第21話 はじめてのアルバイト

 ホールへと移動した俺たちは、お客様を迎え入れるための準備をする。店の入り口を開ける際、黒咲を振り返って確認した。


「外で待ってるお客さんは一人みたいだから、まずは俺がお手本を見せる。お前は二人目から応対してくれ」


 始めに手本を見せたところで、黒咲のバックアップへと回ろう。夕方の今はそれほど客が来る時間帯でもないため、序盤はある程度の余裕をもって指導にあたれるはずだ。


 黒咲はこくりと頷いて、いつでも大丈夫だと意思表示している。俺の技術を目で盗もうと、真剣な眼差しで見つめていた。


(そんな目で見つめられると、なんか俺の方が緊張してくるんだが……)


 美少女と評判の黒咲から熱視線を浴びて、一瞬体が熱くなりかけたが。今はバイト中だと思い出して、俺はドアに手をかける。


 お待たせしましたのかけ声とともに、外へ出て『準備中』の札を『営業中』にひっくり返した。待っていたお客様が入ってきやすいよう、ドアを押さえて開けたままにしておく。


 店内に入ったお客様は、ラーメン屋の制服を身にまとった美少女と邂逅し、一瞬ピクリと体が固まっていた。


「いらっしゃいませ」


 黒咲は柔らかな笑顔こそ浮かべられなかったものの、最低限穏やかな表情を作ることはできるようで、お客様に対して不快な印象は与えていなかった。


 むしろちょっとクールな雰囲気の美人店員に見つめられて、お客様はドキリとときめいているようだった。入る店間違えたかな……みたいな顔をしていた。


 ちゃんとラーメン屋で合ってますよと教えるために、俺はお客様に近づき案内を開始する。黒咲にお手本を示す意味でも、しっかりこなさなければならない。


「こちらの券売機で食券をお買い求めください」


 朗らかに対応すると、静止していたお客様ははっとなってメニューを選んでいた。


 その後、席への誘導などひと通りの案内を終えた俺は、黒咲のもとへ戻る。こんな感じでやってみてくれと伝えると、黒咲はどこか驚いたような表情をしていた。


「一条君……。学校で見るのとはずいぶんと印象が違うのね……」


 俺の働いている姿が、黒咲の目には意外なものとして映っていたらしい。そんなに怠け者なイメージなのかよ俺ってと思ったが、そういうわけとも違うようだった。


「少し……見直したわ」


 いくらか視線を外した黒咲は、呟くようにしてそう漏らしていた。どうして俺の顔を見られなくなってしまっているのか、俺にはよく分からない。


「なんかよく分かんねえけど、基本私語厳禁で頼むぜ? 今は業務に集中しよう」


 休憩室では黒咲とかモノローグしちゃった情けない俺だが、一年以上もこの店でバイトしてきた身なのだ。しっかり者でも黒咲は新人。先輩としてのエールを送った。


「……はい」


 黒咲は素直に返事をすると、もう私語を挟む気はないようだった。俺の錯覚なのかもしれないが、こちらを見る目にはどこか尊敬の念がこもっているように思われた。


(俺が黒咲から……)


 学校で完璧な活躍ぶりを見せる黒咲から……と考えると、妙にふわふわしたような気分になってしまう。


 が、十中八九俺の勘違いで気のせいだと思うので、余計なことは考えず目の前の仕事に意識を向けよう。


 ちょうど二人目のお客様がお見えになったので、黒咲の背中をそっと押した。物理的な意味ではないぞ。


「ほら。今度はお前が行ってこい」


 黒咲はやや緊張した面持ちだったが、うんと頷いて入り口へ向かった。「いらっしゃいませ」と声をかける黒咲の背中を、俺は少し離れた位置から見守る。


 おそらく黒咲は、初めてのバイトということでミスをやらかしてしまうだろう。庶民のラーメン屋に足を踏み入れるのも今日が初なのに、働く立場としていきなり上手くやっていけるはずがない。


 そうなった時のために、俺はいつでもバックアップに入れるようにしている。先輩として積極的に助けてやるつもりだった。


(大丈夫だ黒咲。俺がついてるぞ……)


 はじめてのおつかいならぬ、はじめてのアルバイト。小さな子供を見守る保護者の気持ちで、俺は黒咲の接客を注視していた。


「こちらの券売機で食券をお買い求めください」


 まずは俺がそうしてみせたように、券売機について触れている。セリフがまったく同じなのは、店のマニュアルでそう言うように決まっているからだ。


 続く着席案内でも、「空いているカウンター席へどうぞ」と危なげなくガイドしていた。


(本当に全部覚えたんだなあいつ……)


 定期考査では常に学年一位の座を譲らない才女だと、光也が確か言っていたな。抜群の記憶力はここでも効力を発揮しているようで、セリフをド忘れするようなヘマはしていなかった。


「食券をお預かりします。麺の硬さ・味の濃さ・脂の量、お好みはございますか?」


 麺やスープに関するカスタマイズ――。初めてのお客さんは独特のシステムに戸惑うこともあるのだが、黒咲は物腰柔らかな接客で自然に聞き出すことに成功していた。


 注文を店長らがいる厨房へ伝えると、来店したお客様への対応はひと通り終了だ。最後に丁寧なお辞儀をしてから、黒咲はいったん客のもとを離れた。


(あ、あれ……?)


