第5話 突然の提案

 それから約1ヶ月、あきらは毎晩ラジオを聞きながら受験勉強をし、放課後にはバンドの仲間と練習をした。

 12月にも入り、まち行く人々は厚手のコートを身にまといはじめた。

 高校へ行くまでのイチョウの並木も随分と葉を落とし、時折吹き付ける乾いた冷たい風に枝を尖らせている。

 冬に近づくにつれて世界はだんだんと彩りを失っていくが、なぜかそれにともなって却って様々なものの輪郭が鮮明に浮き彫りにされてくるようでもあった。

 手塚あきらは、野々山ひろしと、暖房のあまり効いていない学食で、今日も昼を食べていた。少し離れたところでは、古文の林が相変わらず箸で焼きめしを食べていた。


 あるときあきらとひろしは、なぜ林先生はボロボロと米粒をこぼしながらも箸で焼きめしを食べることに固執し続けるのか、色々と想像し合った事があった。

 彼には病気の母親がいて、その母親の病気が治るようにとスプーン断ちをしているのだとか、あるいは古文の先生であれば日本文化を大切にしなければならず、そのためには箸を使わなければならないと考えているのだ、など。もしくは、彼は比較的目立たない先生だったので、箸で焼きめしを食べ続けることで生徒からの注目を得ようと目論んでいるのだ、と想像を膨らませた。

 しかしながら、いずれにしてもことの真相は謎のままで、彼は生徒からどのように噂をされているのかを知ってか知らずか、毎日箸で焼きめしをつつき続ける。白髪交じりの頭でうつむきながら食べているその姿は、どこか泣いているようにも見えた。

 おそらくそれは、あきらたちが卒業をしたあとも、あるいは彼の赴任先が変わろうとも変わることはないのであろう。

 そんなことを話している内に、2人はなんだか悲しくなってその話題をやめたのだった。


 「そろそろ、ライブやな」


 ひろしが紙パックのジュースをストローで飲みながら言った。


 「ああ」


 あきらは答えた。その目には自信のようなものがのぞいていた。実際、この1ヶ月ほどの練習で、ベースの腕はかなり上達していたのだ。


 「ところでさ・・・」


 ひろしは急に声をひそめて切り出した。


 「ところでさ、お前、好きなやつとか、おんのか?」


 「はぁ?」


 突然のことに、あきらは顔を赤らめながらびっくりした声を出した。


 「何やねん、いきなり」


 「いや、だからさ、お前好きなやつがおるんかって?」


 「そやから何でそんなことを急に聞くんやっちゅうねん」


 「いや、もうすぐライブ本番やろ。それでな、実はな、おれある子を誘おうと思ってるんや」


 「ほう」


 「それがな、うちの高校の子やなくて、中学んときの同級生なんや。橋本っていう子で、お前ほら、帰り道に商店街通るやろ、そこの入ってすぐの右側に漬物屋があんの知ってるやろ、そこの子なんやけどな」


 「ほう」


 「ほう、とちゃうやろ。おれが言うたんやから、今度はお前が言えよ」


 「なんでやねん」


 あきらは手を大きく振った。


 「なんでって、当然やんけ。おれが言うたんやから、次はお前の番やろが」


 あきらの頭の中にはその時、ハードロック好きのラジオネーム「さくらんぼ」さんのことが浮かんでいた。その子のことを、なんとなく言いたいような、言いたくないような。言ったらきっと呆れられてしまうだろう。

 するとひろしが、


 「まあ、言わんでもお前の場合はほとんど分かってるけどな。篠原やろ?」


 「えっ、ちがうわ」


 あきらは否定した。篠原というは、よくあきらに声をかけてくるピアノの上手な女の子だった。


 「うそつけ。お前いっつもあいつと仲良うしゃべってるやんけ。みんなも多分そう思ってるぞ」


 「ええ、うそやろう」


 「ほんまや、ほんま」


 あきらは「さくらんぼ」さんのことを言おうか言うまいか、思いが頭をぐるぐる回っていたが、迷っている間に口のほうが勝手に先走ってしまった。


 「いや、実は別に気になっている子がおるんやけどさ・・・」


 そしてあきらはついに、ラジオの女の子のことをひろしに告げてしまったのだった。顔がとても熱かった。汗が体中から吹き出してきた。

 どういうわけか、隣のテーブルのカレーライスの匂いを急に感じるようになった。

 窮地に立たされると、人はその危機から逃れようと、無意識のうちに五感を鋭敏にするのかもしれない。今のあきらは嗅覚が鋭敏になったのだろう。


 「なんかおれ、急にカレーパンが食べたなったな」


 しかし、ひろしはあきらの言葉を相手にしなかった。そして、


 「あきら、それはあかんやろ」


 と言った。


 「ラジオの女の子って・・・」


 「あかんかなぁ、やっぱり」


 あきらの眉はハの字になっていた。


 「あかんっちゅうか、なんちゅうかなぁ、ほんまの恋愛から逃げてるっちゅうか、そんな感じやな。なんかちょっと偉そうな感じで悪いけど」


 「お前に言われたないわ」


 あきらの顔がわずかに引きつっていた。


 「まあええわ。それよりな、おれはその子を誘おうと考えてるんやけどさ、お前も篠原を誘ってみろよ」


 「なんでそんなことせなあかんねん」


 あきらは一笑した。


 「いや、なんでってそりゃ・・・チャンスやからやんけ。好きな女の子をやな、ライブを口実に誘えるんやし、もしかしたらそこでええ格好見せたらその子と付き合えるかもしれへんやろ」


 「そやけどなあ・・・」


 あきらは気が重くなった。しかしその一方で、さっきひろしが言ったように、自分は恋愛から逃げているのかもしれないとも思った。確かにおれは、今まで告白もしたこともなく、ただ遠くから好きな子のことを―――ろくにしゃべったこともない相手なのだけれど―――見ているだけだった・・・


 「別に付き合ってとかそういう意味で誘うんやなくて、ただライブやるから見に来てやって、それだけやん。他にも誘ってるうちのひとりですよって感じでさ」


 「まあ、ちょっと考えとくわ」


 なんとなく言葉を濁しながらそう答えるしかなかった。

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