第49話(黒咲視点) 同棲生活スタート。そして……
一緒に暮らすようになってからは、とにかくパニックの連続だった。
ワンルームと呼ばれるタイプの間取りを、私は初めて体感したのである。こんな狭い部屋で人が生活できるものだろうかと、正直最初の時点では不安しか抱けなかった。
まさかトイレとお風呂が一緒の空間に同居しているとは思わず、湯船に浸かる和翔君のすぐ隣で用を足してしまったこともあった。本当に限界ギリギリまで差し迫っていて、どうしても我慢することができなかったのだ。
(は、恥ずかしい……)
シャーという音を聞かれながら、私は耳まで真っ赤になってしまう。一応シャワーカーテンで仕切られているとはいえ、男の子の隣でなんてことをしてしまっているのだ。
もしかしたらいま和翔君は、下半身丸出しの私を想像してしまっているのだろうかと考えだすと……やはりたまらなく恥ずかしい思いがした。
そんなわけで居室が一つしかない生活空間なので、夜も別々の部屋でというわけにはいかない。私は布団、彼は寝袋で、間に段ボールのついたてを挟む格好で寝ることになった。
(男の子と一緒の部屋で寝るなんて……)
お父様が知ったら何とおっしゃるだろう。亡くなった母だって、天国から見て呆れているに違いない。
そんなことを考えているうちに、歩き疲れていた私は眠ってしまっていた。寝言で「お母さん……」と呟いてしまった気がするが……どうだっただろうか。
翌朝は一人で登校しようとしたが、道が分からず迷ってしまう。結局和翔君に連れていってもらう形で、二人一緒に校門をくぐった。
そこで黒咲氷華ファンクラブ会長――会田君なる人物から恋人疑惑を向けられるが、冗談ではないと思う。少しばかり気になる男の子だからといって、それですぐに恋に落ちるような安い私ではなかった。
まあでも……。今もこうして学校まで案内してくれた彼に対して、いくらか気を許し始めているのは事実だ。
それに甘えて私は"お嬢様と執事の関係"なる設定を即興で作り上げてしまったわけだが、和翔君は小声で文句を言いつつも付き合ってくれた。彼の不器用な優しさを感じて、私はよりいっそう心を許してしまったものだ。
その日のお昼には、食べるものがない私のために和翔君がお弁当を差し出してくれた。朝食も摂らずに部屋を出た私を心配していたらしい。
その光景をクラスメイトの喜多君に目撃されてしまい、少々面倒な事態に。和翔君は意地でも私にお弁当を食べさせるといって、無理矢理手をとり屋上前まで引っ張っていった。
男の子から手をとられて、教室を抜け出すなんて……。まるで恋愛小説の一場面のような展開に、私はドキドキと胸の鼓動を高鳴らせていた。
生活費を稼ぐために始めたアルバイトでは、ミスしてしまった私をやはり和翔君がフォローしてくれた。店長さんに認めてもらえた時は、二人で喜びを分かち合ったものだ。
ただその後うっかり足を滑らせてしまった和翔君が……私の胸をわしづかみにしたことは忘れてしまいたい。せっかく感極まっていたというのに、まったくあの人ときたら……。
密かに憧れていたファストフード店では、本当はクラスの人たちと仲良くしたいのだと初めて吐露した。私がそんなことを言うなんてらしくないと思われるだろうかと不安だったが、彼は馬鹿にするようなことは何も言わなかった。
おもむろにナゲットのソースを差し出すと、シェアして食べようと提案してきたのだ。塩の振ってあるポテトの先に、私はソースをちょんと付けて食べた。
とてもしょっぱくて体に悪そうだと思ったが……忘れられない好きな味だ。
その後の文化祭や調理実習なども、和翔君の協力がなければ決してうまくいかなかっただろう。そして夏休み前には、もう一つ出来事があったなと思い出す。
三年生の先輩に呼び出されて、校舎裏で告白を受けたことがあった。どうやら学校の人気者らしく、たまにテレビで見かけるアイドルのような顔をしていた。
評判を裏づける誠実な態度で好きだと伝えてくださったが、私は「ごめんなさい」と頭を下げて断っていた。学園ドラマのような告白に憧れていたのに、なぜだろうかと自分でも疑問に思う。
そんな私の瞳から何かを読み取ったのか、察しのよさそうな彼はこう尋ねてきた。
「君が僕を受け入れなかったことには……。あの執事の同級生が関係しているのかい?」
和翔君が――? そんなはずないと思いつつ、私は少し考えるようにして視線を逸らしてしまっていた。
「……関係ありません」
再び目を見てはっきりと言い切る。そうする私の姿は、どこか自分自身にも言い聞かせているように感じられた。
「そう……。そうか……」
やはり何かを悟ったように呟く先輩。彼が去った後で、近くの岩陰に和翔君と喜多君が隠れているのを見つけた時は呆れた。
もしかして、私が何と答えるのか気になって見にきてくれた……なんて、まさかね。
夏休みには和翔君のご実家にお邪魔することになってしまい、私はひどく緊張したものだった。ただ和翔君のご家族にお会いするだけだというのに、どうしてあそこまで固くなってしまったのだろう……。
妹さんも入れて三人で花火大会に行った時は、「親子みたい」と言われ和翔君とともに真っ赤になった。だってもしそうなら、私と和翔君は夫婦ということになってしまうではないか……。
こうして思い返してみても、同棲生活はやはり大変で、黒咲の家で育った私には想像以上に過酷なものだった。
お部屋に洗濯機がないので、わざわざコインランドリーなる場所まで出向かなくてはならない。利用するたびにお金がかかるので、節約のために週に2回しか洗うことができなかった。
初めて和翔君とともに入店した時などは、隣り合った洗濯機を彼が間違えて開けてしまったために、私のショーツを見られる羽目になってしまった。
「これ……。黒咲のパンツだ!」
なぜそんな大きな声で叫ぶのか。バイト先で胸を掴まれた時に引き続いて、私は彼の頬に跡が残るくらいのビンタをお見舞いしてやった。
(どうしてこの人は……)
胸は触るし、下着には興奮するしで……たまにいいなと思うようなことがあっても、そのことごとくを台無しにしてしまう。
こんな破廉恥で残念な男の子と一緒に生活だなんて、つくづくやっていられないと思った。
(でも……)
夏休み最終日の夜に、彼が渡してくれた合鍵――。
私はいつも和翔君と行動を共にしているので、つまり一人で鍵の開け閉めをするような機会はなかったのだけれど、今も大切に持っている。
"氷の姫君"と呼ばれていた私をお嬢様としてではなく、対等な存在――パートナーとして彼は受け入れてくれた。
不器用でも目つきが悪くても、お金がなくてもたまに破廉恥なことをやらかしてしまっても――。
私は……そんな彼のことが――。
「……好き」
屋敷の大広間で、私は小さな呟きを漏らす。それと同時に、目から熱いものがこみ上げてくるのを感じた。
「海外なんて行きたくない……。許嫁なんて絶対に嫌……」
戸惑う父、そしてもう一人の視線を受けながら、私は自分の気持ちをはっきりと伝えた。
「私が好きなのは……和翔君」
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