竜聖教という存在
夜間から明け方にかけての巡回を終えてひと眠りしたギストは唐突な空腹感に目が覚めた。
もそもそと寝台から抜け出して、顔を洗ったついでに髭を剃ったあと、何か食うものはないかと使われた形跡のない厨房を漁ってみたが、見事に何もない。基本的に食事は外で済ませているため、当然といえば当然だが、なんともやるせない気持ちになる。
街から与えられている古い一軒家は、傭兵たち数人と利用している。宿の部屋よりいくらか広めの個室を与えられ、近所の老婦人が定期的に清掃にも訪れるため、なかなか恵まれた環境ではあるのだが、食事と洗濯は自分たちでどうにかしてくれと言われている。街の外の巡回のついでに野宿ということもあるため、傭兵たちの生活に合わせてはいられないということだろう。
カイはまだ寝ているようなので、一人で食事に出ることにする。さすがに鎧は身につけず、剣だけを佩いて外に出る。昼過ぎということもあり、どこの店もまだ混み合っているだろう。適当に屋台で買って食べるかと、ギストは大あくびをしながら考える。
屋台が立ち並ぶ通りは、街の住人だけでなく、鉱山の工夫たちの姿もある。一応工夫たちには街から三食が提供されるが、味も量もいまいちということで、懐に余裕がある者は屋台通りに流れて込んでくるのだ。
何を食おうかと、屋台を覗き込みながら歩いていたギストは、正面から歩いてくる若者に目を留める。留めるというより、否応なく視界に飛び込んできたといっていい。覆うものなく空から降り注いでくる陽射しを一身に浴びているような、金色に光り輝く存在。ファズだった。
表現は悪いが、かつて一族が人狩りに遭っていたのも仕方ないと納得させられる。見るからに、特別な外見なのだ。だが当人は頓着していないのか、両手に串焼き肉を持っており、唇の端にはべったりとタレがついている。高貴な見た目も台無しのありさまだが、ファズのほうはギストに気づき、人懐こい笑顔を向けてきた。
成り行きで、通りに並ぶ長卓で一緒に食事をすることになる。ギストは、薄焼きパンに味付けした細切れ肉や野菜を挟んだものと、果実水を買った。ファズのほうは、手早く串焼き肉を口に押し込むと、追加で、挽肉とすり潰した芋をバターたっぷりの生地で包み焼いたものを抱えてきた。
「今日は相棒はどうした?」
それぞれまず一口目にかぶりついてからギストが問うと、ファズは軽く眉をひそめた。
「部屋で薬を作ってる。けっこうあちこちから注文が来るらしいんだ。値段が高い回復薬とかよりも、傷薬とか胃薬のほうが。あー、あと、痛み止めの需要が高いとか言ってたかな」
「……ここに来て一週間だったよな。すっかり市場の動向を掴んでるな。詰め所に売りに来てくれたら、買うぞ。傷薬も胃薬も」
「ギストならそう言ってくれるだろうって、ハクジュも話してた」
しっかりしてるなと、ギストはつい笑ってしまう。
「ハクジュとしては、高く買ってもらえる回復薬も治癒薬を作りたいらしいんだけど――……」
「どうした?」
「作るときに場所が必要なんだ。特殊な道具と手法を使うから、大勢の人がいる宿屋というのはどうにも都合が悪いみたいで。あと、匂いが強い。いっそのこと、森で作るかと言い出して」
「やめとけ、やめとけ。森にいるのは獣だけじゃない。魔物がいないとも言い切れないし、後ろ暗い人間にとっては身を隠すにはうってつけの場所なんだ。そんなところで、薬術師が高価な薬を作ってるなんて知られたら、お前……」
だよな、とファズも納得したようだ。作業用の家を借りたいなら伝手があるから頼ってこいとギストが言うと、ファズは目を輝かせて頷く。
さらに話を聞くと、ファズはこれから、鉱山のほうに日雇いの仕事に向かうのだという。
「もう金には困ってないんだろ?」
「ハクジュの仕事を手伝えるわけでもないから。宿の中にいる限りは、剣持って側にいる必要もないし。だったら体動かしたいし、それで稼げるなら尚いいしと思って」
鉱山に入って鉱石を掘るのではなく、掘り出された鉱石を台車に積み込む仕事だという。
ちなみに鉱山から街の東門にかけては、鉱石を積んだ荷車を移動させるための線路が敷かれている。鉱山を開坑し始めた頃は、何も出ない可能性もあったのだが、それでも街から鉱山までの距離が近いからこそ、領主も思い切って着工したそうだ。まさか豊富な鉱石を運び出せるようになるとは思いもしなかっただろう。その荷車を護衛するのは領主の私兵の仕事だ。
工夫は気の荒い男たちが多いから気をつけろと、余計なお世話だと思いつつギストは忠告する。生まじめな顔で頷いていたファズだが、途中から何かに気を取られたようにふっと視線を逸らした。つられてギストが振り返った先にいたのは、目立つ白い法衣を着た数人の男女だった。屋台で食事を買い込んでいるようだ。
「……あの格好は、竜聖教の巡礼者だな」
古い言い伝えだ。この世界に最初に誕生したのは竜で、何もなかった世界に海と大陸を創り、生き物を誕生させたという。人が生まれたことで、その営みに興味を持った竜たちはある土地を棲み処とし、人を真似て自らも一族を成し、そこはいつしかラルメ楽園と呼ばれるようになった。
