親切のお礼(1)
剣を磨いていたカイは、ふいに生ぬるい風と共に雨の匂いを嗅いで顔を上げる。開け放っている窓の向こうではいつの間にか雨が降っていた。まだ小降りといった程度なので気づかなかった。
「げー、とうとう降り出したか」
この時間に巡回に出ている連中はついてないなと思いながら、再び剣を磨き始める。
セアレンには四か所の警備の詰め所がある。第一詰め所は領主の私兵占有となっており、それ以外の詰め所を傭兵と衛兵が使っている。カイが今いるのは第二詰め所だが、一番人気は第三詰め所だ。すぐ側が、多くの娼館も営業している遊興区なのだ。通りを歩いていても白粉や香水の匂いがプンプン漂ってくる場所のどこがいいのかと、口には出さないがカイは思っている。
「おい、なんか妙なのがちょろちょろしてるぞ」
カイと同じくこの時間は待機となっている傭兵の一人が、どこかおもしろがるような口調で洩らす。猫でもうろついているのかとふっと口元を緩めたカイだが、視界の隅に金色と水色の何かがちらちらと揺れている。開け放たれている扉の陰に何かいた。
「おや、まあ――」
ついカイもおもしろがる口調となる。昨日助けた難民の若者二人が、わずかに顔を出して中の様子をうかがっていた。目が合い、カイが手招きすると、すぐに二人は入ってくる。
「すっかり元気になったようだな」
愛想よくカイが話しかけると、金色の髪の青年――ファズと名乗ったはずだ――が頷いた。もう一人はハクジュだ。
「昨日はありがとう。宿で休めたおかげで、俺もハクジュも出歩けるほどになった」
「礼を言うなら世話焼きのギストに言いな。とはいえ、今は野暮用で出かけているけどな」
「それはもちろん、会えることがあったら……。今日は借りたものを返しに来たんだ」
ファズとハクジュは小声で何かやり取りしている。カイはイスに腰掛けたまま、そんな二人を眺める。粗野なところが微塵もないどころか、所作の一つ一つが洗練されている。薄汚れた服を着ていようが、気品が滲み出ているせいで気にならないのだ。
ファズが銀貨一枚を長卓の上に置いた。
「これを、ギストに返しておいてもらいたい。それとこれを――」
ハクジュが布鞄から遮光瓶二本を差し出してきた。
「これは?」
「昨日受けた親切のお礼ということで。傭兵の仕事なら持っていても困らないかと思って。念のため、街の薬屋で鑑定してもらったから、安心して使ってほしい」
遮光瓶の口に括りつけられた小さな紙きれには文字が書かれている。目を通し、思わず口笛を吹いていた。
「豪気だな。いいのか? 回復薬を二本なんて。売ればかなりの金になるだろ」
「作れるから、いいんだ。使ってみて支障がないようなら、お得意先になってもらえると嬉しい」
薬師と薬術師は不足気味のうえ、医術師の施術は高価なこの街で、回復薬が作れる人間が滞在するとなれば願ってもない話だ。問題は、肝心の薬がいくらかという話だが、いざとなれば代官に支払わせればいいだろう。
最近、盗賊たちの影がちらつくようになり、詰め所もピリピリとした空気が漂いがちだったが、いくらか緩和されるかもしれない。傭兵が命を張れるのは、後ろ盾があっての話なのだ。
仲間の傭兵に、回復薬を保管庫に仕舞っておくよう頼んでから、カイは上機嫌で問いかける。
「お二人さん、この街に滞在するのに必要なものは買い込めたか?」
「あっ、いや……。金を作ったら、まっさきに借りた分を返しておこうと思って、まだ……」
「あまり荷物を持ってないようだったから、必要なものは急いで買っておいたほうがいいぜ。着替えだとか必要だろ。こっちは季節の変わり目だからな。昼間は暑いぐらいなのに、夜になると急に冷え込むことがある。旅人なんかは、それで具合を悪くして寝込むこともあるんだ。出歩くなら、しっかりとした作りの靴も必要だ。フルベンドラ方向は道が整備されていただろうが、それ以外の場所は期待しないほうがいい」
生まじめな顔で頷く二人を見ていると、俺もギストのことは言えないなと、カイは内心苦笑を洩らす。いかにも世間知らずで行儀のいい若者たちを放っておけないのだ。
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