第12話

 陽が傾きはじめた山の端で、

瑠火は、結界の中央に膝をついていた。

四方に立つ陰陽師たちが、静かに札を掲げる。

淡く浮かぶ封印陣。風は止み、空気が張りつめる。

村人たちは結界の外で叫んでいた。


「やめてくれ! 瑠火様は悪くない!」

「この人が、何度も俺たちを守ってくれたんだ!」

「なんで……どうしてこんな……!」


札が輝き、陣がうなりを上げる。

その中心で、瑠火は静かに目を閉じていたが――

やがて、ふと瞼を上げ、結界の外を見つめた。

その目は、どこまでも澄んでいて、どこまでも優しかった。


「……泣くな。お前たちの涙は、俺には重すぎる。」


村人たちは、叫びを止められなかった。


「悪さをした覚えはねえよ。けどな――俺の力が争いを呼ぶってんなら、それはもう……災いなんだろう。」

「この村を護れたのなら、それでいい。俺のことは、忘れてもいい。けど……笑って生きろ。……それだけで、俺は十分だ。」


札の光が強くなる。空が軋むような音を立てる。

結界の内側に、白い光が降り注ぐ。

瑠火の羽が剥がれ、風が渦巻くように彼の身体から抜けていった。


「やめろォォ!」

「やめてくれええッ!」

 

誰かが結界に突っ込もうとするが、札の力に弾き飛ばされる。

それでも瑠火は、彼らの声を確かに聞いていた。

小さく、ひとりごとのように呟く。


「……お前たちに、救われてたのは……本当は、俺の方だったのにな……」


白光が彼を包み、ふ、と風が消えた。

黒羽がふわりと舞い落ちる。

彼の輪郭が揺れ、人間のような姿へと変わっていく。


ふら、とよろめく。

膝から崩れ落ちる。

背にあった翼も、力強い風も、もうなかった。


「……ああ、これは……こういう終わりか。」


ぽつりと呟いたその声は、風にすら届かないほど、か細かった。

封印陣が消え、陰陽師たちは無言でその場を去っていく。

誰も、瑠火の方を振り返らなかった。


だが――村人たちは、誰よりも早く駆け寄った。


「瑠火様!目を開けてください!」

「誰か、水を!薬草を!早く!」

「だいじょうぶ……大丈夫だから……っ」

「もう戦わなくていい、もういいんだよ……瑠火様……」

「お願い、死なないで……!」


倒れた瑠火の体を、まるで自分の家族のように抱き起こし、

彼らは泣きながら、名を呼び続けた。




 

 身体は燃えるように熱いのに、寒気が止まらない。

布団を何重にかけられても、指先が震えていた。

誰かの声がするたび、扉が軋むたび、

胸がちくりと痛んだ。

次々に村人が顔を見せる。

薬草を煎じてくれる老婆、握り飯を手に来る子ども、

黙って隣に座る若者。

誰もが口をそろえて言うのだ。


「瑠火様は、悪くない。」

「あなたが守ってくれた。だから、私たちは生きてる。」


そのたびに、心が少しずつ軋んでいく。

優しさが、まるで呪いのように胸を締めつける。


(俺が、誰も守れなかったのに。どうして……優しくするんだ……)

(違うだろ。俺のせいで、あの子は――)

 

責めてくれ。

怒ってくれ。

お前のせいだと。

そう叫びたくても、声が出ない。

どうして、自分をこんなにも許すのか。

それが、わからなかった。

 


そんなある夜。

枕元に、小さな皺のある手がそっと現れた。

古株の村の長老だった。

小さな椀に入った葛湯を、静かに置く。


「……皆が、お前を心配しておるよ。あの子も、そうだったじゃろう。」


瑠火は声を出せなかった。

その名を出されることが、何よりも怖かった。

老人はしばらく、黙って外を見ていた。

老人の手が、ぽん、と瑠火の手を握った。

驚いたように目を見開いた瑠火に、

老人はただ静かに笑っていた。

やがて、ぽつりと呟く。


「……お前さんは、悪くないよ。誰もお前を責めやしない。」


その瞬間。

堰を切ったように、涙があふれた。

生まれて初めての涙。

何度も「悪くない」と言われていたはずなのに、

どうしてか、この言葉だけが、胸に届いた。


「……俺は……俺は、守れなかったのに……っ」


言葉にならない嗚咽がこぼれ落ちる。

焼けるような熱と、押し寄せる自責の波の中で、

瑠火は初めて、人の前で泣いた。


老人が立ち去った夜。

誰もいない部屋で、再び熱がぶり返す。


意識は朦朧としている。

視界もぐらぐらと揺れて、現実と過去の狭間を彷徨っていた。


亡くなった子の笑顔が、ふと浮かぶ。

最後に交わした言葉も思い出せないまま、

瑠火は、ぽつりと呟いた。


「……すまない……」


声はひどく掠れていた。

けれど、一度出たその言葉は止まらなかった。


「……すまない……すまない……っ」

「……護れなかった……何も、護れなかった……っ」


どこにも届かない言葉を、

夜の帳に吐き出すように、繰り返す。


ああ、これが騙された罰なのか。

焦点の合わない瞳が、虚空を見つめていた。

だがそこには確かに、誰かの影が――

ずっと、心の奥底に残っていた誰かの影が、揺れていた。

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