ラルメは、海の向こうの向こうの大陸――ヴェルドの秘境にあると言われている。竜を崇める竜聖教の教義にそう記されているという話だ。竜の末裔を自称する住人がおり、楽園を管理している。その近くには信者たちの集落があり、民族紛争の最中でも巡礼は強行されていたということで、狂信めいた行動に駆り立てる何かがあるのだろう。
ギスト自身は特に信心深いわけではないが、家は代々ヒルアラル教を信仰している。豊穣神・ヒルアラルは、温和で愛情深い女神で、女たちの護り神とも言われている。戦場に立つ人間が信仰するには勇ましさが足りないのではないかと言われるが、必要なのは癒しだ。
信者を眺めるファズの眼差しを、ギストはついつい観察していた。
竜聖教は、いささかクセのある存在だ。教義自体は特に好戦的だとか、露悪的というわけではなく、むしろ非常に平和的だ。信者も目立って多いわけではない。だが、それでも――政治的に影響が大きいといわざるをえない。
「立ち入った質問だが、お前、竜聖教の信者か?」
ギストの問いに、ファズは目を丸くしたあと苦笑した。
「いや、信仰はしてないけど、信者たちにはよくしてもらったことがある。いろんなことを教えてもらった。……純粋に竜を崇める信者と、竜の遺骸を利用したい信者が、教団でやり合っているらしい」
ああ、とギストは声を洩らす。竜の遺骸は実在している。竜聖教の信者がときおり、ラルメから持ち帰るのだ。それは竜鱗であったり、ほんの小さな骨片であったり、牙の先や爪の欠片など。そこら辺に落ちている獣のものを持ち帰ったとしたもわからないのではないかと言われそうだが、一目見れば、湧き出るような魔力の奔流に圧倒されるという話だ。
信者が捧げる誠意であったり信心の見返りとして、遺骸のわずかな一片がラルメの住人から与えられる。その一片が、大陸に在る国々の権力者たちの心をざわつかせる。竜は骸となったあとも、創世主としての力を失わない。わずかであろうが竜の遺骸を己が体に取り込めばどうなるか――。
「……ラルメには、選ばれた人間しか立ち入れないと聞いたことがある。ほとんどの信者は、ラルメの入り口で額づいて、ひたすら慈悲を願うと……」
「竜の遺骸を狙ってラルメに入り込もうとする人間はいくらでもいる。ヴェルドの戦士たちの間では、そいつらが持ってるものを奪うのは、いい稼ぎになった。結果として信者たちを守ることになるおかげで、竜聖教との関係は悪くないんだ。ヴェルドは」
「信者が多いのか?」
うーん、と軽く唸ったファズが、買い物を済ませて立ち去る信者たちの後ろ姿を見送る。
「ヴェルドの大半の人間にとって、竜は信仰の対象じゃない。なんというか……、遠くにいる家族、のようなものというか……。慕い、敬愛はしているが、神ではない。困ったときは助けを請うが、それは家族でもっとも偉大な人物を頼るという感覚だ。だから、竜聖教とは根本的に竜という存在の捉え方が違う」
ギストにはいまいちピンとこないが、ヴェルドという地にいて、ラルメがどういう場所なのか身近に感じていてこそ培われる考え方なのかもしれない。
つい話し込んでしまったが、時刻を知らせる鐘が鳴り始めると、ファズは慌てて包み焼きを口に押し込む。このときギストは、ファズが左右の人さし指に一つずつ嵌めている白乳色の指輪に目を留める。石から彫り出して大した加工もしていないような造形で、店に並べても売り物にならないであろう武骨さだ。何かしら加護を与えられた魔具であることは、ギストにもわかる。しかし、それだけしかわからない。魔具でありなら、完璧に魔力を隠蔽してあるのだ。
一瞬、もっと間近で観察したい誘惑に駆られたが、呼び止める前にファズは別れの挨拶をして慌ただしく走り去っていく。日雇い工夫を鉱山まで連れていく乗合い馬車が待っているらしい。
がんばれよとファズの背に声をかけ、ギストは薄焼きパンの欠片を口に放り込み、残った果実水を飲み干す。
さきほどのファズとのやり取りを思い返していた。多くの国民は知らないことではあるが、ギリアムル王国の王室はかつて、竜聖教の大神官から提供された竜鱗を保有していた。その竜鱗は現在は残っていない。いと気高き血統であろうとも、自分たちの御代が少しでも長く続いてほしいという欲望――願望に抗えなかったということだ。
結果、ギリアムル王国は長く続く平穏な時代を謳歌している。現国王には四人の御子がおり、皆健やかに育っている。近隣国と懸念されるような問題もなく、ここ数年はひどい凶作に見舞われることもない。ギリアムル王国は国王の下、ますます栄えていくはずだ。それもこれも、歴代国王が治世に尽力したおかげだ。
ふむ、と声を洩らしたギストは長卓に肘をつき、愚にもつかないことを考える。
もし仮に、この国に再び竜鱗――もしくはその他の竜の遺骸が持ち込まれたとき、何が起こるだろうか、と。
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