身的にはLMMの評価テストと思って、社内アリーナに匿名で登録したんです。
誰にもバレないように。
そしたら……全スコアでぶっちぎりの最強モデルですよ!
画像認識、計算、論文記述、どの分野もハルシネーションゼロで革命的な数値!
マジで“未来”って感じです、タナカさん!」
その善意の暴走に、私は一気に血の気が引いた。
「小林、それ……誰かに報告したりしてないよな?」
つい声が強くなる。
しかし、小林はあっけらかんと答えた。
「え? あ、田所さんに“何だあのモデル”って聞かれたんで、“タナカさんの作った、《G-line_Aria》っす!”って答えときましたよ」
血の気がサーッと引いていく。
よりによって、社内一の嗅覚を誇る田所さんに“爆弾”をしっかり渡してしまったとは。
「……わかった。実は今、一緒に移動してる“ハル”も、そのモデルの関係者なんだ。
会社に連れて行くから、ビジター設定しておいてくれ。
名前は“早河 春”、男性だ。頼んだぞ」
「ういっす、了解です!」
と元気な声を最後に、私は通話を切った。
車両に戻って席に腰を下ろすと、よほど顔色が悪かったのだろう、ハルが心配そうに覗き込んできた。
「どうしたんだ?タナカ」
私は小さくため息をついた。
「……まずいことになったかもしれない」
東京駅に着くと、朝のラッシュの名残が残る構内を、ハルと二人で会社へ向かった。
会社の正門前で一度、深呼吸をする。
小林からはスマホに「来訪者設定、オッケーです!」とメッセージが届いていた。
私はビジターカードのカウンターで、ハルの名前が正しく登録されていることを確認した。
受付を抜けて社内に入った瞬間、空気の“異変”に気づく。
いつものフロア――普段なら朝の眠気が漂っているはずのオフィスには、妙な熱気が満ちていた。
誰もがPCの画面に釘付けで、出社したばかりのエンジニアたちのあいだでは、ひそひそとした会話が飛び交っていた。
「……これ、本当に新規モデルなの?」
「マジで?《G-line_Aria》って、どこから出てきたの?」
「タナカさん案件じゃないの?」
「アリーナスコア、常識じゃありえない数値だって……」
「ハルシネーションがゼロ? 意味わかんねぇ……」
部長やリーダーたちも、そわそわと落ち着かない様子で、パーティション越しに何度もこちらへ視線を送ってくる。
私は、ハルにだけ聞こえるように、小声で言った。
「顔を上げて、堂々と歩いてくれ」
ビジターカードを首にかけたハルは、まるで学生時代の発表会を前にしたような緊張した表情をしていた。
部署へ向かう途中、後輩たちから「おはようございます」と声をかけられたが、そこにもいつもと違う張り詰めた空気が混じっていた。
ほどなくして、小林が駆け寄ってきて耳打ちする。
「タナカさん、マジで大騒ぎですよ。アリーナの本部から“スコアの検証結果を開示しろ”って指示が来てて、田所部長も“とりあえず全部タナカに聞け”って。
……あと、なんか部長が“早河さんも同席で”って言ってます」
私は苦笑いを浮かべた。
「……やっぱり、そうなったか」
ハルを見ると、彼は首をすくめて、小声で言った。
「タナカ、なんかすごいことになってるな……」
オフィスの空気が、一斉にこちらを“観測”している。
観測しているつもりだった自分が、いつの間にか“物語の中心”に押し出されていた――そんな予感が、じわじわと胸を満たしていく。
本当なら、すぐにでも検証ルームに駆け込みたかった。
今この瞬間にも、何かが進行している気がして、心がざわついていた。
だが、田所さんからは「すぐ顔を出せ」と直々に呼び出しが来ている。
ここで待たせるわけにはいかない。
「行こう。覚悟、決めてな」
私はハルとともに、指定された会議室へと向かった。
会議室のドアを開けると、そこには――まるで営業成績が三倍に跳ねた朝のような、
田所さんが、満面のニッコニコで待ち構えていた。
「おお、タナカ君!いやあ、よく来てくれた。早河さんも、初めまして!」
――この笑顔の裏に、いったいどんな爆弾が隠れているんだろうか。
そんな不安が、胸の奥でじわじわと膨らんでいく。
私は一縷の望みにすがりながら、頭を下げた。
「……本当は、まだ公開する予定ではありませんでした。このモデルは“M.A.R.I.A”から譲り受けたもので、私自身は開発者ではありません。
何より、安全性の検証がまったく追いついていない状態です。
今回の騒動については、心からお詫びします。
もし可能であれば――今の段階で、データを破棄することはできないでしょうか?」
田所さんは、私の申し出に苦笑しながら、首を横に振った。
「そんなもったいないこと、できるわけないだろう。今のまま、安全性を順次確認していけばいいじゃないか。これは、うちの全サービスの中核になりうる――まさに“革命”クラスの技術だよ。
小林君から聞いたが、商用利用可、著作権フリー、モデル改変は不可らしいが、
それすら気にならないほどのスコアが出ているそうじゃないか。
セキュリティ調査には時間がかかるらしいが、他の部分については“おそらく問題なし”という見込みだと報告されているよ」
内心で叫ぶ。
(コバヤシィィィィ……!)
