天使ちゃんと人間くん

@mollyfantasy_banned

第一話

目が覚めると、

横で、見知らぬ女の子が寝ていた。


状況を理解するより先に、背中から冷たい汗が滲んでくる。

乾いた喉を鳴らす音だけが、部屋にぽつんと落ちた。


息を殺す。

これは夢だ。

まだ夢の続きだ。


そう思おうとしたけれど、

隣の布団の膨らみが、こちらに向かってふわりと寝返りを打った。


吐息。髪の音。心臓の音。

全部が“現実”の湿り気を持っている。


人間くんは、布団から這い出した。

何も音を立てないように。

誰にも気づかれないように。


……でも、


「おはよう、人間くん」


その声は、寝ていたはずの女の子から、

あまりにも自然に届いた。


---


朝の光が、カーテンの隙間から差している。

部屋の空気は、静かなはずだった。


だけど、その真ん中に、明らかに“部外者”がいる。


白いワンピース。きらきら光る髪。

整いすぎた顔立ち。

そして、やけに目が澄んでいる。


「……え? 誰?」


人間くんは、声を出したあとで、喉の奥が詰まるのを感じた。


「私は天使だよ」

「……は?」

「今日からあなたの担当」


女の子は、ふわりと布団から起き上がる。

背筋はまっすぐで、寝癖ひとつない。

まるで、“寝ていた”という事実すら嘘だったみたいに。


「試験、やっと受かったんだ。ずっとあなたに会いたかったんだよ〜」


にこにこしている。

何もおかしいと思っていない。

むしろ、“待ち望んでいた”顔をしている。


人間くんは、ほんの数秒で現実逃避を決めた。


「……なるほどな。夢か。うん。夢だな。これは。」

「夢じゃないよ?」

「はい、現実を受け入れたら死ぬやつだ、これ」

「ねえねえ、質問いい? 人間って朝はパン派? ごはん派? 私、情報が追いつかなくて!」


勝手に立ち上がり、部屋の中を歩き始める。

何かに興奮して、棚をあさりはじめてる。


「うわ、これがコンビニ弁当か〜! 賞味期限ってこれ? わっ、もう切れてる! すごい! 人間ってすぐ死ぬの?」


「だれかこの状況を説明してくれよ……」


人間くんは頭を抱えた。

天井を見ても、そこに答えはなかった。


---


「というわけで!」


どこにも説明はなかった。

“というわけで”に至るまでの情報を、人間くんは一切聞いていない。


だが、天使ちゃんは朝から自信満々だった。


「これから私は、あなたの生活を全力で支援します! 導きます! 磨きます! 天使ですから!」


「……いや、何の前置きもなく始められても困るんだけど」


「大丈夫。導く側が“自信”を持ってることが大事なんだって、研修で言われたよ!」


研修があったらしい。

本当に、何かの制度らしい。


「まずは生活習慣を観察します!

あなたの呼吸、歩き方、食事のリズム、まばたきのタイミング、すべて記録するから!」


「やめてくれ。いっそ刑務所のほうがマシだわ」


---


天使ちゃんは、言動のすべてが**“人間”に対する憧れ**でできていた。


「これが“歯磨き”か〜!

