第7話 : ブラック・スノーホワイト・ウィッチ。



《前編》




【夜の通り】


静かな夜。

二人の女子中学生が、人気のない街の通りを歩いていた。

街灯がぽつぽつと道を照らし、その影は静かに揺れていた。


ひとりは、長澤ユミ。茶色がかった明るい髪を持つ少女で、隣には友達が楽しげに歩いていた。

ふたりは学校の恋バナで盛り上がっていた。


ユミ「はぁ〜……ケイスケくんって、本当に素敵だよね〜……気づいてほしいな〜♡」

顔を赤らめながら、うっとりと語るユミ。それを見て友達はクスッと笑った。


「ふふっ。そういえばさぁ……」

「ユミがよくバカにしてた、あのモモノスケって子、どうなったの?」


ユミ「え?モモノスケ?あの泣き虫で、ゴミみたいに扱われてたあの子?」

「逃げたんじゃない?現実からも、人からも。あははっ!」


「もしかして……もう死んでたりして?自殺とか〜」

友達がからかうように言うと、ユミは鼻で笑ってから大声で笑い出した。


ユミ「うわ〜、想像してみて!泣きながら“ままぁ〜!”って叫びながら飛び降りたのかもね!あはははは!」


ふたりの笑い声が、静かな夜に不気味に響く。


「う〜、なんか急に寒くなってきたね……」

ユミ「ほんと……ぶるっ。」


「じゃあね、ユミちゃん!また明日〜!」

ユミ「うん!バイバイ!」


友達と別れたユミは、寒さに身を縮めながらひとり歩いていた。

その時――


バサッ…バサバサッ…


空から羽ばたく音が聞こえ、ユミがふと上を見上げた。

薄暗い空に、シルエットが舞う。


それは、ゆっくりと近くの塀の上に舞い降りた――

それは、あの白面フクロウだった。


ユミ「……フクロウ?しかもススガオメンフクロウ……?え、なにしてんの、こんなところで……。と、とりあえず写真撮ろ!」


バッグの中からスマホを探そうとしたその時――


ヒュゥゥウウウ……ッ


突如、喉元と胸に冷気が走った。息を吸うごとに肺が凍りつき、血の気が引いていく。


ユミ(『え……なに、これ……?』)


フクロウの金色に光る瞳が、ユミの心臓を貫いた。


フクロウ「……プルル……」

その首をギギ…ギギギ…ッと不気味に傾ける。


ユミ「な、なんか…気持ち悪い……か、帰ろう……」


震えながら歩き出そうとする――が、


ユミの足は、動かなかった。


ギチ…ギチチ……

無音の恐怖が、彼女の心を締め付ける。


ユミ(『な、なんで……なんで足が……!う、動かない……っ!?』)

呼吸は白く、浅く、震える吐息だけが漏れる。


そして――


パチッ


街灯の光が、一つ、また一つと消えていく。


闇に沈む通りで、唯一光るのは――金色の双眸。


フクロウ「アアアアアアアアアッ!!」


その叫びは、まるで何千もの声が重なった囁きのよう。

音に合わせて、冷たい霧が辺りに広がっていく――


モクモクモク…


その姿が、ゆっくりと変貌を始めた。


バキ…バキィィ…メキ…ッ!!


