その日が終わった、平穏が終わった





 目を開けると見覚えのない景色だった。


「知らねえ天井だ」


 ふと思いついたフレーズだった。


「保健室の天井を知らないのは幸せよね」


 予想してない相槌。

 びっくりして目を向けると、パイプ椅子に腰掛けた金髪普乳エルフ美少女がいた。

 ジャージ姿じゃない。

 王武の女子制服のキリエ・パーシヴァルだった。


「……キリエ・パーシヴァル?」


 読んでいたのだろう文庫本をパタンと閉じて、淡い桜色の唇から息を吐いた。


「寝て起きたら情報が揮発するタイプ?」


「そうじゃない。なんでここに?」


「あんた、自分がなにをしたか憶えている?」


 なにをしたか?

 翔騎は記憶を思い出すように視線を中に巡らせてから気づく。


「ここ保健室?」


「さっき言った」


「で、俺は保健室送りになったと」


「そ」


「……エルフがエロフだっていうのは本当だったんだ!?」


「なんでそうなる!?」


「いやぁ! 襲われる! 喰われる! すいません、まだ童貞だけどせめてデートの一つでもドキマギ経験してから大人の階段登らせてください! まだ自分若いんです! せめて、せめてラブコメみたいに女子の手握ったりさせてくれ! お慈悲を~~!!」


「エルフを何だと思ってんのあんた!? 貞操感覚壊れてると思われてる???」


「え、違うの? 普通に清楚だったり?」


「いや、うちのママは週に十回ぐらいサカっててたまったもんじゃないけど」


「えっ」


「何言わせてんのよ!?」


 そっちが勝手に言ったのでは?

 そんな抗議は掌底の一撃で沈黙させられた。

 中々に腰の入った一撃でした、つおい。


「く、首が痛い」


「自業自得でしょ」


「で、俺なんでこんなところに?」


「そこからやり直しなの」


「いや、まて、ちょっと憶えている。えーと確か……斬りにいって、んでなんか指が動いたのがみえて、やばい気がしたから頭を下げたような……」


 翔騎の言葉に、キリエの目つきが細まった。


(やっぱり見えていたか。不可視の風刃の所作に)


 ファーストブラッドの決闘。

 あそこで仕掛けていたキリエの初撃。


 自分がレイピアで対峙するのと同時に

 単独で行う挟み撃ちの連撃だった。

 相手はCクラス、どちらもかすり傷程度に抑えるつもりの配慮をするつもりだったのだけれども。


(こいつの動きが早すぎてそんな暇もなかった)


「そんでえーと確か上手く歩け、いや走れなくて……切り上げて……」


 誰に言うためのものじゃないだろう。

 思考を整理するように呟く翔騎の言葉に、キリエは細長い耳を傾けて。


「――なんか掴んだ気がする」


「おらぁ!!」


「ぐぼえ!?」


 二度目の掌底。


「ぉご……右の頬を打ったら、左の頬も打てってそういう意味じゃないと思うんだ」


「あんたが悪いと思うわ」


「俺が何をしたっていうんだ!?」


「セクシャルハラスメント」


「憶えてないけどごめんなさい!!」


「素直ならよし!」


 全力の謝罪。手早い許諾だった。


「ま、まあ、こっちもやりすぎたからおあいこってことでこの話はここまでにしましょう」


「お、おう」


 真っ赤な顔になってキリエに、いやマジでなにをしたんだろうかと翔騎は疑問に思ったが、すぐに打ち消した。

 これ以上は命と首が危ない。


「頭大丈夫?」


「スムーズな罵倒やめてくれ」


「頭痛がするとか、変なめまいがするとか、そういう意味よ」


「首が痛いし、頬が痛いです」


「はい」


「氷嚢あざっす」


 渡された氷嚢をほっぺに当てつつ、息をする。

 特に不具合は感じない。


「あんた強化の暴発をしてぶっ倒れてたのよ。鼻血もどばどばで」


「マジで」


「本当。霊力の出力はちゃんと絞って使いなさい、制御出来ずに手足がボーンって吹き飛んで死ぬ事故なんて聞き慣れてるでしょ」


 霊力による人体自傷。

 保有霊力の高い人間に起こる有名な事故だ。

 霊力の操作というのは手足の動かし方と違ってそれが出来るか出来ないか、本当に個人差がある。

 低い保有量ならともかく生まれつき高い霊力を持っていると何を起こせるかもわからずに自分のみならず、他人や傷つけることだってある。


 霊力の存在が世界中で認識された結果だ。

 あると知っているからこそ意識し、イメージしてしまう。

 そして霊力はそれに応えて動いてしまう。どれほど不自由で意図しないものだったとしても。


 桜煌は多感な十代の少年少女の霊力制御を学ぶための環境でもあるのだ。

 あるいは爆弾に対する隔離施設であるともいえる。


「癒やし手の先生が治してくれたけどまだどっか痛みとか、しびれを感じるようなら精密検査受けたほうがいいわね」


「あ、ああ……保険の先生は?」


「二年のほうで手足が吹き飛んだ奴が出たって、さっき出てったわ。おかげで私が伝言役よ、まったく災難だわ」


「なんであー……キリエ、さんはここに? もしかしてずっと見ててくれたとか?」


 親切といえば親切だろうが、あの瞬間まで初対面の相手だ。

 そんな彼女がなんでここ保健室にいるのだろうか。


 もしかしたらというドギマギをしてしまったのは、思春期の青少年としてはしょうがないと思う。


「いや、あんたに用事があって今さっききたばっかだけど?」


「そうですよね……」


 何勘違いしてんの? という被害妄想混じりの目線で甘酸っぱい夢は打ち砕かれた。


「んじゃ、これ渡しておくから」


 キリエはもっていた文庫本を仕舞った鞄から、分厚いクリアファイルを取り出した。

 ベットの目の前に置かれたファイルは少し分厚い。


「なにこれ? 学校の宿題?」


「クラス替えの書類。あんた、明日からAクラスだって」


「え」


「じゃ、これからよろしく~。ク・ラ・ス・メ・イ・ト、さん♪」


 後ろ手に手を振って、キリエは去っていった。


 残されたのはたった一人。

 一方的に渡された書類を抱えた翔騎だけ。



「俺が……Aクラス?」



 わけがわからないままに。

 その日の学校が終わった。



 彼のこれまでの日常はわけのわからないまま、ここに終わりを告げた。


 もう戻らない。


 もう戻れない。

















「……彼をAクラスに? Cクラスでしょう、幾らなんでも唐突過ぎます。せめて転入の試験、いえ専用の授業を行うべきでは?」


「私がそう判断した。訓練はAクラスで行う」


「横暴すぎます! 彼の人生を何だと思っているのですか、素人がAクラスなんかに」


「申し出る理由を聞こう、闇堂先生」


「あのままだと織部翔騎は望まぬままに大量殺戮を起こしかねん」


「殺戮?」


「あれは強くなりすぎている」


「まさか……敗人になっていないものが?」


「人語を維持して、今はコミュニケーションも取れているが、間違いないだろう」





「彼は――”ギフデッド”だ」





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