ポラキャ事変
あとさわいずも
第一章 誰も知らないうちに
1.さりげなく、それは始まった……
これから記す『異変』は、これまで我々が経験した厄災とはまったく異質のものだ。
ほとんどの人は当時、自分たちが『異変』に飲み込まれていることに気付いてなかったし、そもそも『異変』の発生自体知らなかった。
それでも全てが終わった今、その記録を残すことは、俺の義務ではないかと思うのだ。(本当に終わったのかという疑問も残ってるが……)
だからSF小説でも読むようなつもりで読んでもらいたい。
読み終えたあとでこの話を信じるかどうかは、各自の判断に委ねたいと思う。
今となっては『異変』がいつ始まったのか、正確に特定することはできない。
ただ俺がそれを意識をしたのは二〇二四年六月十四日だということは覚えている。
『異変』はさりげない形で、俺のごく身近で起きた。
この時点でそれを『異変』と認識した訳ではない。些細な出来事だったし、それが『異変』だったと気付いたのは、かなり後になってからだ。
場所は駅から俺の勤める会社への通勤路。
時刻は朝の八時ごろ。
会社は九時始業だから、もう少し遅くても大丈夫なのだが、その年の春からはある理由があって、この時間に合わせて出勤するよう心がけていたのだ。
駅から会社までは約十分足らず。
春から、初夏に移り変わるこの季節だけに、朝とはいえ、少しだけ身体が汗ばんで来ている。俺の会社はちょっとしたオフィス街にあるから、同じ方向に歩く人間も多い。
「おはようございます」
背後から女性の声がする。
予定通りだ。
俺は内心浮き浮きしながらも、気持ちが表情に出ないよう注意した。あえて振り向かず、少し無愛想に「おはよう」とだけ、俺は返した。
優利子は今年の春からウチの会社に来ている契約社員だ。歳は二十歳で、俺よりも十歳下。
彼女は凄い美人という訳ではないが、はっきりいって俺のタイプだ。少し癖のある顔立ちなので、男からすると好みのはっきり別れるタイプではある。友人の今本などは「不細工」と断言した。(もちろん、本人のいないときにだが)
女優でいえば——いや、よそう。
要するにおれにとって、モロにストライク・ゾーンだった訳だ。
「相変わらず不機嫌そう」
いたずらっぽく微笑むと、彼女は俺の左に並んだ。
「駄目ですよ、毎朝そんな不機嫌そうにしてたら」
偶然を装うのも楽じゃない。でも、その甲斐あって、最近、優利子も気軽に話しかけて来るようになっていた。
「不機嫌って訳じゃないけど」
毎朝のように繰り返している会話だ。
でも彼女も心得ていて、この会話に付き合ってくれている。
もしかしたら、俺に気があるのではないのか……。
いいや、十歳も年上の男に感心など持つわけがない。
でも待てよ、最近の女の子はかなり年上の男性を好むというからな。
そんな事をより、そもそも彼氏がいるのではないのか……。
そんなことをぐだぐだ考える毎日が続いている。
「昨日は会えなくて、ちょっぴり残念だったんですよ」
俺は思わず顔がほころびそうになった。
「昨日は早出だったからね」
外勤するのが通常の業務なので、早出をしてしまえば、ほとんどの場合、定時後の帰社となる。だから朝も夕方も、彼女と顔を合わせることはない。
「私、最近、朝に矢島さんとこうして出逢うのが楽しみなんですよ」
「本当に?」
そういって彼女の方を振り向いた俺は、驚いて立ち止まった。見慣れぬ佐川優利子がそこにいた。
「髪、切ったの?」
「え?」
今度は優利子が驚いた様子だ。
「切ってませんよ」
「佐川さん、もっとロングじゃなかった?」
彼女の髪は充分に肩に届いていたはずだ。それが耳の下の方が露出するほどのショートなのだ。
クエスチョンマークを頭の上に飛ばしているような表情を彼女は見せた。
「ずうっと前からこのショートですよ」
そんなはずはない。彼女の髪型を間違えるはずがない。そういう妙な自信が俺にはある。(ちょっとキモいと思われそうだが……)
でも彼女の表情に偽りの色は見出せない。
俺は言葉を失った。
優利子は不思議そうに俺を見つめている。
無意識に彼女の顔に吸い込まれていた俺の視線は、もう一つの異変を発見した。
メイクがちがう——。
いつもと違うのはヘアー・スタイルだけでは無かった。明らかに普段とは異なるメイクなのだ。
どう違うのか。
ひと言でいうと派手ということに尽きる。いや、派手というのは少しいいすぎだ。でも昨日までの優利子とは間違いなく違う。彼女はもっと地味なメイクだったはずだ。少なくとも今までの優利子とは印象が異なるのは確かだ。
でもそれは口にしなかった。
優利子が笑う。
「もう、揶揄わないでくださいよ。そんなこといったら、今度の休みデートに付き合わせますよ」
「え、それは——」
さらりと、とんでもない事を告げられ、さっきまでとは違った意味で俺は動揺した。
デートしようって……
俺が今までどれだけその言葉を口にしようかと迷い、断念したことか。
「断っちゃだめですよ。約束ですよ」
「あ、うん」
莫迦になったように俺はうなずいた。
その後、何を話したかよく覚えていない。
だがそれは『異変』のせいではない。
その時は『異変』を本当の意味で『異変』と認識していなかったし、何よりも佐川優利子からのデートの誘いに舞い上がっていたからだ。
それでも彼女の変身ぶりは気になっていたので、俺はさりげなく周囲の人間が優利子に接する姿を観察していた。
その結果、彼女自身が言うように以前からあの髪型だったらしいことが判った。何より尾形という先輩が、何も騒がなかったことだ。あの先輩なら突然髪をショートにした優利子を見れば「失恋したんだろう」などと囃し立てるに違いないのだ。
それだけならセクハラ発言を注意されたか何かで、本人が自重したとも考えられるが、同僚女性たちも彼女の髪型やメイクについて話題にしている様子もない。——まあ女性が同僚の髪型やメイクについて、積極的に話題にするものなのかどうか知らないが。
同期の友人・今本も断言した。
「メイクは知らんが、髪型は間違いなく短かった」
俺は不安になった。
ここまで来ると、俺の記憶違いだと認めるしかない。しかし、俺にはロングだった彼女の記憶が鮮明に残っているのだ。
いくら考えても結論は出なかった。
「ロングだろうが何だろうがいいじゃないか。そんなの大した問題じゃないだろ」
そうなのだ。今本の言う通り、別にたいしたことじゃない。
あの少し派手目のメイクも悪くない。むしろ俺好みだ。
それよりも今の最大のテーマは、次の日曜日の、佐川優利子とのデートだ。
いつしか俺の関心は、今度のデートをいかにして成功させるかに移っていた。
これが『異変』のプロローグだったことを、このときの俺は知る由もなかった。
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