第5話 開幕のゴングと、癒し手の問いかけ
試合当日の早朝。ひやりと冷たい地下倉庫の空気の中、私は『癒しの勇者』セリオ様と静かに対峙していた。
彼の白い指が、私の切り札である『マギ・カノン』にそっと触れている。敵意は感じられない。けれど、その意図が読めず、私は警戒を解けずにいた。
「……君を、害するつもりはないんだ」
沈黙を破ったのは、彼のほうだった。その声は、澄んだ泉の水のように、穏やかだった。
「ただ……この杖から、とても悲しい音が聞こえたから」
「……音?」
「うん。君の、強い想いの音だ。『この学園を守りたい』っていう悲痛なまでの決意と、『破滅したくない』っていう恐怖の音。二つが混じり合って、泣いているように聞こえた」
彼の能力は、人だけでなく、物に込められた強い想いを感じ取ること。私の全てを、この杖を通して見抜かれている……?
「君は、たった一人で何を背負っているんだ?」
そのあまりに純粋な問いに、私は言葉を失った。誰もが見向きもしなかった、あるいは見ようとしなかった私の内面を、彼はあっさりと見抜いてみせた。
「僕は、君の敵にはならない。ただ、君があまり自分を追い詰めすぎていないか、心配なだけなんだ」
セリオ様はそう言うと、私の手にそっと触れた。彼の指先から、小さな回復魔法の温かい光が灯り、強張っていた私の心を、ほんの少しだけ溶かしていく。
彼はそれだけ告げると、何も聞かずに、朝霧の中へ消えるように静かに去っていった。
残された私の心に、彼の不可解な優しさが、新たな波紋のように広がっていた。
☆ ◇ ☆
試合会場の選手控室は、独特の緊張感と熱気に満ちていた。
「イチカさん!」
息を切らして駆け込んできたのは、レオン君だった。その手には、最終調整を終えた『マナ・コンデンサー』のコアパーツが握られている。
「僕の知識と、あなたの才能の結晶です。絶対に、勝ってください!」
「ええ。ありがとう、レオン君」
戦友からの激励に、私は力強く頷いた。
「――やあ、盛り上がってるね」
入れ替わるようにひょっこり顔を出したのは、カイ様だった。
「ご愁傷様。初戦の相手、バルガスはリリアから『アバカス嬢の杖を破壊すれば、特別報酬を出す』と持ちかけられているらしい。狙いは君じゃなく、その杖だ。せいぜい頑張りなよ」
「ご忠告、感謝いたしますわ」
彼なりの激励を背中で受け止め、私は戦いの舞台へと向かう。アレス殿下が控室の前をうろうろしていたことなど、今の私には知る由もなかった。
「第一試合、イチカ・フォン・アバカス選手 対 バルガス選手! 始め!」
試合開始のゴングが闘技場に鳴り響く。割れんばかりの歓声の中、対戦相手のバルガスが、その巨体を揺らして猛然と突進してきた。その狙いは、カイ様の警告通り、私本人ではなく、私の構える杖『アバカス』ただ一点。
「おおおおっ!」
「――させませんわ」
私は冷静に距離を取り、『アバカス』の変形機構を起動させる。
『
杖から放たれた光が、半透明の障壁を形成し、バルガスの大斧による一撃を受け流す。さらに、彼の足元を狙って捕縛用のワイヤーを射出。トリッキーな戦い方に、観客席から驚きの声が上がる。
だが、バルガスのパワーは私の想像を遥かに超えていた。
「小賢しい真似を!」
ガキン、と耳障りな音を立て、ついに防護障壁が砕け散る。私は体勢を崩し、後方へと大きく吹き飛ばされた。
「小細工はそこまでだ、悪役令嬢!」
勝利を確信したバルガスが、必殺の一撃を叩き込むべく、その大斧を天高く振りかざす。
絶体絶命。誰もがそう思った、その瞬間。
――私の口元が、不敵な笑みを刻んだ。
この状況こそが、私が待ち望んでいた、完璧なカウンターのタイミング。相手が最大の一撃を放ち、その動きが一瞬だけ静止する、この刹那を。
「――起動承認。
私の声に応え、杖が瞬時にその姿を変える。凝縮された魔力が、声も出せないほどの眩い光の奔流となり、振り下ろされる大斧ごと、バルガスの巨体を飲み込んだ。
轟音。閃光。そして、静寂。
・ ・ ・・・
土煙が晴れた時、そこに立っていたのは私一人。バルガスは闘技場の壁に叩きつけられ、完全に意識を失っていた。
「しょ、勝者、イチカ・フォン・アバカス!」
審判の呆然とした声が響き渡り、一瞬の沈黙の後、会場は爆発したような大歓声に包まれた。
「すげえ……なんだ今の魔法は!」
「アバカス嬢、強すぎる……!」
貴賓席で見ていたリリアが、扇子を強く握りしめ、屈辱に顔を歪ませているのが見えた。
私は勝利の余韻に浸る間もなく、騎士の礼儀として、倒れた対戦相手に駆け寄った。
その時だった。
破壊され、見るも無残な姿になったバルガスの大斧。その砕けた柄の部分に、微かな魔力の残滓が揺らめいているのを見つけた。
これは、魔力を効率化するための、極めて微細な『からくり』による強化改造の痕跡。リリア側も、不正をしていた……?
その瞬間、私の脳裏に、昨夜捕らえたチンピラの言葉が雷のように蘇った。
『……もう、遅いぜ。本当の、狙いは……そっちじゃ、ない……』
――そういうことか。
工房への襲撃は、陽動。私をそこに釘付けにしている間に、彼らはもう一つの任務を遂行していたのだ。この、違法改造された大斧を、バルガスに届けるという任務を。
ぞくり、と背筋が凍る。リリアの策略は、私が思っていたよりも、ずっと深く、狡猾だった。私は静かに立ち上がり、貴賓席に座る聖女を、冷たい瞳で見据えた。
本当の戦いは、まだ始まったばかりだ。
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