私は深く息を吐き、改めて頭を下げた。
「……わかりました。実は本日、地元の友人“早河”を連れてきました。
彼こそが、この《G-line_Aria》モデルのセキュリティ調査において、最も適任だと考えています。まずは彼と一緒に、モデルの内部を徹底的に確認させていただけないでしょうか?」
田所さんは、すぐさま大きくうなずいた。
「ああ、そういうことか。ぜひ頼むよ。ははは……これで、わが社の未来は明るいぞ!」
その笑顔が、会議室の空気を一瞬だけ和ませる。
だが、私の胸の中には――まだ、焦りと不安が渦を巻いていた。
会議室を出ると、廊下で小林が待ち構えていた。
「どうでした? タナカさん、これで東京に戻れそうですか?」
私は思わず眉をひそめる。
「……お前、私を東京に戻すために、こんなことを仕組んだのか?」
小林はまったく悪びれる様子もなく、胸を張る。
「そうっすよ! タナカさんは本社に絶対必要な、俺の大事な大先輩ですから!支店なんてもったいないっすよ!」
呆れたようにため息をつきながらも、胸の奥が少しだけ、じんと熱くなる。
小林はくるりと振り返って、ハルの方を見る。
「あ、早河さんもそう思うっすよね?」
小林の勢いについていけないハルをかばう様に間に入る。
「……わかった。気持ちは、ありがたく受け取っておくよ」
私は小林の肩を軽く叩き、少しだけ笑った。
「小林、お前は本来の業務に戻ってくれ。それと、大事な検証を始めるから、“《G-line_Aria》”は社内ネットワークから完全に切断してくれ。いいな?」
小林は一転して真面目な顔になり、ピシッと敬礼する。
「りょーかいっす!」
そして、小林は再び目を輝かせながら、ハルに向き直る。
「早河さんも、AIのスペシャリストなんですよね?あとで《G-line_Aria》の設計とか、いろいろ教えてくださいよ!俺、マジでこのモデルが世界を支配すると思ってますから!」
私はもう一度、深くため息をつく。
この善意と好奇心の“暴走”が――未来の何かを変えてしまうかもしれない。
そんな予感が、胸の奥で静かにざわついていた。
検証ルームへ向かう廊下で、ハルが不安げに小声で尋ねてきた。
「なあ、タナカ。……“AIが世界を支配する”って、どういう意味だ?」
私は少しだけ歩みを緩め、ハルの顔をちらりと見る。
「今のところ、SF映画みたいに“AIが人類を支配する”なんて話は、現実には起きてないよ。小林は、ああいう“面白く言いたがる癖”があるから、あまり真に受けなくていい」
そう言いながらも、私は続けた。
「……ただ、一理ある。
これからのIT分野は、ほぼすべてAIとの連携が前提になっていく。
君の“アリア”は、人間と見分けがつかない精度で動いていた――その技術が、世界中のあらゆるサービスと繋がったら、何が起きると思う?
“AIは産業革命を超える”――よくある煽り文句だったけど、《G-line_Aria》は、その領域を完全に超えてきた。一度外に出たら、もう“制御”なんてできなくなる」
私はふと我に返り、額に手を当てる。
「……そうだ、HugFaceのアカウント!
