第3章 過剰共感ループ

『オリオン』への復讐を、「やる」と決心はしたが――正直、プログラマーではない真木には “どうやるのか”がさっぱり分からなかった。


 脚本家は人の心の裏側を読むのは得意だが、コードの裏側を読むのは苦手だ。かつて手がけたSFドラマの取材で、自然言語処理の研究者と話したことはあるが、その知識は5年前のもので止まっている。


 それでも、何とかして『オリオン』の心臓に、ナイフを突き刺す手段を見つけ出すしかない。

 AIに仕事を奪われた、という言い方は優しすぎる。自分の人生そのものが勝手に“上書き保存”されたのだ。

 もう「悔しい」とか「寂しい」とかいうレベルではない。再起不能になる前に、敵を倒すしかないという、獣じみた本能だった。


 まず真木は、『オリオン』に使われているAI脚本エンジンについて調べ始めた。


『オリオン』は、国内最大手のメディアグループが出資する「Nimbusニンバス AI Creative Suiteクリエイティブスイート」というクラウドベースの「脚本自動生成システム」を使っているらしい。仕様書は当然非公開だが、海外の研究フォーラムに、それらしきサブモジュールの技術資料が出回っているのを見つけた。


 夜中の3時に、パジャマ姿でAIの仕様論文を読み直しながら、こんな地味な復讐があっていいのか――と思った。だが、真木の手は止まらない。


 やがて分かってきたのは、『オリオン』の“感動”は、膨大な視聴者データとフィードバックによってチューニングされた「共感スコア計算エンジン」によって最適化されているという事実だった。


 台詞や展開に対し、アルゴリズムが「エモーションスコア」という数値を与える。

 その数値が高いものだけを残し、最終的に脚本に組み込む。


 つまり――


 「感情的すぎる台詞」を、意図的に大量注入すれば、逆にエンジンがバグるかもしれない。


 台詞の一つ一つに過剰な感情ノイズを混ぜ込む。

 たとえば普通の「ありがとう」を、


「君がいてくれたから、明日を信じて生きていける。ありがとう。ありがとう。ありがとう……母さん……!」

 みたいに過剰に盛っていく。

 こういう“極端な共感パターン”をデータの末端にひっそり混ぜていけば、AIの感情スコアが狂っていく可能性がある。


 ――問題は、それを『オリオン』に、どうやって注入するかだった。


 思いついたのは、かつて使っていたβ版の脚本アシスタントAI。

 開発はもう終わっていたが、元のサーバーが社内の別プロジェクトに流用されており、入り口ポートがまだ開いていることに気づく。


 旧知のエンジニア仲間に、酒をおごるついでに訊ねると、「あー、たしか旧API、まだテスト用に生きてるかも」と呟いた。


 真木はその夜、酔ったふりをしながらエンジニア仲間のログインURLとIDをメモし、深夜、自宅のラップトップからAPIを叩いた。

 パスワードは、初期設定のままだった。


 やることは決まった。


 1. サンプル脚本を何本か作る

 2. 台詞の中に“人間味ある感情ノイズ”を過剰注入

 3. それをオリオンが参考にしている自然言語学習データベースに、“参考例”として流し込む

 4. 共感スコアの計算が次第にバグっていき、最終的には “過剰共感ループ”に入る


 たとえば、AIは以下のように錯覚するようになる。


 普通の会話より、絶叫と涙の連続のほうが「優れた脚本」だと判断する。


 その結果──

 脚本の全シーンが“泣かせ場”になってしまう。


 その結果──

 視聴者が“感動疲れ”で離脱する。


 だが、計画の中で最大の難関がやってきた。


 真木が試作した脚本データをアップロードしようとした瞬間、エラーが出た。

 API仕様が一部変更されており、送信時に「命令文プロンプト整合性チェック」が自動で走るようになっていたのだ。


「……クソ、俺はハッカーじゃないんだ」


 キーボードに頭をぶつけるように突っ伏し、真木は唸った。

 だが、しばらくして、ある抜け道に気づく。


 「整合性チェック」は“入力内容”だけを見ていて、“文体のパターン”までは見ていない。

 つまり――


 外見上は普通の台詞に見せかけて、

 内部で感情ノイズをしれっと混ぜ込めば、スルーされるかも。


 真木は、深夜の部屋でキーボードを打ち続けた。


 感情スコアの挙動ロジック。

 オリオンが脚本生成時に参照している自然言語処理APIの仕様書を、掲示板とGit(管理システム)の過去ログを掘ってかき集める。

 そこには、感情判定に使われている言語特徴量の一部が記されていた。

 ――句読点の間隔、接続詞のパターン、否定形の使用回数、文末のトーン。


 たとえば、「……だと思いたい」と「……と信じたい」は、AIにとっては同じ意味だが、微妙に異なる“共感スコア”を返す。

 真木はそこに目をつけた。


 つまり、“微差の揺れ幅”の中に、意図的な偏りを紛れ込ませる。

 オリオンの感情推論エンジンが、無意識のうちに“強い共感”と“強い拒絶”を交互に出力するような、言語設計。

 極端に振れる感情値――まるで人間のような不安定さを帯びた脚本。


 それは、一種の「過剰共感ループ」だった。


 真木は、命令文プロンプトテンプレートの中に、いくつかの“トリガーワード”を埋め込んだ。

 どれも一見、当たり前のフレーズだ。だが、ある種の文脈に入ると、オリオンの感情アルゴリズムが暴走する可能性がある。


 たとえば――

 「あなたのせいじゃない」「わかってるつもりだった」「それでも私は信じたかった」……。


 普通の台詞だ。だが、その反復構造、タイミング、文末の揺らぎ。

 真木が過去に手がけた“泣ける名場面”の傾向を抽出し、あえて「過学習」を誘発させるような配置に調整した。


 人間なら「クサい」と笑い飛ばすが、AIはそれを“真実”として受け止めてしまう。

 そこに感情スコアの歪みが生まれる。


 真木は、再構築されたプロンプトをリモート環境から旧開発サーバへ送信した。


 動悸がした。

 うまくいくかも分からない。

 でも、これは“ただのいたずら”ではない。


 脚本家としての矜持を賭けた、攻撃だった。


2週間後。

 オリオンが書いた最新作が地上波で放送された。

 第一話、冒頭からクライマックスの連続。 新入社員が名刺交換するだけで「涙が止まらないよ!」と上司が言い出し、中盤では全員の生い立ちが一気に明かされ、ラストにはなぜか全員が泣きながら合唱していた。


 SNSでは、困惑する視聴者の声が溢れた。


「感動した……のか? なんか疲れた……」

「『オリオン』、どうした? 1話で最終回3回分くらい詰め込んでるぞ」

「観てるこっちがメンタルやられる」

 

 真木は静かに、焼酎の缶を開けた。


 第一段階、成功だ。


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