第7話「予告」
その日、柏木はいつも通りの時間に目を覚ました。
窓の外は灰色の空。梅雨前線が居座っているらしく、朝から雨脚が強い。テレビでは「記録的短時間大雨情報」として、同じ地域名が何度も繰り返されていた。
スマホを手に取り、ロックを外す。通知が十数件も溜まっていた。すべて天気アプリからの災害アラートだった。音を消していたはずなのに、なぜか耳の奥にその警報と雨の音が響いていたような気がして、背筋が少し寒くなった。
スマホの中に、見覚えのないアイコンが混ざっていた。
黒地に白い線だけで描かれた、何かのマーク。十字架にも見えるし、心電図の一部にも見える。
差し込まれた通知を見て、思わず手が止まった。
【死亡予告】◯◯県◯◯市△丁目、“次の死者”はあなたです。
なんの冗談だろう、と柏木は眉をひそめた。
アプリの名前は“End/line”。
そんなアプリ、入れた覚えはない。名前も聞いたことがない。App Storeにも履歴がない。そもそも、勝手に通知を送ってくるようなアプリなど、セキュリティ的にあり得ない。
――だが、通知は確かに届いている。
無機質な文字で、「次の死者」と名指しされたこと。
通勤電車の中でも、その文面が頭から離れなかった。
スマホを再起動しても、アプリは消えない。
設定からアプリ一覧を確認しても、“End/line”という名前は存在しなかった。
「……なんなんだよ、これ」
「“次の死者”って、どういう……」
そう呟いた柏木の耳に、雨音がさらに強まる気配がした。
その夜、柏木はニュースを見て青ざめた。
一人暮らしの若い女性が、増水した用水路に転落して亡くなったという。
そこは普段、彼が通勤路として使っていた道。アプリで表示されたあの住所だった。
だが、今日は忘れ物に気づいて一度戻り、別の道を通っていた。
そういえば、その時、女性とすれ違ったような気がする……
翌朝。柏木は起き抜けにスマホを確認した。
バッテリーは90%以上あったはずなのに、画面は真っ黒だ。
再起動する。すると、真っ先に表示されたのは、またあの通知だった。
【更新通知】“死者”が確定しました。次の死者までの残り時間:48時間
柏木は思わずスマホを放り投げた。背筋に冷たいものが走る。
これは偶然じゃない。そう確信に近い感覚があった。
“ニュースで見たあの女性が死んだからか?”
“もしかして、俺の身代わりになったのか?”
そう思った瞬間、胸の奥がギュッと掴まれるような息苦しさを覚えた。
夜。再び画面に通知が表示された。
【更新通知】“あなたの死亡予告時刻”を超過しました。アプリを終了します。
柏木はほっと息をついた。
予告が本当かどうかは半信半疑だったが、それでも予告が取り消されたことに安心した。
それから、“End/line”と名乗るアプリからの通知は途絶えた。
天気アプリのアラートも止み、外の雨も嘘のように上がっていた。
まるで何事もなかったかのように、日常が戻ってくる。
柏木は顔を洗い、シャツに着替え、朝食をとる。
歯磨きの最中、ふとスマホが小さく震えた。
眉をひそめ、洗面台の横からスマホを手に取る。
画面には通知が一件 ――あの黒地のアイコンだった。
【更新通知】設定を戻しました。“次の死者”は、やはりあなたです。
※予告の完了は取り消されました。
「……え?」
一瞬、意味がわからなかった。
予告の完了は取り消された? 終わったんじゃなかったのか?
柏木はそっと背後を振り返る。
誰もいない。部屋の中は静まり返っている。だが、空気が妙に重かった。
そしてもう一度、スマホの通知音が鳴った。
今度は、全画面表示。
逃げられないように、逃がす気がないように、黒背景に白文字が浮かび上がる。
【最終告知】“終了時刻”を迎えました。あなたの死亡予告は現在発動中です。
次の瞬間、耳鳴りのような音が部屋の中に響いた。
時計の秒針が止まり、スマホのバッテリー表示が乱れる。視界がチリチリとノイズに覆われ、現実の輪郭が崩れ始める。
――何かが来る。
玄関の向こうから、水音がした。
確かに雨は止んでいたはずなのに。だが、ドアの隙間からじわりと滲み出してくるのは、泥水のような黒い液体だった。
柏木は後ずさる。足元まで染みてきた冷たい液体に、膝が震えた。心臓の鼓動がどんどん遠くなる。
「……嘘だろ……」
思わずつぶやいた声も、自分の耳には届かなかった。
それは水ではなかった。
ひと粒ひと粒が、音もなく空気から命を吸い取っていくような、濁った“死”の気配を纏っていた。
床を這うそれが柏木の足首に触れた瞬間、呼吸が止まった。
肺が動かない。声が出ない。視界が、真っ黒に塗り潰されていく。
スマホが最後の震えを残し、画面を点滅させた。
【更新通知】“死者”が確定しました。次の死者までの残り時間:48時間
翌朝、柏木は自室の床で倒れているのを発見された。
先の大雨で行方不明とされていた。
死因は「溺死」とされたが外傷はなかった。
ただ、不自然に水に濡れた靴と、床に薄く広がった湿った泥の跡だけが、警察の記録に残された。
葬儀は静かに執り行われた。だが、柏木のスマホは――なぜか、電源が一度も入らなかった。
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