骨が折れ、捻じれ、伸びていく。羽は腕へ、脚は人間のように変化し、

頭部は大きくなり、角がグググッと生え始める。


フクロウは――美しくも恐ろしい女へと姿を変えた。


肌はまるで雪で塗られたかのように完全に蒼白だった。


髪は漆黒にして非常に長く、ところどころ乱れており、不気味な優雅さを漂わせていた。


頭には黒く歪んだ枝角のような鹿の角が生えており、それはこの世のものとは思えない輪郭を描いていた。


耳は尖っており、指先には鋭く黒い爪が伸びている。


その身にまとっていたのは、長く重厚な黒のゴシックドレス。

袖はたっぷりと長く、まるで闇そのものを身に纏っているかのようだった。


そして――

目は黄色く妖しく光り、その**黒い眼球(強膜)**と相まって、暗闇の中で異様な輝きを放っていた。


ユミ「あ、あああっ……!」

声にならない声。喉は凍り、叫びすら出せない。


その女はゆっくりと近づき、無表情でユミの髪を掴む。


ユミ「ひっ……!あ…ぁあ…」

頭が真っ白になっていく。何が起きているのかも、わからない。

ただ、身体が震え、魂が叫んでいた。


女は冷たく微笑む。


???「他人を嘲笑うだけの子が、こんなに可愛らしいだなんて。おかしいね、小さなユミちゃん?」


ユミ「あ……あ……やだ……っ」

涙が、こぼれる。


???「……シィー。死者は叫ばない。死者は、沈黙するのよ。」


ザシュッ……バキッ!!!


