第17話 夜の声を聴く



闇が薄く揺れていた。

少し冷たい空気が漂う朝方の時間。



「起きてるか?」


小さな声で、ナキとクロエを呼ぶ。ふたりともすぐに気配を察して外に出てきた。


「……ツキは?」

クロエが訊ねる。


「まだ眠ってる。今のうちに話しておきたいことがある」


三人は家の裏手を抜け、木立の奥へと静かに歩き出した。






前夜――あの泉で見た未来。

凍りついた大地。動かない空。月が閉ざされたその先に広がっていた、命のない景色。


「……まるで、時が止まった世界だった」


ハクの声はどこか震えていた。


「本当に、そんな未来が来るのかい」


クロエが呟く。


「はあ…遠慮願いたいねえ……」


ナキが、短く言った。


しばしの沈黙。誰もが、言葉の代わりに何かを握りしめているようだった。


「いよいよ、だな」


ナキの言葉に、ふたりがうなずく。


ハクとクロエは先に家のほうへ戻っていく。

ナキは煙草を取り出し、火を点けた。


「俺は、もう少し吸ってから行くわ」


そう言って、煙を吐きながら、二人が家に入っていくのを見届けた。

そしてふらりと背を向け、誰もいない樹海の奥へと歩いていった。






その頃。

ツキはゆっくりと目を覚ました。目元に残る熱に、昨夜の記憶が蘇る。


(夢じゃ……ないよね)


胸に残るぬくもりと約束の言葉を思い出していた、そのとき。


――「パサ」


何かが、枕元に落ちた音がした。


そこには、見覚えのない一冊の本があった。

柔らかな革の表紙に、金の文字が浮かんでいる。


『太陽と月の記憶』


ツキは、そっとその本に手を伸ばした。


めくろうとした瞬間――玄関の開く音。


「……あ」


思わず本を布の下に隠した。


「ツキ、おはよう」


部屋の外からクロエの声がした。


「スープ、温めてるから。もうちょいしたら朝ごはんね」


「う、うん……」


ツキは言いながら、身支度しキッチンへ行く。


「……あのっ、わたし、ちょっと出かけてくる!」


言うが早いか、パンをひとつ手に取って駆け出した。


「ちょ、ツキ!また勝手に!」


クロエが後ろから怒鳴る。

まるで妹に叱るように。


「なにがあったんだ?ツキは」


ハクはぽかんとして驚くも口角が上がっていた




ツキは走る。パンを片手に、まだ冷たい樹海の中を。


(なんとなく……一人で読みたかった)


理由なんてなかった。ただ、本能的に、この本とは静かに向き合うべきだと感じたのだ。


森の奥、しばらく走った先で、不意に視界が開けた。


そこには――


巨大な一本の木が、空へと真っ直ぐそびえ立っていた。


その前に、ナキがいた。煙草を咥え、手を組んで立っている。


彼が小さく見えるほどに、その木は大きく、力強く、静かに息づいていた。


(……お墓?)


ツキがゆっくりと近づくと、石碑が見えた。

彫られていた名前に、息を呑む。


――ハレ。


ナキは背を向けたまま、呟いた。


「こいつは、樹齢2000年の木"始まりの木"だ。ハレはここに眠ってる」

「ハレだけじゃねぇ。ベルも、ジルも、ここにいる」


ツキが息を呑んだのを察してか、ナキは振り返り、少し笑った。


「だからきっと、今日はあいつらも、ここに来ると思うぞ。……お前がこっそり読もうとしてること、ばれちまうかもな」


「べ、べつにそんなつもりじゃないもん!」


ツキが思わず声を上げる。


「ただ……なんとなく。一人で向き合いたかっただけ」


ナキはそれを聞くと、「ま、そういうことにしとくか」と笑い、また空を見上げた。


ツキは静かに、大木の裏手へと回っていった。





本を開き、そっとランプを灯す。


ページをめくると、金色の文字が浮かび上がった。





_________


1000年前

かつて世界には、太陽が昇っていた。

理性と秩序があった時代――しかし、それを壊したひとりの少年がいた。


ただ、独りになり。

ただ、夜を求めた。


_________



(……夜を、望む?)


ツキは息を呑む。

次のページには、記録には見えない''誰か"の言葉が記されていた。



_________


太陽の光は、平等に全てを照らす。


隠した傷も、壊れた心も。


守る、と言うには遅いけど。


僕には夜が必要だった。


何にも見えない闇の中なら、誰も僕を責めないと思った。


_________




(これは、誰の言葉……?)


ツキの指が、ページの端を辿る。



_________


太陽が消えた世界では、人々の理性は薄れた。本能が生き、闇に心を委ねる者たちが溢れていった。


世界は"常闇"に覆われた。


けれど、月だけは消せなかった。


夜の世界で、唯一の光。


それは、失われた理性の残響。


やがて、それは"希望"となる。


《満月の日》

《月の扉》

《月の鍵》

《月の子》


この四つが揃えば、太陽は昇る。




僕は、許せなかった。


この世を照らす太陽が、再び僕を置き去りにする気がして。


もう失いたくなかった。

もうあんな想いはしたくなかった。



僕はただ、守りたかっただけなのに。


_________


ツキの手がとまる。


ページの文字が、熱を帯びてみえる。


言葉が、胸の奥で騒めく。


(…これは、誰かの叫び……)



_________


なぜ僕には闇の力が使えるのか。


こんな力、最初からいらなかった。


ただ、隣で笑ってくれればよかった。


___それだけだったんだ。


_________




ツキは、ページの上に手を置いた。


目の奥が熱くなる。


(ヨル………)


「……どうして」


ツキは本を抱きしめる。

その背後で、風の流れが変わった。



「どうして、こんなふうになっちゃったの…」


心が揺れる。

迷いが、生まれる。


誰かが間違えた。

誰かが壊した。

でもそれは、誰か一人のせいじゃないような気がしてならなかった。



「正しさって、そんなに強いものなのかな」

「死を乗り越えなきゃいけないって、簡単に言えるほど軽いものなのかな」


「……でも、だからといって、誰かを見捨てていいわけじゃない…」


ツキは頭は本の整理に追われ、ぼそぼそと独り言を呟いていた。




そのとき。


――黒い蝶が、ふわりと舞い降りた。


「……え?」



手を伸ばそうとした瞬間、蝶がツキに触れた。




空気が、軋んだ。




次の瞬間――


ツキの姿は、そこから消えていた。




残されたのは、開かれた本と、静かに灯るランプだけだった。

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