第8話 南条くんがおかしい


 救護所を出たわたしたちは、動物園の一番奥にあるふれあい広場までやってきた。

 ここでは、ウサギやモルモットを抱っこしたり、ヤギやヒツジにエサをあげられるんだ。

 エサやりも楽しいけど、やっぱり一番の目的はこっち!

 さっそくウサギやモルモットのいる柵の中に入ると、小さなベンチに腰かけたわたしの膝の上に、南条くんがモルモットを乗っけてくれた。

 あったかくて、心臓の鼓動がトクトクと伝わってくる。

 こんなに小さいのに、ちゃんと生きてるんだって実感する。

 モルモットの背中をそっとなでてあげると、気持ちよさそうに目を細めた。

「はぁ~、かわいい。連れて帰りたくなっちゃう」

「詩乃、コツメカワウソ見たときと同じこと言ってるぞ」

「だって、両方ともかわいいんだもん」

「うん、本当だ。すごくかわいい」

 カシャカシャと何度もシャッターを切る音がする。

 ふふっ。モルモットの撮影に夢中になってる南条くんの方がかわいいよ。

「ほら、めっちゃいい顔してる」

 南条くんが、スマホの画面をわたしに向ける。

「へ⁉ ち、ちょっと、なに撮ってるの⁉」

 モルモットの写真を撮ってるのかと思ったら、わたしの写真撮ってるし!

「いいじゃん、いい顔してんだから。そうだ、ロック画面に設定しとこーっと」

 そんなことを言いながら、スマホを素早く操作する南条くん。

 わたしがモルモットを抱っこしてて身動きがとれないからって、やりたい放題!

