幕間:謁見と伝説

 空気が震え、天高く現れた黄金の魔法陣。


 そこから落下した、極彩色の光。


 天使の涙のように思えたそれは、戦場の絶望の匂いがする世界で、密集していた魔族を滅ぼした。


 それも、たった一撃で。


 ——そんな馬鹿げた与太話を、誰よりも近く、この目で見ていた。見てしまった。


「アーレス副長? どうされました?」

「……すみません、マレウスさん。目を閉じると、未だにあの極光が脳裏によぎるんですよ」

「あぁ……それは、我々も同じです。特にこっちは魔法師の部隊ですからね、余計に記憶から離れませんよ」


 スロングス王国の心臓たる王都。

 その中心地にそびえる王城の中を、燕尾服えんびふくを着た二人の男性が、慣れた足取りで歩いていた。


 見渡す限り灰色の石材で作られた廊下は王国の強固さを示し、窓から差し込む光は国の将来を表すように空間を照らしている。


 だが、向こうまで続く廊下には、二人の足音と声だけが冷たく反響していた。その他に、音はない。


「そういえば、副長はここ数日、その聖女様と行動してたんですよね。人となりとか、どうだったんです?」

「ずっと一緒だったわけではありませんよ。一緒だったのは団長の方です。その際、共に食事をさせていただいたこともありますが……一言で言えば、“人畜無害”です」


 左を歩くのは、王国騎士団副団長——アーレス・グランフィード。

 背筋を伸ばし、短い茶髪とキリッとした目つきをしたまま、一歩ずつ歩みを進めている。


 右を歩くのは、王国騎士団直属魔法師団団長——マレウス・ノスフェルン。

 若干の猫背と大きな丸メガネは、たとえ燕尾服を着ていても魔法研究者だと分かる雰囲気を放っている。


「美しい金髪、整った外見、洗練された所作。私は遠くから見ることしか出来ませんでしたが、やはり同じように思いましたよ。聖女という名に相応しい品格がある」

「……おっと、到着してしまいましたね。詳しいお話は、陛下と共にお聞かせください」

「そうですな」


 彼らが辿り着いたのは、廊下の終着点にあったドアの前だった。


 左右には、甲冑を着用し槍を持った護衛が立っている。

 二人はアーレスとマレウスの顔を認めると、槍を持っていない方の手で敬礼をした。副団長と団長である二人も、それを見て敬礼をする。 


 ——この光景こそ、この奥にいる人物の高貴さの証左であった。


「王国騎士団副団長、アーレス・グランフィードです」

「王国騎士団直属魔法師団団長、マレウス・ノスフェルンです」

「召喚の命に従い、参上しました」


 アーレスがその木の扉をノックすると、鈍い音が返り、その厚みと頑丈さを伝える。


 次いで、奥から「入りたまえ」と重みのある声が返ってきた。


「失礼します」


 扉を開ける。

 

 そこには、金髪の偉丈夫が座っていた。


 鋭い眼光は真実を見定め、その腕は民を幸福へと導く——たった一目見た瞬間に、そう思わせるほどの迫力が、彼にはあった。


 そのオーラが、二人を自然と跪かせた。


「スロングス王国国王、セリオール・エルダリオン・スロングス陛下におかれましては、ますますご健勝のことと——」

「そういう堅苦しいのはいいと言っているだろう、アーレス。お前の実直さは気に入っているが、砕けてる部分がないと女に好かれないぞ?」

「なっ、陛下! そのようなご発言は……!」


 セリオールは憐れむような笑みを見せ、目線をマレウスに合わせた。


「なぁ、マレウス。お前もだぞ? ノルナは別として、お前ら二人とも早く結婚して子どもを作れ。一応は戦場に出る身なんだ、子どもがいなければ跡取りがいなくてお家騒動必至だろうが」


 要件とは全く異なる話題で説教され、しかもそれが至極真っ当な——切り口は少しばかり下品だったが——言葉だからこそ、アーレスは返答に窮した。


 目線を外し、部屋をぐるりと見るが、話題を変えられそうなものはない。両側には本棚があり、本がぎゅうぎゅうに詰まっている。そして目の前には国王がいる。


 ここは彼の書斎だから当然なのだが、話題も相まってより狭く感じた。


 一方、マレウスも困惑することしか出来ず、互いに沈黙の時間が流れる。


「はぁ……愚痴混じりの説教をして悪かったな。そろそろ本題に入ろう」


 コホン、と咳払いを一つして、セリオールはそう言った。

 

「では、報告してくれ」

「はっ」


 彼の報告とは、学院の救援任務についてのことだった。

 その一部始終を、淀みなく、聞き取りやすい声で話し続けている。


(いつ見てもすごいな……いつの間にこんな報告の文章を考え、暗記してるんだ……?)