ビチャッ…ジュブブブブ…

飛び散る鮮血。

地面に落ちる、ゴトンッという重たい音。


彼女は、ユミの首を一瞬でへし折り、切断した。


ドク…ドク…ドク……


血の池が、音もなく広がっていく――

少女の頭を手に持ち、女はただ黙って立ち尽くしていた。


【マティンタとモモノスケ — 契約の始まり】


???「……任務完了。殺したいのはこの子だったんでしょう、モモノスケ?」


冷たく、感情のこもらない声が、闇の中で響いた。

黄金に輝いていたその瞳は、ゆっくりと色を失い、黒く、虚ろなものへと変わっていく。


カツ……カツ……

足音が近づく。


その声に応えるように現れたのは、前髪で目元を隠した小柄な少年――モモノスケだった。

黒い学ランを着た彼は、寒さに震えながら、おずおずと口を開く。


モモノスケ「は、はい……マティンタさん……」


ハァァ……

白い息を吐きながら答えると、マティンタは軽くため息をつき、指をパチンッと鳴らした。


すると――


スゥ……スゥウウ……

あたりを覆っていた暗黒の空間が消え始め、血まみれの少女の遺体も、まるで最初から存在しなかったかのように霧とともに消えていった。


街灯がひとつずつ再点灯し、街の様子は元通りに戻っていく。


モモノスケ「そ、その子は……どこに……?」

恐る恐る尋ねる彼に、マティンタは血のついた手をスッと拭いながら、何事もなかったように答える。


マティンタ「私の家よ。現実世界の枠を越えた場所にあるの。」


モモノスケ「……あ、ありがとうございます、マティンタ・ペレイラさん……」

彼が小さく頭を下げると、マティンタはふっと微笑んで彼の前にしゃがみ込み、優しくナデナデと頭を撫でた。


マティンタ「お礼なんていらないわ、坊や。だって、あなたは“使用者(ユーザー)”で、私はその“霊(スピリット)”でしょう? あなたが望むことは、全部してあげる。」


その声音はあくまで優しく――まるで母親のように、穏やかだった。


マティンタ「さて、契約の第一段階も完了したし……私の家に行きましょうか。少し寒いけれど、とっても快適よ。ふふふ……」


彼女は笑いながら立ち上がり、背の小さいモモノスケをふわりとその漆黒のドレスで包み込む。


まるで、大きな翼が雛鳥を包むように――


周囲に白い羽が舞い始め、ふたりの姿を**スゥ……**と闇が包んだ。


モモノスケがそっと目を閉じると――




【雪の異界 — シュネトゥルム】


サァァァ……

雪が静かに舞い降りる音。どこまでも続く銀白の森。


ふたりは、現実からかけ離れた世界へと足を踏み入れていた。そこは、氷と雪に支配された異界だった。


マティンタがそっとモモノスケの手を引き、彼と並んで歩き出す。


モモノスケ「さ、寒い……!」


**ブルブル……**と震える少年に、マティンタは優しく笑みを返す。


マティンタ「ふふ……そんなに震えて、ほんとに可愛い子ね。でも、心配いらないわ。もうすぐ私の館が見えてくるから。」


モモノスケ「ほ、ほんと……よかった……」

ハァァ……

吐く息は白く、まるで魂さえ凍るようだった。


モモノスケ「ねえ……マティンタさん……ちょっと聞いてもいい?」

雪の中を歩きながら、モモノスケがぽつりと口を開く。


マティンタ「……何?」

冷たいけれど、落ち着いた声。その手には凍った青い葉があり、彼女はそれをゆっくりと黒いドレスのポケットへしまい込んだ。


モモノスケ「ここ……ここって一体どこなんですか?」


マティンタ「この場所は“Schneeturm(シュネトゥルム)”。私の魔力で作った、特別な空間よ。いわば、私の家。」


そう言うと、遠くに荘厳な洋館と、その背後に立つ古びた塔が現れた。


モモノスケ「……あ、あれが……お家?」


マティンタ「ええ、行きましょう。」

そう言って、彼女はそっとモモノスケの手を握る。


ギュッ…

その冷たくも優しい感触に、少年の頬はわずかに紅く染まった。


ザク…ザク…

雪を踏みしめる足音だけが、静寂の世界に響く。


モモノスケ(彼女の手……冷たいのに、なんだか温かい……)

モモノスケ(マティンタさん……すごく綺麗だな……)


そんな思いが胸をよぎった、その時――


「ハァァァ……」


右耳元で、冷たく湿った吐息が聞こえた。

モモノスケは驚いて、ギュッとマティンタにしがみついた。


マティンタ「ふふっ……気をつけて、モモノスケ。」

彼女は楽しそうに微笑んだ。


マティンタ「この辺の“死者”たちはね……温かい感情に敏感なのよ。ふいに現れて……」


彼女はモモノスケの耳元に顔を寄せ、囁く。


マティンタ「……飢えたサメみたいに、雪の中から飛び出して、全部喰い尽くすの。」


ゾクッ……

モモノスケの背中を、悪寒が走った。

彼はさらに強くマティンタにしがみついた。彼女はただ、優しく笑いながら歩を進めた。




【Schneeturm ― 朝】


森の奥に、その館は現れた。


真っ白な雪原に建つ二階建てのゴシック洋館。

その豪奢な造りは、まるで時が止まった19世紀のまま。


背後には、天を突くような高い塔がそびえ立っていた。


マティンタは無表情のまま、屋敷の前に立ち呟いた。


マティンタ「Offen(開け)」


ギィィィ……

扉が自然と軋みながら開いていく。

ふたりが中に入ると、扉は**バタン…**と勝手に閉じた。


マティンタ「Zunde es an(灯せ)」

指をパチンと鳴らす。


ボウ…ボウッ……

廊下の両側に並ぶ松明が、ひとつずつ金色の炎で灯る。

その光が豪奢な調度品を照らし、空間全体が暖かく幻想的に輝いた。


モモノスケ「すごい……大きいし……こんなに綺麗なんて、信じられない!」


マティンタ「ふふ、死者たちが毎日掃除してくれるの。とっても忠実で助かるわ。」


モモノスケ「し、死者って……幽霊の執事とか……そういうこと……?」


マティンタ「正解、坊や。可愛いでしょ?」


ヒュウウ……

返事はできなかった。ただ寒気を堪えながら彼女についていく。




階段を上がり、二階の廊下を歩く。トントン…と足音が石床に響く。

壁に並ぶのは、全てマティンタの肖像画。

ある絵には子どもたちと写っているが、彼らの顔は黒く塗り潰されていた。


モモノスケ(……なんだ、この絵……)


