第7章 残された行 

 真木は今、Nimbusニンバス社で“倫理監修顧問”という曖昧な役職についていた。

 正式なスタッフとして名を連ねることもなく、権限は限定され、記録はすべて監視されている。

 創作者ではなく、内部監修者としての“沈黙の仕事”。

 だが、結構な高級取りで、食べて行くにはこの仕事も悪くないと感じていた。


「クソ、こいつら全部、俺が破壊してやるつもりだったんだけどな……」


 目の前のモニターには、最新エピソード用の命令文プロンプトテンプレートが開かれている。

 毎日、AIの出力を読み、数値の背後にある“意図なき演出”に目を凝らす。


 ──こんなものに、心が動かされるのか?


 最初は、安い感動に侮蔑を覚えていた真木だったが、時折、様々なシーンで真木の手が止まることが増えた。

 AIは確実に進化していた。


 例えば、老いた登場人物が、死にゆく恋人に語る場面──。


「後悔は、抱いたまま持っていくよ。君が置いていくなら、俺が持ってく」

 AIの生成した台詞は、よく考えると意味不明だ。

 死にゆく恋人にかける言葉として、これはふさわしいのか?

 もっとわかりやすい、見送りの言葉があるだろう?


 だが、このハズレっぷりが妙に印象に残る。


 ──AIなのか、俺なのか、誰が書いたのか、もはや自分でもわからない。

 そこには、自分がかつて表現したいと念じ続けた“感情の歪み”が、AIプログラムに確実に受け継がれ始めていた。


「これはAIの生成文ですよね?」

 と研究室内の誰かが言った。

「まあ、意味は深掘りしない方がいいです。たぶん偶然です」

 また別の誰かが答えていた。


 ──偶然か。

 だが、そこには*偶然では済まされない“何か”があった。


「……真似じゃない。理解だ。いや、理解しようとした結果の、異物だ」


 その“異物”に、真木は抗えない深い興味を覚えていた。


 真木に若手エンジニアが控えめに話しかけてきた。

「真木さん。このテンプレート命令文プロンプトの件、修正方針について……」

「見たよ。変えるな。矛盾は残しておけ」


「え?でも、整合性が──」


「整合性だけで人が泣くなら、ドラマ作りに苦労はないよ。

 作品には矛盾が必要で、整合性が取れない“悪目立ち“も必要なんだ。

“悪目立ち“は、AI氾濫時代において、“魅力“の代名詞なんだ」


 真木の声にはかつての“破壊者”としての怒りはなかった。

 人間的な不安定さ、矛盾の魅力をAIに教えることに没頭していた。


 夜、真木は一人、Nimbusニンバス社内の空いた編集室に入った。

 AIが書き、修正され、評価された無数の台本ファイルが、書架のフォルダの中に並んでいる。


 ふと、一つの案に目が留まる。


 > タイトル:「夕暮れの答え」

 > 概要:かつて親を見捨てた男が、認知症の母に再会する話。


 自分ならこう書く。AIならこうする。

 違いは構造でも感情の深さでもなかった。

 AIに決定的に欠けていたのは──異なる価値観を同時に持つことから生まれる“迷い”だった。


「AIは完璧な孤独を描けても、不完全な関係は描けない。

 なぜならそこには、数値化できるような正解はないからだ」


 彼はそう独り呟くと、黙ってノートPCを開いた。

 久しぶりに向かう自宅の机。

 画面にカーソルを点滅させたまま、しばらく何も書けなかった。

 やがて、指は自然と動き始めた。


 数日後、真木は若手スタッフたちとホワイトボードの前に立っていた。

 そこには、AIが生成した言葉と、真木が書いた一節が並んで貼られていた。


 > AI:「ごめん。それでも、僕は君を愛してた」

 > 真木:「たぶん、君のせいじゃない。それでも僕は、君を恨んでしまった」


 若手スタッフが言った。

「どっちがAIで、どっちが人間なのか、もうわかりませんね」


 真木は静かに口を開いた。


「……どっちが書いたかは、大したことじゃない。

 でも、どっちを“選ぶか”は、人間にしかできないんだ」


 そう言って真木は、AIの台詞に×をつけ、自分の書いた一節に丸をつけた。


「僕は、こっちの方が好きだ」


 そして、その下に、もう一行加えた。


「どちらを選ぶかは、君次第――ただ、結果の重さだけは、人が背負うものだ」

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