「ねえ、そんなの誰かに見られたらどうするの⁉」

「詩乃は俺の彼女って設定だろ? むしろロック画面に設定してない方が怪しまれるって」

 そう……なの? そういうものなの⁇

 普通を知らないから、これ以上なにも言えない……。

「いいよなー、おまえは。堂々と詩乃の膝の上に乗れて」

 隣に腰かけた南条くんが、わたしの膝の上のモルモットを指先でなでる。

 ……さっきから、南条くんがなんだかおかしい。

「ね、ねえ。どこか具合悪いの?」

「あー……さっき能力使ったから、ちょっと疲れてるかも」

 南条くんが、わたしの肩の上にこつんと自分の頭を乗せてくる。

「ちょっと休憩させて」

 南条くんのサラサラの髪がかすかに耳に触れて、くすぐったい。

 ……っていうか、近くない、これ⁉

 距離を意識したら、急に顔がアツくなってきた。

「詩乃、小さすぎて首痛い」

 そう言って、南条くんがくすくす笑う。

 そりゃあそうだ。わたしの身長は150cmそこそこ、南条くんは170cmは余裕であるんだから。

「文句言うなら、やらなきゃいいのに」

「文句言わないなら、やってもいいんだ」

「よ、よくはないけど……南条くんには、命を助けてもらったし……具合がよくなるまでだからね?」

 勘違いしちゃいけない。これは、ウソカノを演じるという任務。

 それに、南条くんには、ずっと忘れられない初恋の女の子がいるんだから。

 だから、この行動に恋愛感情なんか一ミリも含まれていない。

 そう自分に言い聞かせる。

 第一、わたしは依頼人に恋愛感情を持つことを許されていない。

 もしもそんなことがあったら、即破門だ。

 それだけは、あってはならない。

 だって、わたしの手で南条くんのことを守りたいって思ってるから。

 この役目だけは、絶対に誰にも譲りたくない。

「ねえ、おかーさん。らぶらぶなおにーちゃんたちがいるよ」

 三歳くらいの子かな? わたしたちの目の前に立った女の子が、瞳をキラキラさせて、わたしたちのことをじーっと見つめてくる。

「な、南条くん。やっぱり、もうおしまい!」

 片方の手で膝の上のモルモットを押さえ、もう片方の手で南条くんの頭を押し返す。

「こらっ、お兄ちゃんたちの邪魔しないの」

 女の子のお母さんらしき人が、女の子の腕を慌てて引っ張っていく。

「えーっ。だって、らぶらぶはっぴーだよ?」

『ラブラブハッピー』の意味はよくわからないけど、なんだかすごく幸せそうな響き。

 南条くんと顔を見合わせると、同時にくすっと笑う。

「おしっ、ちょっと元気出た」

「ほんと?」

「ああ。そんじゃ、そろそろアイツらと合流するかー」


***


「で、なにがあったわけ?」

 南条くんが、目の前に立つ愛莉さんと北澤くんを見て、深いため息をつく。

 南条くんが愛莉さんと北澤くんにメッセージを送って、園内にある遊園地ゾーンの入り口で待ち合わせしたんだけど。

 なんだか愛莉さんと北澤くんの間に、不穏な空気が流れている。

 お互い目を合わせようとすらしない。

「だって、大和がボートに乗るって言ってきかないんだもん!」

 そう言って、愛莉さんがほっぺたを膨らます。

「え、乗ればいーじゃん」

「やだ!」

「なんで?」

「そ、それは…………だもん」

 さっきまでの勢いがウソのように、愛莉さんがモジモジしはじめる。

「は? なんて言ったんだよ。よく聞こえないんだけど」

 南条くんが、愛莉さんの口元に耳を寄せる。

「だからっ……カップルで乗ると、別れるってジンクスがあるから……だから、乗りたくないの」

 顔をうつむかせ、かろうじて聞き取れるくらいの声でぼそぼそと言う。

 それを聞いた北澤くんが、ぷっと吹き出した。

「なあんだ、そんな理由かよ。ボートが転覆したら服が濡れるからイヤだとか、そういう理由かと思ったぜ」

「そんな理由って! 大和はどうせあたしのことなんかなんとも思ってないだろうけど、あたし……あたしは……」

 愛莉さんの目尻に、じわっと涙がにじむ。

「あのなあ。そんな迷信みたいなもんで壊れるような仲だと思ってたわけ?」

「え?」

 愛莉さんが、ビックリした顔で北澤くんを見上げる。

「っつーことで、オレら、チャレンジしてくっから」

 北澤くんが、愛莉さんの手をがしっと掴む。

「ねえ、ちょっと大和、それってどういう意味⁉」

「はいはい。いーから、いーから。大丈夫だって」

 取り乱した様子の愛莉さんを、北澤くんがなだめながら歩いていく。

「……ったく、人騒がせなヤツらだな」

 南条くんが、苦笑いを浮かべて二人の背中を見送っている。

 うん。なんだかうまくいきそうな予感。

「そうだ。俺らも試してみる?」

「へ⁉ いや、わたしたちは……」

 本当のカレカノってわけでもないんだから、試すもなにも、ないと思うんだけど。

「でも、南条くんがもし乗りたいのなら……お供します、よ?」

「よし、決まり。そうだ、アイツらの邪魔してやろうぜ」

 南条くん、めちゃくちゃ悪い顔してるよ!

「ダメだよ! せっかくうまくいきそうなんだから」

「えー、つまんないのー」

 そう言って、南条くんが口を尖らせる。

 ふふっ。南条くんって、もっと大人っぽい人かと思っていたんだけど、コロコロ変わる表情も、子どもっぽい言動も、なんだかかわいい。

「なんだよ。人の顔見てニヤニヤしやがって」

「別に、ニヤニヤしてるつもりは……」

「ほら、俺らもさっさと行くぞ」

 不機嫌そうにふいっと顔をそらすと、スタスタと歩き出す。

「じ、邪魔はダメだからね!」

「何度も言わなくても、わかってるよ。あ、そうだ。ボートが転覆したら、よろしくな。俺、こうみえて泳げねーから」

「えぇっ、ちょっと待って。わたしだって、そんなに得意なわけじゃないからね⁉」

 一応二十五mくらいなら泳げるけど、南条くんを抱えて泳ぐのは、さすがにムリだってば!