そのうちの一枚には、彼女が高身長の男と並んでいるが、顔がかすれて判別できない。


ゾクリ…

背筋に寒気が走る。けれど何も言わず、彼女のあとを追った。


マティンタが一つの部屋の前で止まり、何も言わず扉を開ける。


ギィ……


中から漏れ出すのは、鉄と血の匂い、そして死そのものの気配。


モモノスケが足を踏み入れると――


ゴトン…


その場に崩れ落ちそうになった。


部屋はまさに、死の博物館だった。


天井から吊るされた獣の皮。

壁には鹿の角がトロフィーのように飾られている。


棚には――人間の首、開いた目と口が凍りついた恐怖のまま保存されている。


**ポチャ…ポチャ…**と落ちる氷のしずく。

ガチン…ガチン…と、瓶の中の臓器が冷たいガラスにぶつかる音。


モモノスケ「う……うえっ……!」

吐き気がこみ上げる。


マティンタ「吐かないでね、坊や。もし吐いたら……全部自分で掃除することになるから。」


微笑みながら、彼女は穏やかに釘を刺した。


マティンタ「それに、人間の体液って……掃除、面倒なのよ。」


モモノスケ「ど、どうして……こんな……マティンタさんは、なんで人の……遺体を……冷蔵庫みたいに……?」


マティンタは答えず、部屋の奥の不思議な炎に照らされた大釜へと向かう。


その火は、蒼白く、冷たい霊の炎だった。


ゴウ……ゴウウウ……


叫ぶでもなく、ささやくように燃える火。

まるで、遠くから聞こえる亡者の声が混じっていた。


マティンタ「……だって、こうやって飾ると……部屋の雰囲気が映えると思わない?」


微笑みながら、彼女は指をパチンと鳴らす。


すると――


彼女の手に、ユミの生首が現れた。

血にまみれたその顔は、まるでただ眠っているかのよう。


モモノスケは顔を背けた。


それが、かつての同級生だったとは、思いたくなかった。


ジュウウ……ボコボコ……

マティンタはそのまま、生首を霊火の大釜に落とした。


溶ける肉の音。漂う血の匂い。

そして、何よりの静寂――


そこには、ただ、死の美学があった。


ゴウウウ……

火は静かに、しかし激しく燃え上がる。まるで沈黙の中で咆哮する獣のように。

そこから放たれる匂いは、古びた死の香り――埋葬された棺、朽ちた木材、そして、腐りかけた肉の臭い。


マティンタの無感情な瞳が、再び黄金色に怪しく輝き始める。


マティンタ「Kontrolle(制御)」


スッ……

両手を広げる彼女の動きに応じて、火はまるで忠実な犬のように静まり返る。


ザワ…ザワ…ザワ…

その瞬間、部屋の中に囁き声が響き始めた。

モモノスケの背筋にゾクッと寒気が走る。


「トート……トート……トート……」

火の中から、まるで死を慈しむような声が響く。


マティンタ「Spektrum… Reinhati… Maske…」


その言葉はリズムのように響き、マティンタは舞うように両手を操りながら儀式を続けた。


シュゥウ…パキッ…パチパチ…

炎が軋み、空中で捻れながらうねり始める。


揺らぐ影。歪んだ形。火はまるで生きているかのように、部屋全体を不気味なダンスで包み込む。


マティンタ「WO IST ER?!(奴はどこだ!)」


ゴオオオオッッ!!


彼女の叫びと共に、炎が爆発的に膨れ上がる。

ヒュウウウ……ッ!