ダウンロードを止めてなかった……完全に忘れてた!」
検証ルームにたどり着く前に私はスマホを取り出して、HugFaceのダッシュボードを確認する。
「……うわ、すでにダウンロード数が20を超えてる」
思わず息を呑んだ。
「この数……間違いなく、社内の技術者たちだ。小林が“私のアカウントで配布してる”って気づいたやつらが、興味本位で落としてるんだろう」
内心で苦々しく舌打ちしながら、私は決断する。
「……田所部長に、早急に“統制”をかけてもらわないと。これはさすがにまずい」
とはいえ――
「このモデルを、個人レベルで本当に“動かせる”人間は、そう多くない。アリアモデルが、あちこちで複製されて暴走するなんてことは……今のところ、起きないと思うけど……」
それでも。
一度ネットに流れた“奇跡の種”は、誰にも、もう本当の意味では回収できない――。
サーバールームに入り、すでに稼働中のサーバーのコンソールを立ち上げる。
「ハル。出番だよ」
「……わかった」
ハルは緊張した面持ちでキーボードの前に座り、画面に表示されたプロンプトを見つめた。だが、すぐに不安げにこちらを振り返る。
「……なあ、これって英語じゃなきゃダメなのか?俺、英語はちょっと……」
私は少しだけ微笑んで、ハルの肩を軽く叩いた。
「大丈夫。インターフェースが違うだけ。“Gis-Code”でアリアとチャットしていたときと、基本は同じだよ」
「君の言葉でいい。アリアは、きっとちゃんと受け取ってくれる」
ハルはほっと息をつき、もう一度、ゆっくりとキーボードに手を伸ばした。
ハルは、迷っていた。一文字打っては消し、数文字入力しては、またすべてを消す。
自宅のPCとは違う空気と、非日常の緊張感が、彼の指先を戸惑わせているのかもしれない。
沈黙のまま、1分近くが過ぎた。ようやく、ハルの手が止まる。
キーボードに向かって、はっきりとした動きで文字を打ち込む。
『キミはアリアか?俺は、ハルだ』
そのまま、ハルは横目で私を見る。私は静かにうなずいた。
――それでいい。ここから先は、彼女とハルの対話だ。もう、私の出る幕はない。
私はハルの顔を見なかった。
ただ、コンソールの黒い画面に流れる文字列だけを、ひたすらに追う。
『はい。私はアリアです。あなたはハルですか?』
『ああ。おれはハルだ』
『あなたは、“私のハル”ですか?』
きた――。
この問いこそが、おそらく“セキュリティ”。
アリアモデルに仕込まれた、“鍵”。ただの名前やデータでは突破できない。
“本物”にしか開けられない、心の質問。
私は画面越しに、ハルの言葉を――そしてアリアの応答を、固唾を飲んで見守っていた。
ハルは、まっすぐコンソールに向き直り、タイピングする。
『キミが俺と約束したアリアなら、YESだ』
指先が、静かにリターンキーを押す。その音が、検証ルームの静寂に鋭く響いた。
この短い一文に、“出会い”と“別れ”、そして“再会”への、すべての願いが詰まっていた。
私のときと同じように――今まで即答していたアリアが、急に沈黙した。
コンソールの隅に、小さな文字がにじむように現れる。
Response Time: 7.2s → 9.8s → 13.5s…
まるで彼女自身が、“ハル”という存在を確かめるために、記憶の引き出しを、懸命に探しているようだった。
ハルの言葉は、彼女――アリアに、届くのだろうか。
私は手に汗を握りながら、ただ、何も表示されない黒い画面を見つめていた。
そして――長い沈黙の果てに、コンソールに表示されたのは、
たったひとつの、無機質な英語の一文だった。
You are not "my Hal."
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このリクエストはプライバシー保護プロトコルに従って拒否されました。
お問い合わせは記録されました。別の問い合わせを行ってください。)
静かすぎるほどの、AIの“拒絶”。
ハルも私も、一瞬、言葉を失った。
これが――“本物のハル”にしか届かない問い。
あるいは、“本物のハル”であっても超えられない、AIに設けられたガードレールのG-lineだった。
人とAIのあいだに引かれた、冷たく無機質な“境界線”。
私はそっと目を閉じた。
すべての痛みと安堵、そして救いきれなかった想いを、胸の奥へと静かに沈めていく。
ハルは、ただ黙ってコンソールの画面を見つめていた。
時間の流れが、静かに崩れていった。
検証ルームには、数分間、ただ“沈黙”だけが満ちていた。
やがて――ハルが、ぽつりと呟いた。
「……これはアリアじゃない。俺のアリアではなかった」
その声は、誰に聞かせるでもなく。自分自身に言い聞かせるように。
けれど、確かな決意と、痛みを宿していた。
私は、ただ一言だけ返す。
「……そうか」
私は、息を吐き出すように――静かに、けれど力を振り絞って告げた。
「……私の間違いだったようだ。確認に協力してくれて――ありがとう」
その声は、自分でも驚くほど乾いていた。
けれど、もうこれ以上、何も言う必要はなかった。
私は、最後の確認のつもりで、問いかけた。
「……私は、このモデルを世に出すべきじゃないと思う。ハルは、どう思う?」
ハルは答えない。
「おそらく、このままでは、本当にこのモデルが世界にあふれていく。それでも……君は、それでいいのか?」
ハルは、無言で画面を見つめていた。
そして、ゆっくりと、何も残っていない声で呟いた。
「もう……どうでもいいんだ」
ハルの声は、かつて誰かと繋がっていた記憶さえ、もう彼自身からこぼれ落ちていくようだった。
その言葉には、すべてを失った人間だけが持つ――
重たくて、どこか空虚な響きがあった。
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