 慌てるわたしの方を振り返って、南条くんがククッと笑う。

「手漕ぎボートならまだしも、スワンボートはそんな簡単に転覆しねーだろ」

「そ、そうだよね」

 もうっ、そうやって脅かさないでよね。

 結局、わたしたちのボートが出発してすぐ、北澤くん&愛莉さんチームと、南条くん&わたしチームのボートで競争がはじまってしまった。

 せっかくの二人きりの時間を邪魔されたって、愛莉さん、きっと怒ってるよね。

 ……って、心配していたんだけど。

 ボートを降りるときの表情は、愛莉さんも北澤くんも、それに南条くんも、みんな心からの笑顔に見えた。

 これはこれでよかったってことなのかな?

 幼なじみ三人の楽しい思い出になってくれればいいなって、心から思う。

 その気持ちは、本当。

 なのに、ワイワイ盛りあがりながら前を歩く三人の背中を見つめているうちに、ちょっぴり寂しくなってきちゃった。

 ああ、あそこにわたしの居場所はないんだなって、改めて思い知らされた気分。

 そう、これはただの任務。

 じゃなきゃ、あんなセレブな学園の敷地内に入ることすらできないんだから。

「詩乃。なにやってんだよ。早く次行くぞ」

 名前を呼ばれ、ハッとして顔を上げると、三人が立ち止まってわたしの方を見ていた。

「あ、ご、ごめんね」

 パタパタと駆け寄ると、南条くんがわたしの隣に立つ。

「だから、詩乃の場所はここだって言ってるだろ?」

 そうだ。『詩乃は、俺から離れるな。これは命令だ』ってさっき言われたばかりだっけ。

「そうだったね! ごめんなさい」

 そんなわたしたちを見て、愛莉さんと北澤くんがなんだかニヤニヤしている。

「ち、違うからね⁉」

 これ、絶対二人にラブな方向に勘違いされてるよ。

「なにが違うんだよ」

 今度は、『ウソカノ設定忘れるなよ』っていう、南条くんからの圧力が……!

「いや、違わない……かな?」

 わたしがあはははとぎこちなく笑うと、「なんで疑問形なんだよ」と南条くんが不機嫌そうにつぶやく。

「ねえ、大和。次はどこ行く?」

 園内マップの大きな看板を見つけた愛莉さんが、北澤くんの手を引いて楽しそうに看板へと近づいていく。

「そうだなー。こうなったら、とことんカップルの定番を攻めてみるか」

「だったら、お化け屋敷? 観覧車?」

「そのふたつは外せないよな」

「えーっと、ここから近いのは……」

「お化け屋敷だな」

「ねえ。せかっくだから、観覧車は最後のお楽しみにしない?」

 愛莉さんたちのうしろに立って、南条くんも看板を眺めている。

 わたしは、そんな南条くんのキレイな横顔を、そっと見上げた。

 みんなとはちょっと違う不思議な力を持ってはいるけど、南条くんは普通の男の子だ。

 なのにずっと誰かに狙われていて、学校にすら普通には通えなくて、こんなふうに友だち同士で出かけるのもはじめてで。

 だけどみんなといるときは、そんな苦しい思いをしているなんて、微塵も感じさせない。

 これも、みんなに心配をかけさせないための、南条くんなりの思いやりなのかな。

 だったら、わたしが一緒にいる間くらいは、南条くんができるだけみんなと同じように楽しい毎日が送れるように、せいいっぱいのことをしてあげたいなって、心からそう思う。

 ……そういえばわたし、完璧に初任務をこなして、お兄ちゃんに一人前だって認めてもらうんだってことしか、今まで考えてなかったかも。

 大事なのは、わたしが一人前だって認めてもらうことじゃなく、依頼人の幸せを守ることなのに。

 だからきっと、お父さんはこの仕事に誇りを持っていたんだね。

 こんな大事なことに、今はじめて気づくなんて。

 自分の未熟さが、本当にイヤになる。

 でも、そのことにちゃんと気づけたってことは、わたしもお父さんにちょっとは近づけてるってことなのかなぁ。

 そうだといいな。

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