 自身も魔法師団の団長、つまり報告することの多いマレウスは、いつもこれを聞いて感嘆していた。

 簡潔に、淡々と、「あー」とか「えー」とかを何回も言いながらでしか出来ないのに……と悲観させられるのだ。


 そうしている間に報告が終わったのか、アーレスは「以上であります」と力強く述べ、口を固く結んだ。


「報告、感謝する」

「はっ。もったいなきお言葉」


 儀礼的な会話をした後、セリオールは顎に手を添えて思案に耽り始めた。


 しばらく経った後、彼はゆっくりと口を開く。


「聖女……ねぇ……そういや、俺も一度だけ見たことあったな。聖女の代替わりの時、式典に参列したのを覚えてる。あの時は確か、彼女は10歳くらいだった」

「えぇ、自分もそのように記憶しています」

「でも、今お前から聞いた話じゃ、まるで別人みたいだ。聖女らしさが増した——と言えば聞こえはいいが、聖女らしからぬ破壊力と、取り繕ったような可愛さ。 俺の知らない間に随分と変わったもんだ」


 椅子に深く腰掛け、自らの背後にある窓を見ながら、セリオールはしみじみと語る。


「ただ、確かにすごい。お前がその目で見たという黄金の魔法陣と、意味不明な魔法。それに、失った足を瞬時に再生する回復魔法。それに何より、そんな非常識な能力を持つ聖女がいながら、俺の耳に一切入ってこなかった学院の情報統制能力も含めてな」


 その声には、少なからず自嘲が含まれていた。


 一国の主として、そんな存在を知らなかったというのは、あまりに大問題だ。いくら聖女とはいえ、国に敵意を向ければ一瞬で滅びるのは確実。


 それを「知らなかった」で済ませるには、聖女アトラは強すぎるのだ。


「戦いでは、人間より数倍も強い魔族を一撃で葬る魔法を操り、味方には、致命傷すら癒やす魔法をかけられる。マレウス、お前にそれができるか?」

「無理です。帝国の六空法ヘキサ=エフェリオンでも、公国の虚禍津命うつろまがつのみことでも、両方をこなすのは不可能だと断言できます。魔族を葬るほどの魔法だけならば、あるいは……」


 王国で最も魔法に優れているのは誰か、と聞かれれば、大抵はマレウスか著名な冒険者の名を上げる。最近では、ルミナという冒険者がそれに当たるだろう。


 そして、世界に範囲を広げれば、六空法ヘキサ=エフェリオン虚禍津命うつろまがつのみことという名前が上がる。


 彼らは世界屈指の魔法師。

 この7人全員が、「国を一つの魔法で滅ぼせる」というようなスケールの伝説を持っている。


「——そりゃ、聖女に勝てる回復能力があったらそいつが聖女になるよなぁ」

「陛下、一つお聞きしたいのですがよろしいですか?」

「何だ、アーレス」

「先代の聖女様は、どれほどの回復能力があったのですか?」


 遠い目をするセリオールに、アーレスはふと生じた疑問をぶつける。


「まぁ、失った指とかくらいは生やせたな。幼い子どもであれば、失った腕も治せたらしい。だが、そんなことをした日は魔力体がオーバーヒートして逆に介抱される側になっていた」

「ちなみに……攻撃能力の方は」

「アンデッドを浄化することは出来た。さすがにそっちの道で右に出る者はいなかったな。そもそも聖女の戦闘記録なんかそうそうないから、詳しいことは分からない」


 では——と、続けてアーレスは言葉を紡ぐ。


「現在の聖女候補はどうなのでしょうか。教会本部で養成中と聞きますが」

「いや、あれはまだ使い物になっていないそうだ。無論、そこそこの回復能力はあるらしいが、経験が足りていない、と」


 そこで会話が途切れ、書斎は沈黙に支配された。

 あまりの情報量の多さに、そして当代聖女の異質さに、どこか畏怖しているのだ。


「よし、決めた——」


 そう言って、セリオールの顔色は「国王」のものになった。

 二人も気を引き締め、王の言葉を待つ。


「——スロングス王国国王として、我が臣下に命ずる。当代聖女アトラ・ルミディーナを、必ずやこの国から出すな。懐柔し、他国から守り、そして生かせ。彼女はいずれまた何か大きなことを引き起こす。それが良いことならば、爵位を授爵して縛り付ける」

「「はっ!」」


 アトラ・ルミディーナ。

 それは、当代聖女。


 そして——スロングス王国に目をつけられた、史上最強の聖女。


 帝国や公国が、彼女の名を——その強さを知るのは、そう遠い未来ではない。


 =====


 次回は再び学院に視点が戻ります。

 平和な学院生活、普通に僕としても羨ましいです……

 

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