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大学生活は、どこぞのアホヤリサーの乱交合宿みたいに日本各地の言葉が入り乱れながらめくりめく。


関西から関西へのしょぼい飛距離で下宿生活を送る私でさえ、自分が今どんな発音で日本語を話しているのかわからなくなることしばしばだ。いつどこで感染したのかも定かじゃない性病みたいに、あらゆる訛りが混ざってどこの地方のものでもなくなった歪な日本語は、狭いような広いようなコミュニティのなかに広まっていく。


でも三崎の関西弁は、乱交でうっかりうつってしまった性病の類じゃなかった。


「僕は完璧に関西人になりたい」


三崎は常々素面でそんなことを言いふらし、一回生のころから懸命に正しい関西弁を習得しようとしていた。変な関西弁使うなや。言いたがりの関西人に言われるたび「まじ?どこが変?」と熱めのテンションで聞き返してすぐ直そうともしていた。実際すぐに直した。


帰省もせず、なぜか私の部屋でらんまを読んでいる三崎は二回生の夏にして、早くも完璧な関西人になりつつある。私はそんな三崎といるときなぜか、いちばん正しく言葉を使える気がしていた。


「なんか飲む?」


二十二巻を終えたタイミングで聞くと、三崎は漫画から顔をあげずに頷いた。すっかり小さく軟弱になったガリガリくんを咥えて眺める冷蔵庫には、水とビールと豆腐しかない。とぼけた冷蔵庫である。


「水とビール。どっち?」

「ビールで」


冷えた缶をテーブルに置けば、またどことなく西の響きの三崎の、どーも。


去年の夏、高卒で就職した地元の友達と会ったとき「話し方変わったなあ」と指摘されてはじめて私は、自分がちょっとずつろくでもない人間になりつつあることを自覚した。


別に言葉がアイデンティティだとかそんな素敵なこと思ってないけど、実は思っていたかったのかも、でも思えもしない自分が、なりたい人間への軌道からどんどん逸れているような気がして恥ずかしかった。


とはいえ思春期から今に至るまで尊敬とか軽蔑とかの念を誰かに持つことさえできず生きてきた私が、なりたい人間像なんて自分に抱けているわけもなく、だからまあ実際は、数ヵ月であっさり大人びてしまった彼女を前に相対的な自己嫌悪をくらっていただけなんだと思う。


「ていうか、さーちゃんは?」


横着に片手でプルタブをあげる三崎を見て、なんの気なしに聞いた。


「沙耶がなに?」

「帰省してんの?」

「さあ。こもって脚本でも書いてんちゃう」

「彼氏無頓着」


笑って呟くと「僕もう彼氏ちゃうねんわ」あっさり言われて息が止まった。


「え、別れたん?」

「うん」

「……なんで?」


微かに動揺しながら聞く。当の三崎はらんまの二巻を探しながら本当になんでもないことのように答える。誰に弁明するでもなく、自分の一部をありのまま脳みそから取りだしてぽんとテーブルに置くように。


「あの女の自尊心には付き合いきれん」


脳みそから取りだした言葉なんて、普通は他人に見せるもんじゃない。私はちょっと怖くなる。


「三崎それ、さーちゃんに言ったん?」

「言うわけないやん。自殺されても困る」


最低だけどたぶん他意はないのだ。他意がないところが最低なのだが。


「ちゃんと双方同意で別れたわけ?」


さーちゃんが三崎と別れたがっている様子はなかった。なにかしらがあったはずだ。三崎は二巻に目を落とし、そのモノローグを読みあげるような口ぶりで説明した。


「僕はいらんっつってんのに沙耶がずっと前から好きらしい映画しつこく観せようとしてくるからしょうがなく観たら案の定クソおもんなくて、正直な感想聞かせてって沙耶がしつこいから正直に言ったら、なんかもう別れたいって。ほな別れましょ。同意。ちゃんちゃん」

「どうせさーちゃんに酷いこと言ったんやろ」

「きみが僕に酷いわ、それ」


あ、いや、ごめん。思わず謝ると、三崎は胡坐の片膝を立てて続ける。


「本物ぶってるけど繊細な感受性お持ち系女性向けのめちゃくちゃ商業的な映画やな。沙耶が馬鹿にしてる実写版アイドル映画との違いがまったくわからん。って言った」


私は絶句した。さーちゃんにいちばん言ってはいけない類のやつだ。それをいちばんよく解っているのは三崎のはずなのに。黙っている私を一瞥し、三崎は少し笑った。


「人でなしって顔に書くな」

「……だって人でなしやん」

「でもそういうスタンスで僕に観してきたんは沙耶やからなぁ」

「そういうスタンス?」

「こういう映画が好きで実際脚本家目指して頑張ってる沙耶っていう印象を僕に持ってほしいがために自分のいちばん好きな映画かなんか知らんけど観してきたんは沙耶ってこと。あいつの頭は常にそう」

「……そこまで考えてるかな」

「考えてるわけないやん。印象操作の大抵は無自覚や」


でもそれはさーちゃんが三崎を好きやからやん。と私は三崎に言えない。


こう思われたい好かれたい受け入れられたいその一心で、無自覚に自分を売りこむことは誰かと生きていくうえで大なり小なり必要な措置のはずなのに、三崎はそれをせずに生きている男だった。


それをせず生きていける三崎に、さーちゃんが三崎を好きやから、なんて無意味だ。


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