第7話

 春の風が、木々の若葉を優しく揺らしていた。

枝の上に身を横たえた瑠火は、うたた寝をしていた。薄く開いた唇から、規則正しい呼吸が漏れる。黒く艶やかな羽根が風に揺れ、どこか気持ちよさそうに見える。

突然。

 

「「「いたーっ!」」」


という甲高い声に、瑠火の体がビクリと震えた。

羽根がばさりと広がり、枝が揺れる。

危うく落ちそうになりながらも、なんとか踏ん張って体勢を立て直す。

見下ろせば、木の根元に少年とその友達が立っていた。

子どもたちは口を押さえて笑っている。


「ごめんごめん、起こしちゃった?」

「でも今の見た? 羽根ばさーって! びっくりしすぎじゃない?」


瑠火はじっと彼らを見つめた。無表情のまま、小さな声で呟く。


「……脅かすのは、良くない。」


「えー、だって面白かった!」

「そうそう、しかも驚く瑠火さま、可愛い!」


「……可愛いくない。」


照れ隠しのように目をそらす瑠火に、少年たちはまた笑う。


春の風が、森を柔らかく撫でていた。

枝先に膨らむ若芽、冬を越えた土の匂い、花弁をつけ始めた木々――

命の兆しが、そこかしこで静かに芽吹いていた。

瑠火は、一本の古木の上に腰を下ろし、下で走り回る子どもたちの声に耳を傾けていた。


「ほら!この木の根っこに、何か埋まってるかも!」

「うそだ〜。それ昨日のやつだってば〜!」


どうやら今日は“森の宝探しごっこ”らしい。

子どもたちは大きな葉や、きれいな石、変わった形の木の実を見つけては歓声をあげていた。

ふと、ある少年が倒木の陰に入り込もうとしているのを見て、瑠火は低く呟いた。


「……もう少し奥、右手の地面を見てみろ。」


声は届いたのか届かなかったのか――

だが少年は、まるで導かれたようにそこを探り、やがて声をあげた。


「うわ!あった!すごい石!瑠火さま、見て見て!」


高く掲げられた手には、小さな水晶のように透き通った石。

それを見て、瑠火の唇がほんのわずかに緩んだ。


やがて遊びは“影踏み”に移った。

春の陽射しが葉を透かして地面に複雑な影を落とし、子どもたちはそれを追いかけて走り回る。


「ぜったい踏ませないもんねーっ!」

「うわああっ、速い〜!」

「まって〜!」


軽やかな足音と笑い声が、風に溶けていく。

瑠火は木の上から、そっと息を吐いた。

そして、自らの掌に微かに風を呼び込むと――

さらりと、一陣の風が枝葉を揺らし、影の位置をずらす。


「わっ、見えた!そこだーっ!」


少年が仲間の影を踏み、勝利のポーズを取る。

木の上で瑠火は、何も言わずその様子を見ていたが、

ふと隣の枝で小鳥が驚いて飛び立ち、思わずビクッと体を震わせた。


「……ッ……」


そして、そっと隣の枝に目をやり、小声でつぶやく。


「……驚かせるな……小癪な鳥め……」


どうやら、烏天狗としての“弱点”は、いまだ健在のようだった。

それでも、地上から子どもたちの声が絶えないことが、どこか瑠火の心を落ち着かせていた。


やがて、一本の長い枝を振り回しながら、少年が叫ぶ。


「見よ!我こそは森の王なり!」

「ちょっと!それ私が見つけた剣〜!」


チャンバラごっこが始まると、枝が次々と折れてしまい、子どもたちは不満げにうなっていた。

そのとき――


「……これを使え。」


瑠火が音もなく降りてきて、黙って一本の枝を差し出した。

手渡されたそれは太くてしなやかで、重さもあるがとても丈夫そうだった。


「うわ、すご……これ本物の刀みたいだ……!」


子どもたちは歓声を上げ、再び遊びに夢中になる。

瑠火はそれを見届けると、再び木の上に戻っていった。

遠くで花が風に揺れている。

鳥の囀り、子どもたちの笑い声、それを運ぶ春の風。

瑠火はふと、自分の胸の内にある小さな感情に気づいた。


「……こんな暮らしも、悪くない。」


人の世界は、複雑で脆くて、時に傷つける。

だが、こうして笑い合い、誰かと手を取り合う姿は――

どこか、美しかった。

春の光の下で、小さな平和が続いていく。

 

影踏みとチャンバラで遊び疲れた子どもたちは、大きな切り株のまわりに集まって腰を下ろした。


「お腹すいた〜!」

「今日ね、お母さんが大きなお団子作ってくれたの!」


それぞれが小さな包みや布に包んだお弁当を取り出して、並べる。

団子、干した果物、小さなおにぎり、冷ましたスープを入れた木の容器――

どれも手作りの、素朴であたたかいものばかりだった。


「……瑠火さまも、食べる?」


最初に声をかけたのは、あの少年だった。

料理など、食べたことがなかった、が。

躊躇いながらも、彼は干し柿を一枚、葉の上にのせて差し出す。


「これ、おれのお母さんが作ったんだ。甘くておいしいよ。」


ほかの子たちもそれに倣って、それぞれの食べものを小さく分けては葉にのせ、瑠火の前に並べていった。


「これ、お団子!お餅も入ってるの!」

「うちのはちょっとしょっぱいけど、おいしいよー!」


木陰に座った瑠火は、それをしばし見つめたのち――

ひとつの干し柿を指先でつまんで、口に運んだ。


「……甘いな。」


それだけの言葉に、少年たちは目を見合わせ、ぱっと顔を綻ばせる。


「でしょ!」

「うちのも食べてー!」


瑠火は無言で次々と手を伸ばし、すべてを少しずつ口にした。

特に感想を言うわけでもないのに、子どもたちは嬉しそうに笑い、時折彼の顔をうかがっては小さな声で笑いあった。

森の中には、小鳥のさえずりと、木々を揺らす風の音。

その中に、穏やかで平和な気配がゆっくりと広がっていく。


「……ごちそうだった。」


その一言に、みんなが「やったー!」と喜びの声を上げる。


ご飯を食べ終えると、もうひと遊びとばかりに、また森の中を走り出す子どもたち。

瑠火はそれを少し離れた場所から見守り、時折、落ちそうな枝を折ったり、道をふさぐ蔓をそっとどかしたり――

誰にも気づかれないように、影のように動いていた。


やがて、空が淡く茜色に染まり始める。


「そろそろ帰んなきゃ……」

「今日もいっぱい遊んだね!」


子どもたちは名残惜しそうに、切り株のまわりに残った食べかすや包みを片づける。

そして、振り返って大きく手を振った。


「また来るね、瑠火さまー!」

「明日はもっとすごい剣、持ってくるからねー!」

「今度はかくれんぼしようよ!」


夕陽に照らされた森の小道を、笑い声とともに子どもたちが駆けていく。

瑠火は木の上に戻り、空に沈んでいく陽を静かに見つめた。

静けさが戻った森の中に、ほんのりと残る笑い声の余韻。

あのぬくもりが、まだ肌の奥に残っているような感覚があった。


「……人間も、案外悪くない。」


独りごちたその声は、春の風に乗って、森の奥へとそっと溶けていった。

その羽根に、あたたかな光がひとすじ、ふわりと降りていた。

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