第13話 敗北という名の設計図

 リゼット・フォン・アルベインは、思い出していた。


 まだ、リゼットが学院に入学前。

 勇者育成学院の教師選抜トーナメント、その決勝戦。

 彼女が観客席から見下ろしたアリーナで、一人の男が、まるで物理法則そのものを、自己の支配下に置いたかのようにふるまっていた。

 対戦相手――現役の騎士団長が振り下ろす剛剣は、空気の壁に阻まれたかのように軌道を逸れ、放たれた魔術は、男の影にすら届くことなく霧散する。

 男の動きは、戦闘というよりは、むしろ幾何学的な作図に近かった。

 最短距離と最適解のみで構成された、冷たい暴力のアルゴリズム。

 結果は、言うまでもなく圧勝。

 その場にいた誰もが、戦力差という概念を超えた、存在としての次元の違いを認めざるを得なかった。

 その男こそ――ユリウスだった。


 リゼットは、あの日の衝撃を忘れたことがない。

 本来ならば、別の学校に進むところを、自らの意志でリゼットは変更した。

 四大貴族、アルベイン公爵家に産まれた彼女にとって、自らの意志で何かを選択したのは、もしかしたら初めてのことだったかもしれない。

 

 それほどの衝撃だった。

 だからこそ、理解できなかったのだ。

 あれほどの力を持つ男が、なぜ、あんなにも無気力で、非効率な授業を繰り返すのか。


 だが、模擬試験で、その認識は完全に、そして劇的に覆された。


 ――アリア・クレシオン。

 あの魔法不全の少女が、リゼット自身をあと一歩のところまで追い詰めた、わずか10秒間の攻防。

 あれは、アリア自身の力ではない。

 彼女の背後にある、あの男の設計による戦闘だった。


 リゼットの脳内で、あの日の戦闘がリプレイされる。

 50秒間の徹底した防御。

 あれは、リゼットの攻撃魔法、魔力の波形、詠唱から発動までのタイムラグ、攻撃時の思考の癖、その全てをインプットするための、露骨な情報収集だった。


 そして、10秒間の反撃。

 収集、解析したデータを基に、リゼットの防御が最も脆弱化する一瞬を正確に狙い撃ち、最適化された物理攻撃を叩き込む。


 どうだ。お前らなど相手になるものか。


 まるで、そんな声まで聞こえてくるようだった。

 そして最後には、アリアに意図的に戦闘を放棄させる。

 それは、アリアという戦力の潜在能力を、他の誰にも悟らせないための、巧妙な情報隠蔽なのだろう。

 持ち駒として利用するための手段のひとつか。

 あるいは、自分以外の指導を入れないためか。

 いずれにせよ、大切にされているのは確かだった。


「……なんて男」


 リゼットは、自室のベッドの上で、思わず身震いした。

 自身の認識を超えた存在に対する、畏怖とでも言うべき精神的な反応。

 あの男は、やる気がないのではない。

 次元が違うのだ。

 この学院で繰り広げられる、生ぬるい英雄ごっこなど、彼にとっては退屈なままごと遊びに過ぎないのだ。

 確信した。

 この学院で、真に学ぶ価値のある人間がいるとすれば――それは、あの男しかいない。


 本来、彼の指導を受けるに最も相応しいのは、このわたくしだ。

 最高の指導者には、最高の生徒を。

 それがリソース配分の最適解であることは、論理的思考力を持つ者ならば自明の理であろう。


 ただ、それだけではなく。

 もっと純粋な、知的好奇心。

 あるいは、未知への渇望。

 あの深淵を覗いてみたい。

 あの男が構築する戦闘理論の、その根幹に、この手で触れてみたい。

 ユリウスを師として、新たな世界を知りたい。


 しかし、その本心を認めることは、リゼット・フォン・アルベインのプライドが許さない。

 彼女の思考は、即座に建前という名の鎧で本音を覆い隠し、あくまで学院全体の利益のため、という大義名分を再構築する。


「……わたくしが、あの人を、真の教育者としてみせる」


 リゼット・フォン・アルベインは、固く、そう決意した。

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