ピンポンが鳴りません……6
「じゃあ、また、明日」
明日香のマンションの下でそう言うと、
「はい。
ありがとうございました」
と明日香は頭を下げたあとで、
「あの、上がってお茶でも飲んでいかれませんか?
明日香も元気に泳いでますし」
見ていかれませんか?
と言ってきた。
「いや、今日はもう失礼するよ」
一からやり直すと決めたのだから、迂闊に手を出したりしたくない。
今日の明日香は楽しそうで可愛かった。
今、部屋には上がらない方がいい気がする、と思って、そう言った。
「そうですか」
と明日香は俯きがちに小さく言った。
残念です、という感じだったが、もう一度、誘ってはくれなかった。
「早く入れ。
部屋の灯りが着くまで見てるから」
と言うと、はい、と明日香は頷く。
エントランスに入ったところで、こちらを振り向いたが、やはり、ぺこりと頭を下げただけで、入って行ってしまった。
……やっぱり上がってってください、とは言わないか、と思いながら見送る。
下からしばらく見ていると、明日香の部屋の灯りがついた。
明日香が窓を開け、手を振る。
振り返しながらも、早く閉めるんだ、と思っていた。
何処から変質者が現れるかわからないじゃないか。
いや、木などは届かないような高さだが、なにがあるかわからない。
明日香はそこから自分が帰るまで見送るつもりのようだった。
なので、電話をかけて言う。
「明日香。
もう閉めろ、物騒だから。
帰ったら電話するから」
『はい。
じゃあ、おやすみなさい』
と言って、明日香は戸を閉めた。
「雨戸も閉めて」
『雨戸、ありません』
「じゃあ、そのロールカーテン閉めろ。
全部の部屋のだぞ、おやすみ」
明日香は少し笑ったようだった。
『おやすみなさい』
と言って、電話は切れた。
ロールカーテンが下り、ほっとしながらも思う。
言ってもいいんだぞ。
やっぱり上がってってくださいとか……。
そう思いながら、黙って淡い色のカーテンの向こうを見つめていた。
時折、明日香の影が見える。
そのまま見ていたい気もしたが、帰ったら電話すると言ってしまった。
すぐに戻らないと、心配するかもしれないと思い、車の方に向きを変えたとき、それが目に入った。
マンション前の茂みに隠れた人影。
「如月」
と呼びかける。
逃げかけた大地は、少し迷って、戻ってきた。
「求愛のダンスを踊りに来たのか」
と訊いて、
また、なにを言い出したんだ、こいつは、という顔をされる。
自分の中では話は通じているのだが、他人にはまったくその流れが伝わっていない、ということは、自分にはよくある。
研究者の間では、よくあることで流しがちなのだが、体育会系の大地は、しっかり突っ込んできた。
「なんだ、求愛のダンスって」
と。
「お前が鳥だったらという話だ」
と言って、ますます困惑の表情を浮かべられる。
如月大地。
変わり者の多い同期の中でも、変わっていると思っていたこいつに、こういう顔をされるとは、まさか俺が変わり者だとでも言うのだろうか、と思っていた。
いやいや、今、ちょっと説明不足だっただけに違いない、と思いながら、口を開こうとしたが、先に大地が言ってきた。
「やはり得体の知れない男だ……、葉月秀人。
お前は明日香にはふさわしくない」
その言い方に確信した。
「お前だな。
俺に調子に乗るなとかけて来たのは」
「そうだ。
だって、調子に乗ってるじゃないか。
俺がずっと明日香を好きだったのに。
いきなり、何処からともなく現れて、明日香をかっさらおうとしてっ」
「待て。
何処からともなくじゃないだろ。
お前とは、会社のセミナーのときから、ずっと一緒に居るぞ」
と言って、ちょっと黙れ、と言われた。
「そういうのは、一連の決め台詞なんだ。
突っ込んでくるな」
そうなのか、と思っていると、大地は仕切り直すように言ってきた。
「ともかく、明日香がお前に惚れてる風なのが、俺は気に喰わないんだっ」
……どうしよう。
ちょっと嬉しいな、と秀人は思っていた。
一番認めたくないだろう大地からそう言われたら、本当に明日香が自分を好きでいてくれる気がするからだ。
「お前のような……っ」
と言いかけて、大地は黙り、少し考えたあとで、小声で訊いてくる。
「……お前、なんか悪いとこないのか?」
いや、いっぱいあるだろう、と思っていた。
日野も明日香も、緋沙子も言いたい放題言ってくるのに。
だが、大地は、
「いや、冷静に考えると、ちょっと思いつかないんだよな」
と言ってきた。
どうしようか。
かなり嬉しい、と思っていると、大地は、
「ああ、あったな。
人の話を聞かない」
と満面の笑みで言ったあとで、
「……いや、今、寒いのに、立ち止まってまで、聞いてくれてるか」
とテンションを下げる。
如月大地。
面白い男だ。
明日香が言っているように、どうかと思う言動も多いが、憎めない。
明日香の好みでなくてよかった、とつくづく思っていた。
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