冷たい突風が吹き荒れ、マティンタの長い黒髪をブワァッと宙に舞わせる。


火は形を変え――

やがて、小柄で長髪の少年のシルエットを浮かび上がらせる。


マティンタ「……ふぅん?あのアナジェの使用者のガキ……?ってことは、アドネイウスもそいつと関係してるのね。やっぱり……怪しいと思った。」


ジリ…ジリ…

マティンタはゆっくりと手を下ろし、炎は静かに元の大釜へと戻っていく。


マティンタ「Zurück(戻れ)」


シュウゥウ……

燃え盛っていた火は一瞬にして鎮まり、部屋は再び重苦しい静寂に包まれた。


彼女の瞳も、再び冷たい黄金色へと戻っていく。


モモノスケは言葉を失っていた。


見開いた目。開きかけた口。

ただ、その場に立ち尽くし、震える体でマティンタを見つめていた。


彼は分かっていた。マティンタが“普通じゃない”ことくらい――


だが、これほどまでに強大で異質な存在だとは、想像もしていなかった。




《後編》



モモノスケ「マ、マティンタさん……今のって、一体……?」

戸惑いながら問いかける少年に、マティンタはうっすらと微笑み、彼のほうへと静かに歩み寄る。


マティンタ「ただの魔女の戯れよ。大したことじゃないわ。」


コツ……コツ……

響く足音とともに、彼女はモモノスケの隣に立ち、その冷たい瞳でじっと見つめる。


少し、間を置いて――


マティンタ「聞いて、モモノスケ。あなたが私を呼び出した夜……望んでいたものは、二つあったわね?」


モモノスケは黙って、コクンと頷いた。


マティンタ「ええ……ちゃんと覚えてるわ。昼間の太陽のように、はっきりと。」



マティンタ「――母性と暴力。愛と復讐。」


スゥ……

彼女は腰をかがめ、モモノスケの頬にそっと手を添える。まるで壊れやすい小動物を扱うように。


マティンタ「相反する感情。でもあなたは両方を欲した。とても興味深いわ。だから私は来たのよ。あなたの砕けた心が求めたものを、与えるために。」


モモノスケの目が潤む。その手の優しさに、少しだけ安らぎが宿る。


マティンタ「哀れな子……あんなにも冷たい人たちに傷つけられて……侮辱され、裏切られて……。」


……


マティンタ「“親友”だと思っていたあの子さえ、最後には君を笑った。彼らの暴力に、君は無力だった。」


バンッ!

「クズが!死ねばいいんだよ!」


ヒヒヒ……

「泣くの?ママに泣きつくの?モモちゃん〜?」


ヒソヒソ…

「友達?あいつとか無理。マジでキモいし。かわいそう〜」


ブンッ!ガスッ!ドスッ!

記憶の中の罵声と暴力が、脳内で再生される。


モモノスケ(……痛い……熱い……苦しい……)


