22 紫色のあざ

 元々、私は有名人になることに興味がなかった。

 ただ偶然フォロワーが増えて、有名になっただけ。

 そんなことはどうせいつか消えてしまう幻みたいなものだから、私はそんなことより大切なものを取り戻したかった。誰かに奪われた大切なものをね。でも、あいにくそうするためには有名人になる必要があった。


『あんたにそんなことできるわけないでしょ? 諦めてよ』

『だって、あんたブサイクじゃん』


 目立つのが好きなあるクズに、私もそんなことできるってことを教えてあげたかったから。そして教室を出る前に私はあのクズの顔を見た。あの時と一緒だった。気持ち悪いって言ってるようなその顔は全然変わらなかった。


 今はどうかな? 好きなのかどうかは分からないけど、この学校で一番有名でイケメンでお金持ちの先輩と付き合ったよね。だから、幸せになってよ。私はあんたが捨てたものを一つずつ拾って、あの時に戻るから———。


 あんたはずっとそのくだらない人生を生きてほしい、椎名葵。

 それが本人が考えている幸せでしょ?


 ……


 でも、葵に感謝しないと。おかげで夕日くんと一緒にいられる時間が増えたから。

 ずっと待っていた。この瞬間を。


「あはははっ、そんなことをしたの? すごいね〜」

「グループチャットに二人がくっついている写真を送ったから。しばらくの間何もできないと思う」

「いいね〜」

「それで……、澪はこれからどうしたい? 俺はあの二人が地獄に落ちてほしい。だから、手伝ってほしいんだ。あの二人の前で『浮気をした』って言うことより、あいつらの評判を落としたい。社会的に殺したいんだ。石井にも復讐をしよう、澪!」


 その話を聞いた時、思わず笑いが出てしまった。


「あははっ」

「どうした?」

「いいね! 私もずっとそう思っていたから、ふふっ」

「うん!」

「ねえ、夕日くん。私と約束をしてくれない?」

「どんな約束?」

「私から離れないで、ずっとそばにいて。何があっても」

「分かった! そうする」

「約束だよ!」


 そう言いながら指切りをした。

 よかった。もし夕日くんが葵に惚れたらどうしようとずっと心配していたからね。

 やっぱり、夕日くんはあんなクズより私の方がもっと好きだったんだ。今はこれでいい。ずっと私のそばにいてくれればそれでいいよ。ちゃんとあのクズたちを排除しようね。


 そしてさりげなく夕日くんの頭を撫でてあげた。


「ありがとう。それと夕日くんの話通り、そう簡単に終わらせるのはつまらないと思う」

「うん」

「葵のことは今のままでいい。その写真をクラスのみんなが見たら、多分今頃石井のところでいろいろ話しているはず。最後の最後まで、私は葵に何もしない。その代わりに葵が持っていたものを全部吐き出すまで止まらない。どっちがクズなのか、それを判断するのは私じゃないからね」

「うん。あ、そうだ。俺、放課後雪下さんとカフェに行くことにした。ラインの内容もあるけど、いろいろ聞きたいことがあるから」

「そう? 分かった。また連絡して、夕日くん」

「うん」


 教室に戻る夕日くんの後ろ姿を見て、ちょっとだけあの時のことを思い出した。

 付き合っていた時のことを———。

 もし、このすべてが終わったら私たちはあの時に戻れるかな? もう一度……、恋できるかな? 私はいつでもいいよ、ずっと夕日くんのことを持っている。私はずっと待っているから———。


 そして葵……、あんたはやっぱり私たちの人生で消えてほしい。

 その始まりはあんたがずっと雑に扱っていた夕日くんを取り戻すこと。少しずつ壊してあげる。あんたが私のすべてを壊した時みたいに、私も同じ方法であんたの周りにいるものを一つずつ壊してあげるからね。


 次は……、あんたの自慢の彼氏だから。楽しみにしていて。

 そのために私はずっと我慢していた。


「まさか、あんたがこの学校に通っていたとは……。なんでここにいるの?」


 すると、葵がベンチに座っていた私に声をかけた。

 いいタイミング。


「あら、椎名さん。高校生が普通に高校に通っているだけなんですけど、どこがそんなに気に入らないんですか? そして顔に出ますから笑ってください」

「あんただよね? 夕に変なことを教えてあげた人」

「へえ、よく分かりません。どういうことですか?」

「ふざけないで! あんたでしょ? うぶな夕を煽ったのは……」


 一体、夕日くんのことをなんだと思っていたんだろう。うぶな……だなんて。

 相変わらず、夕日くんを自分のものだと思っているらしい。

 人は所有物じゃないのに、そしてどんな権利もないただの女子高生が偉そうにそんなことを言うのも面白い。自分の顔にすごいプライドを持っている人じゃないとあんなことできないと思う。


