第25話 皆神父子と鐵也
鐵也が浄の父・蓮慈の治療を受けるに至った経緯を
語るためには、時を数日前にさかのぼる必要がある
その日の作業内容が軽微なのを理由に
響司が現場指揮を取ると言い出し、鐵也は強制的に休みにされた。
なんとしても自分を休ませたいという仲間達の気持ちを知る
鐵也は正直不満はあっても、しぶしぶ休息を取ることにした。
東京や川崎市と違って熱海は少し歩けば海がある。
美しい海をただ眺めるだけで休息になるので、
休日の鐵也は主に一人で海を眺めて過ごした。
しかしその日は、鐵也には目指す場所があった。
熱海市役所デブルス清掃課の職員たちに勧められた
ある病院にかかるためだ。
「皆神診療所に行けば、蓄積疲労もデブルス中毒も
なんでも治っちゃうんですよ」
皆神診療所のある
『なぎさ通り商店街』に向かって歩いた。
小さな商店や飲食店、民家と旅館が入り混じる
雑多な雰囲気の小さな商店街の、これまた小さな雑居ビル。
スナックの2階に居を構える小さな診療所が
皆神浄の実家である『皆神診療所』であった。
狭い階段を昇ると、診療所の玄関ドアは閉ざされ
貼り紙がされていた。
『 ひまなので釣りをしています。
患者さんは下記の電話番号に電話するか、
防波堤まで来てください。
皆神』
そんな言葉の下には電話番号と、
診療所から防波堤までの簡単な地図が記されている。
鐵也は電話せず防波堤に向かった。
階段を下りて路地に降り立つと、狭い路地の奥に青い海が見えた。
商店街や路地自体は東京でも盛岡でも珍しくない。
しかしそこに海が見えるのは、この街にしかない風景だった。
どんな観光名所よりも、熱海らしい景色ではないか?
鐵也は海に向かって歩きながら、そんなことを思った。
***
防波堤に着くと、釣り糸を垂れている男がいた。
それが浄の父・
蓮慈は鐵也に気づくと気さくに声をかけた。
「お~い金城くん、釣りしないか?
いいヒマつぶしになるぞ~」
どういう訳か、蓮慈は来熱初日に一回会ったきりの鐵也を
よく知っているようだった。
それに少し戸惑いながらも、誘いに乗った鐵也は
蓮慈から釣り竿を借り、釣りをすることにした。
「ここに座んなさい」と、ひっくり返したバケツを蓮慈は差し出した。
しばらく釣り糸を垂らしていると、イワシや小鯵などの
小さくて生きのいい魚がぽつぽつと釣れた。
釣りの間、鐵也と蓮慈は他愛のない会話を楽しんだ。
気難しい鐵也だが、なぜか蓮慈には心を許して語り合うことができた。
熱海で長年診療所を営む蓮慈が、聞き上手なのだろう。
…決して皆神浄に雰囲気が似ているからではない。
鐵也は頑なにそう思おうとした。
蓮慈は軽やかに笑いながら言った。
「金城くんは、浄から聞いたとおりの人だなぁ」
「…はァ」
「浄とはしょっちゅう電話で話すんだけどな、
きみのことを褒めてばかりだよ。
よくよく、あいつはきみのことが好きなんだろうな」
「……」
蓮慈の言葉に、鐵也は何と答えればいいのか分からなかった。
「…皆守も、他の連中も…なんで
俺なんかと関わりたがるのか、分かりません…」
鐵也の素直な言葉に、蓮慈は微笑んで返した。
「そりゃあ、みんな金城くんのことが好きなのさ。
きみは自分でも気づかないうちに
たくさんの人を助けているんだよ。
みんな、隙あらばきみに恩返しがしたいのさ」
蓮慈の言葉に、鐵也は顔を赤くして黙り込んでしまう。
しばらく二人で黙って釣り糸を垂れていた。
その沈黙は重いものではなく、
静かな波音に満たされた穏やかなものだった。
そんな中、蓮慈は出し抜けに言った。
「浄って、変わってるだろ?」
「…はァ、まあ」
「俺のせいなんだ。
小さな頃から
あいつには、ずいぶん苦労させちまったから」
「…そうなんですか」
動かない竿と釣り糸を見つめながら、
蓮慈はぽつりと言った。
「俺と浄に、血の繋がりはないんだよ」
蓮慈の突然の告白に、鐵也は内心ひどく驚いた。
琥珀色の眼を見開き、思わず蓮慈の横顔を凝視する。
「あいつは死んだ嫁さんの連れ子でね。
俺とは赤の他人なのさ」
鐵也の視線に気づきながらも、蓮慈は穏やかに続けた。
「……なぜ俺に、そんな大事な話を」
「なんでかなぁ…金城くんがあいつの味方をしてくれたら、
心強いと思ったからかな」
蓮慈は改めて鐵也をみつめ、静かに言った。
「実の息子じゃなくても、俺には分かる。
あいつは…浄は変だけど、優しいやつなんだ。
これからも愛想を尽かさず、仲良くしてやってくれると嬉しいな」
「…努力します」
「正直だなぁ。俺もきみのこと好きだよ」
ストレートな好意を惜しげもなく言葉にする蓮慈に、
鐵也はただ戸惑うばかりだったが
不思議と悪い気はしなかった。
***
一時間後、
蓮慈と鐵也は防波堤を後にした。
「今夜はこいつのフライで一杯やるかぁ」
のん気に呟く蓮慈に鐵也は話を切り出した。
「…皆神先生は、デブルス治療医なんですよね」
蓮慈は鐵也の方に振り返った。
「俺の身体を治してくれませんか」
鐵也の言葉に蓮慈は肩をすくめて応える。
「東京のデブルス治療医が
休養するしかないって言ったんだろ?
じゃあ俺にも同じことしか言えないよ」
飄々とした蓮慈に、鐵也は負けじと食い下がった。
「デブルス清掃課の一級清掃員達から聞きました。
皆神先生にかかったら清掃力の使い過ぎでバテても
すぐに治してもらえるって」
「……」
「もう過労で倒れるようなバカな働き方はしません。
でも、一日も早く仕事に戻りたいんです。
熱海には俺の土属性の清掃力でしか
できない仕事がある…
力を貸してください」
そう言って頭を下げる鐵也に
蓮慈は少しの間沈黙し、やがて頷いた。
「分かったよ」
その声に、鐵也は頭を上げた。
「快復のためのトレーニングメニューを組もう。
いざという時のために痛み止めも処方するよ。
ただ、俺の治療はきついぞ……我慢できるかな?」
「お願いします!」
こうして鐵也は、快復に向けて歩き出すのだった。
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