 最初のフェイズを難なくクリアーしてしまった黒咲を見て、俺は自分の出番がまったくなかったことに愕然とする。まるでサポートの機会が回ってこなかった。


(これ、もしかして……。俺いらなくね?)


 敬語は元から完璧であるうえに、マニュアルのセリフなどもすべて暗記してしまっている。手順にも間違いは見られず、対応する際の所作は流れるように美しいものだった。


 加えて黒咲はどこか肝が据わったようなところがあるので、人と触れ合う接客の仕事でも物怖じしなかった。クラスメイトとの雑談など、打ち解けたやり取りが要求されるものは苦手なようだったが、機械的な伝達などはむしろ得意らしい。


(ぬ~)


 なんとなく腑に落ちないものを感じていると、黒咲が俺のもとに戻ってきた。仕事ぶりにおかしなところなどかなったかどうか、確認を求めている。


「どうだったかしら一条君。問題点があれば、先輩の立場から指南していただきたいのだけれど」


 黒咲の瞳からは、ぜひとも意見してくれというやる気十分な様子がビシビシ伝わってくる。熱心な後輩に、俺はとりあえずの感想を述べてやった。


「ま、まあまあかな……。新人にしちゃあいい方なんじゃねえの?」


 本当は歴一年以上の俺と比べても遜色ないどころか、所作やルックスなどを加味すると上回られてさえいたのだが、あえてそこまでのことは言わない。先輩としての威厳を失うまいと、俺は必死だった。


「……そうだ。お客さんが食べ終わった後の仕事を、今のうちに確認しておこう」


 夜になって忙しくなる前に、ほかの業務についても先取りして確かめておくことにする。誰も座っていないテーブルに移動して、実際にふきんで拭いてみせた。


「こんな風にして、お客さんが食べた後のテーブルをきれいにするんだ。カウンターも同じ要領でな」


 黒咲の家事スキルが壊滅的であることを、同居人である俺は知っている。掃除に関する能力についても、そのためからっきしだろうと予想していた。


 例えばふきんを卓上調味料にひっかけてしまうとか、いかにもやりそうではないか。醤油をこぼしたり、刻みしょうがを派手にぶちまけたりするさまが目に浮かぶようだぜ。


「ほい。こっちのテーブルでシミュレーションしてみな」


 実践してみろとふきんを渡すと、黒咲は特に動じることもなく落ち着いていた。あれ……? 家事系スキルは備わっていないはずなのだが……。


「承知したわ。では」


 隣のテーブルに移ると、すいすいとふきんをかけ始めた。何の問題もなく、普通にやってのけているではないか。


 ええ⁉ と俺は目を丸くする。家事などお手伝いさんに丸投げ状態だったお嬢様が、どうして普通に掃除できているのだろうか……。


 そのように尋ねてみると、やはりけろっとした様子で淡々と答えていた。


「お掃除は学校でやるもの。雑巾も絞るしトイレ掃除だってやるわ」


「あ……」


 学校で行う掃除当番――。高校生の今に始まった話ではなく、小学生時代からやっていたはずだよなと思い当たった。


 そのためテーブルやカウンターの拭き掃除だけでなく、客がこぼした料理の始末や、それこそトイレ掃除だってやってのけるのだ。


 黒咲の失敗を先輩としてフォローしてやろうと息巻いていた俺だったが、まるでそのチャンスが巡ってこない――。そつなくこなしてしまう新人に負けたような気がしてショックを受けた。


(う、嘘だろ……。これ黒咲、本当にできちゃうじゃんラーメン屋バイト!)


 ホール業務なら調理をするわけではないので、ポイズンクッキングの心配もない。皿を割るリスクがある配膳や食器下げだけは俺がやることになるが、ほかは黒咲一人でも大丈夫だと理解した。


「何をショックを受けているの。問題なくこなせるのなら、それに越したことはないはずだわ」


「そう……。そうなんだけどな……」


 俺が一人前として認められるまでには、けっこうな期間を要したものだったのだが……。俺の一年以上の積み重ねっていったい……。


(しかし……)


 黒咲の言う通り、できるならそれに越したことはない。軽く涙目になってしまった俺だが、そのことを再確認してそっと目元をぬぐった。


「……よし黒咲。この調子でピーク帯も乗り切ろうぜ!」


「ええ。頼りにしているわ先輩」


 二人なら無事にやり通せると、視線を交わし合う俺たち。この後にトラブルが待ち受けているとも知らずにはしゃいでいた。

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