うわぁ、毎朝やってるの? めんどくさ〜! 人間すご〜い!」


「冷蔵庫って魔法だよね! だって水が冷えてるもん! 魔法じゃないのに、魔法だよね!」


「人間って、睡眠が必要なの!? すごい! 毎日倒れなきゃいけないの!? それ、奇跡だね! 生きてるって感じするよね!!」


「すごい」

「すごい」

「すごい」


その言葉ばかりが繰り返される。

けれど、そのテンションは決して“馬鹿にしてる”わけじゃない。

本気だった。どこまでも本気で、**人間の不完全さに憧れている**のだと分かる。


---


「じゃ、さっそく試してみよう!」


「何を」


「魂交換!」


「ちょっと待て。何そのRPG用語みたいなやつ」


「だから、あなたと私の魂を、こう――ぴたっと交換して!」


「軽すぎるだろ!?」


「だって、私、人間の身体でお風呂に入りたい!」


「理由がダメすぎるんだよ!」


---


そして気づけば、すべてがもう、始まっていた。


---


気づいたとき、人間くんは**違う視点で世界を見ていた。**


背の高さが微妙に違う。

声を出すと、空気の震え方が違う。

冷えた床が、妙に痛く感じる。


鏡の中で、**彼女が笑った。**

でもその笑顔は、どこか不自然だった。


「……君、そんなふうに笑ってたっけ?」


「あ、ばれた? うまく動かせないんだよね、筋肉。人間の表情って複雑で楽しい〜」


天使ちゃん(中身:人間くん)は、彼の身体でぴょんぴょん跳ねながら喜んでいた。


そして、鏡の向こうの自分の姿――

つまり、天使ちゃんの身体を持つ“自分”は、ぎこちなく口角を上げた。


「……これ、どうすんだよ、ほんとに」


「まぁまぁ、大丈夫だよ! すぐ慣れるし、だいたいそのうち戻すから!」


「そのうちってなんだよ、そのうちって!」


「ところで人間くん、下着ってどうやって選んでるの?」


「そこから入るのやめてくれ!!」


---


「ちょっと、腕が重いんだけど」


「えっ、そう? 私の身体、軽いはずなんだけどなぁ。羽ついてるし」


「その羽は見えないし、背中めちゃくちゃ凝ってるぞ。これ」


「それは……たぶん、“人間らしさ”を憧れすぎた副作用かも!」


「どんな副作用だよ!」


---


魂交換から数時間。


人間くん(中身:天使ちゃん)は、自分の身体でやりたい放題だった。

リモコンをいじる。冷蔵庫を開ける。スカートでぐるぐる回る。


「うわ〜! この身体、ジャンプすると胸揺れる! 人間すごい!」


「俺の身体で言うなッ」


「あとさ、髪の毛って毎日整えるの!? えらすぎない!? 私、今まで無風空間で生きてたから、髪とか気にしたことなかった!」


「なにその天使界の完璧環境……」


---


一方、天使ちゃんの身体に入ってしまった人間くんは、

自分の身体じゃない感覚に、思ったより戸惑っていた。


歩幅が違う。

重心が違う。

呼吸が浅い。

言葉を発すると、**空気の反応が違う。**


――誰かが、こちらを見てくる。


それは単なる視線じゃない。

“どう見られているか”の輪郭が、変わっているのを、肌で感じた。


街の中、コンビニ、エレベーター、すれ違う人。


「……なんか、全部、ひとつずつズレてる」


そう呟くと、天使ちゃん(中身人間くん)が、笑顔で答える。


「それが人間の“身体の社会性”だよ〜。楽しいでしょ?」


「楽しくないわ」


「え〜!? 私、最初、怖くて仕方なかったけど、今はそれもぜんぶ愛おしいけどな」


「怖いと思ったのか……?」


「そりゃそうだよ。

 何を言っても通じるとは限らないし、

 人間の世界って、ちょっとした違いがすぐ“正解か間違いか”にされるんだもん。

 でもね、私、そういうままならなさがすごく好きなんだよ。

 だって、思い通りにいかないってことは、そこに“誰か”がいるってことでしょ?」


言葉の重みと、明るさが、ちぐはぐに響く。


「……君、やっぱりちょっと、変だよな」


「うん! それ、ずっと言われてきた!」


---


その夜。


人間くんは自分の寝床に入るが、**眠れなかった。**


横になると、体が硬くなる。

脈が静かすぎて、不安になる。


自分の体温じゃない気がした。

まるで、皮膚の下に誰かが隠れているような。


「……これが、“自分じゃない身体”で眠るってことか」


目を閉じると、どこからか自分の声じゃない“笑い声”が浮かんできた気がした。


---


翌朝、元の身体に戻ったとき。

最初に出た言葉は、「あ、落ち着く」だった。


でもそれは、“違和感がなくなった”という意味ではなく、

“違和感に戻ってこれた”という感覚だった。


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