 そこが気に入らない。


「ううん……。でも、元カレにそこまで執着する必要はありますか? 振ったんですよね? 椎名さんの方から」

「…………」

「そして椎名さんの友達の話によると、浮気をした夕日くんが悪いって感じだったんですけど、浮気されたのにそんなに気になるんですか? 元カレが」


 ずっと葵の前で笑っていた。

 そしてわざとその話を持ち出した。


「何しに来た? まさか、復讐とか……そんなことをするつもり? 子供じゃあるまいし」

「えっ? 別に……、私そんなことに興味ないんですけど? ただを過ごしたいだけです。憶測はやめてください」

「……っ」


 どうやら反論できないみたいだね。

 そうだよね、石井と付き合うためには夕日くんを捨てる必要があったから。

 そして捨てた後になぜかクラスのみんなが友達になりたがる人が現れて、その人がよりによって夕日くんと仲がいいからすごく気に入らないよね? あんたにはこんなことなかったから、今までずっとクラスメイトたちにチヤホヤされても圧倒的な人気を感じたことないから、分かるよ。


 その顔を見れば分かる。自分にないものを他人が持っているといつもあんな顔をしていたから。


「椎名さんは石井さんと付き合っていますから……、もう夕日くんの彼女ではありません。だから、気にしないでください」

「澪……」

「はい。椎名さん」

「邪魔しないであの時みたいにクラスの隅っこで本でも読んだら? あんたにはそれが一番似合う」

「嫌です。私は卒業するまで夕日くんと楽しい学校生活を過ごしますから、そちらこそしないでください」


 今の私には夕日くんがいる。

 だから、葵のことはもう怖くない。もう譲らない。もうやられない。


「椎名さんに幸せになる資格はありませんけど、幸せになってください。陰ながら応援しています」


 そう言った後、私はその場を離れた。

 あの顔を見ると……、体のあちこちが急に痛くなる。

 あの時にできた傷やあざはもう消えたはずなのに、頭はあの時のことを忘れていない。ちょっと早く生まれただけで、すべてを譲らないといけないなんて。理不尽すぎる。そして葵はそれを当たり前のことだと思っていた。


 自分の欲しいものが私にあったらさりげなく奪ったり、盗んだり。

 私がクラスの男子に告られたら、釣り合わないと言いつつどんな人なのか気になって声をかける。

 目立つのは自分じゃなければならない。

 クラスの中心になるのもいつも自分。


「…………」


 ちょっと昔のことを思い出しただけなのに、ここまで息苦しくなるなんて。

 もっと強くならないといけない。しっかりするんだよ、私。


 多分お母さんも知らないと思うけど、葵の嫉妬は人が想像できる範囲を遥かに越えているから何をするのか分からない。そこが一番怖かった。

 でも、ずっとやられっぱなしじゃ私の人生があまりにも可哀想だから、絶対逃げない。


 その場でしばらく深呼吸していた。


「澪、大丈夫?」


 その時、夕日くんの声が聞こえてくる。

 どうして……。


「ゆ、夕日くん……? どうしてこんなところに?」

「教室に葵がいなかったから念の為戻ってきたけど、やっぱり戻ってきて正解だった。何かあったのか?」

「…………ごめんね。ちょっと……、ちょっとだけでいいからここにいて」

「ずっとここにいるから……、心配しないで。澪」

「うん」


 そのままぎゅっと夕日くんの袖を掴んだ。

 そして葵のことが憎くて、憎くて、涙が出そう。本当に憎い……。


「…………」

「大丈夫。俺がここにいるから……」


 そう言いながら夕日くんがさりげなく私の頭を撫でてくれた。

 あの時みたいに、ゆっくり頭を撫でてくれた。


「こういう時は何を言ってあげればいいのか、正直よく分からない。澪と別れた後、葵と付き合ったから……。そして葵とは普通の恋愛をしていなかったから……、俺にできるのはこれくらいかもしれない」

「いいよ、ありがとう」

「えっと……、もし寂しくなったらいつでもいいよ。うちに来て。電話をかけてもいいし」

「ありがとう……」


 やっぱり、夕日くんのそばにいると落ち着く。

 ありがとう。


 そのまましばらく目を閉じていた。

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