第11話 太陽と出会った夜
じとりと湿気を含んだ朝。窓の外では、梅雨の雲が重たげに垂れ込めていた。
琥珀は自室の机に向かっていた。
英語の教科書を開いたまま、ページはめくられず、ペン先は止まっている。
下の階からは、弟の晴陽がはしゃぐ声が聞こえてきた。
「お兄ちゃん!ホームラン打ってくるから、楽しみに待っとけよなー!」
「はいはい。頑張ってこいよー。」
今日は弟の部活の練習試合の日。
父も母も一緒に観戦しにいくらしい。
気の抜けた返事をして、視線をカレンダーの方に移す。
6月のページの隅に、
"はるひ、練習試合スタメン"と大きく書かれていた。
琥珀は口角が上がりながらも、教科書に目線を落とした。
夕方____
いつまで経っても帰ってこない。
一階に降りようと立ち上がった瞬間
電話の音が現実を引き裂いたように鳴り響く
……嫌な予感がした。
受話器を取る手が僅かに震える。
「…ご家族の方ですか?」
「お父様とお母様、弟君は…事故で、たった今病院に搬送されました…。」
声の意味が理解できたのは、数秒経った後だった
酷い雨の中、びしょ濡れになりながら
琥珀は自転車を全走力で飛ばした。
まるで世界が泣いているかのような、
どこまでも冷たい雨だった。
「…くっ、どうか…どうか、晴陽だけでも…!」
その願いは、誰にも届かなかった。
集中治療室の前。
医師が静かに頭を下げる。
「……力は尽くしました…。ご家族三名、心肺停止です……。」
その日を境に、世界からすべての音が消えた。
数日後。
葬儀の終わった家の中に、琥珀は一人きりだった。
食器棚の上、洗濯機の側、家族が生きていた証拠が残っていた。
扇風機の音だけが、カラカラと部屋をかき乱す
「…うるせえよ」
窓の外では、蝉が鳴いている。
耳を塞いでも、それは聞こえてくる。
声にならない声が、喉の奥で沈んだ。
夏休みも終わる頃、
琥珀は近くの裏山へ向かった。
懐中電灯を照らしながら、慣れた山道を歩く。
ここは、琥珀がまだ小学生だった頃に、
父と弟とよく来て、男だけの秘密基地を作った場所だった。
大きな木と、折れたブランコのロープが揺れていた。
枝に紐を掛け、持ってきた折り畳みの台を置く
最期に空を見上げた。
雲が切れて、痛いほどに輝く満月が琥珀を照らしていた。
その光は、優しくも残酷で___
琥珀はそっと目を閉じ、台を蹴った
はずだった___
すとん⌒⭐︎
落下の感覚、
目を開けるとそこは知らない夜だった。
誰もいない。静かな場所。
心の奥底で願っていた場所。
死後の世界でも独りなんだな…と自嘲する。
雨が降り、とても寒い。
あちらの世界でも変わらないそれに琥珀は大きくため息を溢した。
立ち上がり、歩こうとした瞬間
太陽のように輝く紅が降りてきた。
「こんな日に傘もささずにいるなんて、
お前、変なやつだな!」
いきなり響いた明るい声に、琥珀は目を見張った。
「……は?」
そこにいたのは___
灼熱の太陽のような紅い髪に、キラキラとした青空のような碧い瞳の少年だった。
「…誰だ、おまえは…」
琥珀は戸惑いを隠せなかった。
目の前の少年があまりにも、あの日、最後に見た弟の笑顔に似ていたから。
「俺はハレ!!太陽を連れてくる男だ!!」
琥珀は意味がわからないと言った風にじっとハレを見る。
「………」
「……俺はハレ!!太陽を連れてくっ__」
「うるせえよ!!二回も言わなくていいんだよ!あと、顔も近ぇ!!」
ハレは目を丸くしながら琥珀を見た。
「…あっはっは!なんだ!聞こえていたのか!黙っていたから、聞こえてないと思ったんだ!
あと、顔が近くて声が大きいのは癖だ!!もう直らない!!」
反省する様子もなく、再び大声が響いた。
「…で!!お前は誰だ!名前は?どこから来た?やっぱり月か?月の子か??早く答えてくれ!!」
琥珀はその勢いに圧倒されながらも負けじと返す。
「うるっせぇ!!急かすな!!答えるから一旦黙ってくれ!」
ハレは了承するように黙って琥珀を見つめる。
その姿はまるで近所の家にいた柴犬を思い出させた。
「俺は、狗巻琥珀。月の子とかは知らねえけど、死んだと思ったら…ここに居た。」
それを聞いて、ハレは急に真剣な表情に変わる。
「……お前、死のうとしたのか。」
「…あぁ、だったら何だよ。」
琥珀は反抗期の子供の様に返す。
「なんで。」
「お前には関係ない!」
「あるね。」
「あ?」
あの日からずっと抑え続けてきた感情が溢れ出す。言葉も荒くなり、表情が鋭くなる。
琥珀の周りを風が旋回し始めた。
「…俺たちは名前を教え合った。友達だ。」
「この世界では名は意味を持つ。だから、大事なやつにしか教えない。」
初めて聞く重大な事に、苛立ちが大きくなった
風は琥珀の服を、髪を巻き込みどんどん荒む
「…てめぇ…何故それを先に言わなかった…」
ハレはニカっと豪快に笑う。
「……忘れてた!!あっはっは!」
「でも俺も教えたんだ!!これでお相子だろう!!互いの胎は見せ合えた!これで兄弟だ!!」
琥珀は呆れすぎて言葉が出ない。
ようやく絞り出した言葉を投げつける。
「っ!誰が兄弟だ!!あと胎ん中なんてまだ見せてねぇ!」
ハレはどこ吹く風で、独り言のようにずっと喋っている。
「狗巻琥珀___、琥珀、コハク……」
「…長いな!ハクにしよう!!」
こちらを指差しながら自慢げに言う。
「今日から琥珀はハクだ!俺の友達!俺の兄弟!」
もう琥珀は感情を荒立てないと心に誓った。
ハレの前では無駄な努力になると思い知らされたからだ。
(……もう俺は、突っ込まねぇ……)
「よし!ハク!この世界のことを教えてやる!!だがその前に腹ごしらえだ!!俺の家に帰るぞ!」
「いや!まず先に教えろよ!!」
先程の誓いは、あっさりと破られた。
突っ込んでしまった後悔と、こちらのリズムを崩される感覚。
琥珀は不思議と悪い気はしなかった。
黒く淀んでいた心が、少しずつ澄んでいく。
帰る家がある事に、琥珀の胸が微かに暖かくなった。
「おーい!ハク!早く来い!置いてくぞー!」
ハレは振り返りながら、太陽のように笑う。
「くそ!待てよ!!」
ハクはその背を、力強く追いかけた___
もう、風は止んでいた。
雨は静まり、心に微かな希望の光が差し込み始める。
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