スン……

沈黙。


マティンタ「君の人生は、冷たくて刺さる地獄だった。孤独という棘のベッドに沈んで、動けなくなってしまった……私は、それを理解してるの。」


ポタ…ポタ…

モモノスケの瞳から、涙がこぼれ落ちる。


モモノスケ「うっ……ぐっ……ぼ、僕……お母さんに会いたい……!すんっ……こ、怖いよ……いないと、寂しすぎて……!!」


彼はマティンタの胸に顔をうずめ、子どものように泣いた。

彼女はその頭を、そっと撫で続けた。


マティンタ「……知ってるわ。あの夜――私がまだ一羽のフクロウだった時、君が私に触れた。君の痛みが、私に伝わったの。」


ヒュウウ……


マティンタ「それは……冷たい谷で流れる哀しい旋律のようだった。私は、その全ての音を聴いた。」



マティンタ「だから決めたの。今日から私は……君の“お母さん”になる。」


モモノスケ「え……ぼ、僕の……お母さん……?」


マティンタは彼の頬に残る涙を指でそっと拭った。


マティンタ「死もまた、母になれるのよ。何かを奪い……そして慰めを与える。」


サァァ……

風が部屋に入り、マティンタの黒髪をふわりと揺らす。


マティンタ「棘のベッドにしか見えなかった孤独が、もしかしたら……柔らかい羽毛に感じるかもしれない。君にも、それが分かるわよね、モモ?」


モモノスケは、黙って頷いた。


マティンタ「もう、友達も、家族も、兄弟も、いらない。温かい感情なんて、いずれ全部裏切るのよ。」


……


マティンタ「私は、君を理解する唯一の存在になる。闇と復讐に生きる、君だけの“母”として。」


ギュッ……

彼女の手が、再び少年の頬に添えられる。

金色の瞳が、深く彼を見つめる。


マティンタ「イカロスのように、太陽に惹かれ飛んだ鳥は焼かれて堕ちる。君も……もう焼かれたくないでしょう?」


モモノスケ「う……うん……も、もう傷つきたくない……!」


彼は再び、彼女に抱きついた。


マティンタ「なら、私に従いなさい。太陽の代わりに、死の影に包まれて生きなさい。そうすれば――私は必ず、君を幸福にしてあげる。」


スッ…

マティンタは彼をそっと離し、微笑んだ。


マティンタ「さあ、モモノスケ。誰のものなの?」


モモノスケ「闇と……死のものです……」


マティンタ「誰を抱きしめ、決して離れてはならない?」


モモノスケ「マティンタさんだけ……です。」


マティンタ「どんな“気候”に、君は温もりを感じる?」


ゴウ…ゴウ…

部屋の空気が冷え、松明の灯が揺らぎ始める。


モモノスケ「……葬炎の冷たさの中で。」


ヒュウウウウ……


窓が開き、凍える風が吹き込む。

マティンタの長い髪が宙に舞い、部屋の空気が一瞬で変わる。


マティンタ「では、教えて。今から、君の“お母さん”は……誰?」


モモノスケ「……ラズガ・モルターシャ。」


ザアアア……ッ

黒い羽が舞い上がり、最後のぬくもりが窓の外へと流れていった。


その暖かさと共に――“モモノスケ”という名の、かつての少年もまた、完全に消え去った。


マティンタ「……Perfekt.」


……


彼女は静かにモモノスケを離し、契約は完了した。


マティンタ「……この“第二次霊戦争”に勝つためには――」

「あなたは、どんな状況でも私に従わなければならない。異論は認めないわ。……わかった、モモ?」


彼女の冷たい視線が、少年の心を刺す。

モモノスケはごくりと唾を飲み込み、うなずいた。


モモノスケ「は、はい……できることなら、なんでも手伝います……」


マティンタ「いい子ね。」


ヒュウウ……

開いた窓からの風に、彼女の黒いドレスと長い髪がふわりと舞う。


モモノスケ「ま、マティンタさん……どこに行くの……?」


マティンタ「大人の用事を片付けにね。すぐ戻るわ。」


そう告げる彼女の声は冷たく落ち着いていた。

だがモモノスケは、たまらず彼女に抱きついた。


マティンタ「……今度は、何?」


モモノスケ「ひとりにしないで……いっしょに……行きたい……」


その声には震えが混じっていた。


スゥ……

マティンタは小さくため息をつく。


マティンタ「モモノスケ。君はここにいなさい。……外は危険よ。」


その言葉に、モモノスケは少し身をすくませた。


モモノスケ「……わ、わかったよ、お母さん……ちゃんと待ってる……」


ペコリ……

頭を下げる少年に、マティンタは静かに微笑んだ。


マティンタ「いい子ね。」


彼女はそっと、ナデナデと彼の頭を撫でる。


コツ……コツ……

数歩下がると、両腕をゆっくり広げた。


その瞬間――


バサァァッ!!


彼女の背中から、黒き死の翼が咲くように現れた。

広がる羽は、闇そのもののように濃く、美しく、そして威圧的。


部屋は冷たい蒼白い光に包まれ、

舞い上がる黒い羽根が空間にゆっくりと漂う。


ドオオォン……!

一振りの翼が、凍える突風を巻き起こし――

部屋の小物が**ガタガタ…!**と揺れ、モモノスケの髪が激しくなびいた。


モモノスケ(……どこに行くの……? そんなに……遠くないといいな……)


彼はただ、胸を締め付けられるような想いで、

白銀の吹雪の中に消えていくその背中を見送った。




【夜空を越えて】


空を舞うマティンタの周囲には、氷の風が渦巻いていた。


やがて、彼女は見えない霊障の結界を通り抜け――


スゥ……ン


次の瞬間には、

日本の都市の星空の下へと現れていた。


夜の帳が広がる空の中――

漆黒の羽根が、ゆっくりと降り落ちる。


そのうちの一枚が、

そっと――ある窓辺に舞い降りた。


……


それは、ヒロの部屋の窓だった。

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