第20話「怨念の正体」



二十日目の夜、一ノ瀬澪は再び学校の書庫にいた。


昨日の教室での体験から、澪はより深い情報が必要だと感じていた。教室が怪物だとしても、それには必ず原因があるはず。何かが、普通の教室を怪物に変えたのだ。


澪は司書の先生に頼んで、通常は立ち入り禁止の古い資料室への立ち入り許可をもらった。そこには学校創立以来の記録が眠っている。


埃まみれの箱を一つずつ開けていくと、1970年代の資料を見つけた。澪が探していた時期の記録だった。


最初に見つけたのは、1975年の新聞記事だった。


『県立○○高等学校で生徒の自殺』


見出しを見ただけで、澪の背筋が寒くなった。


記事を読んでいくと、詳細が分かってきた。2年生の女子生徒が、放課後の教室で首を吊って死亡した。発見されたのは翌朝、清掃員によってだった。


遺書には「皆に忘れられたい」との記述があったという。


澪は記事を読み返した。場所は2年B組。現在澪たちがいる教室と同じだった。


澪はさらに詳しい資料を探した。事件報告書、警察の調書、そして学校側の対応記録。


被害者の名前は記録されていたが、澪はそれを読むことができなかった。文字が滲んで判別できない状態になっている。


しかし、事件の詳細は読み取れた。


被害者は成績優秀だったが友人が少なく、クラスでは目立たない存在だった。家庭にも問題があり、孤独感を深めていたという。


事件が起こったのは放課後。誰もいない教室で、彼女は一人で死を選んだ。


澪は涙を流していた。どれほどの絶望を抱えていたのだろう。


澪は事件後の記録も調べた。


一週間後、不可解な現象が報告されていた。2年B組の生徒たちが、一斉に被害者のことを「覚えていない」と言い始めたのだ。


担任教師は「生徒たちのトラウマによる記憶の封印」と説明していたが、澪には違う意味に思えた。


澪は1976年以降の記録も確認した。


翌年から、2年B組で奇妙な現象が報告され始めていた。「出席簿にだけ名前がある生徒」「誰も覚えていない転校生」「記録から消える生徒の痕跡」。


年を追うごとに、現象は組織化されていった。最初は偶発的だったものが、やがてシステム化された。


澪は戦慄した。1975年の自殺事件が、すべての始まりだったのだ。


澜は古い写真も探した。1975年の2年B組の集合写真。


そこに、一人の少女の姿があった。


小柄で大人しそうな少女。クラスの端の方に立ち、カメラから目を逸らしている。その表情には、深い悲しみがあった。


澪はその写真をじっと見つめた。この少女の絶望が、現在の状況を生み出している。


その時、資料室の温度が急激に下がった。澪の息が白くなる。


足音が聞こえた。誰かが近づいてくる。


澪は振り返った。


そこに、古い制服を着た少女が立っていた。


1970年代の制服。現在のものより少し古いデザイン。そして顔は、写真で見た少女と同じだった。


澪は恐怖で身体が硬直した。


「あなたが一ノ瀬澪さんですね」


少女は静かに言った。その声は遠くから聞こえるような、不安定な響きがあった。


澪は答えることができなかった。


「私のことを調べてくださったのですね」少女は微笑んだ。しかし、その笑顔には深い悲しみがあった。


「あなたは」澪はやっと声を出した。「あの時の」


「はい」少女は頷いた。「1975年に死んだ生徒です」


澪は後ずさりした。「でも、あなたは死んだはず」


「肉体は死にました」少女は答えた。「でも、想いは残りました」


澪は理解した。この少女の怨念が、教室を支配している。


「なぜこんなことを?」澪が尋ねた。


「こんなこと?」少女は首をかしげた。


「教室を怪物にして、記憶を奪うなんて」


少女は困惑した表情を見せた。


「私はただ、忘れられたかっただけです」


澪は混乱した。「忘れられたかった?」


「はい」少女は頷いた。「生きている時、私はとても苦しかったんです」


少女は壁にもたれかかった。その姿は透明で、実体がないことが分かる。


「誰からも必要とされず、誰からも愛されず」少女は続けた。「だから、せめて忘れられたかった」


澪は少女の孤独を感じ取った。


「でも、忘れられるのも怖かった」少女は矛盾した感情を語った。「存在した証を残したかった」


澪は理解し始めた。この少女の複雑な感情が、現在のシステムを生み出している。


「それで記憶を奪うように?」


「記憶を奪う?」少女は首を振った。「私は皆の苦痛を感じたくなかっただけです」


澪は混乱した。「苦痛を感じたくない?」


「生きている時、皆の苦痛が私に流れ込んできました」少女は説明した。「クラスメイトの悲しみ、怒り、絶望。すべてが私の心に入ってきた」


澪は息を呑んだ。


「だから死んだ後、せめて皆の苦痛を取り除きたかった」少女は続けた。「皆が幸せになってほしかった」


澪は理解した。この少女の歪んだ優しさが、教室を怪物に変えたのだ。


「でも、そのために他の生徒が犠牲になってる」


「犠牲?」少女は困惑した。「私は皆を救おうとしただけです」


澪は拳を握った。「葛城紗夜のことよ。彼女が苦しんでる」


少女の表情が変わった。初めて聞く名前のような反応だった。


「葛城紗夜?」


「現在の犠牲者」澪は説明した。「あなたのシステムで苦しんでいる生徒」


少女は首を振った。


「私はシステムなど作っていません」


澪は驚いた。「でも、教室が記憶を奪って」


「それは」少女は困惑した。「私の意図ではありません」


澪は混乱した。では、誰が現在のシステムを作ったのか。


「あなたの死後、何が起こったか知ってる?」澪が尋ねた。


少女は首を振った。


「知りません。私は自分の苦痛に囚われていて、周りのことが見えませんでした」


澪は理解した。この少女は、自分の怨念が引き起こした結果を知らない。


「あなたの想いが、教室を変えたの」澪は説明した。「記憶を奪う怪物にしてしまった」


少女は愕然とした。


「そんな」


「そして、毎年一人ずつ、犠牲者が生まれてる」澪は続けた。「四十八年間、四十八人の少女が苦しんだ」


少女は膝から崩れ落ちた。


「私のせいで」


澪は少女に近づいた。「あなたも苦しんでたのね」


「はい」少女は涙を流していた。「とても苦しかった」


澪は理解した。この少女も被害者だった。孤独と絶望に追い込まれ、死を選ばざるを得なかった被害者。


「でも、もう苦しまなくていい」澪は言った。


少女は澪を見上げた。


「どういう意味ですか?」


「あなたの苦痛を、私が理解したから」澪は答えた。「あなたは一人じゃない」


少女は新たな涙を流した。


「でも、私はもう死んでいます」


「魂は生きてる」澪は答えた。「だから今、話ができる」


少女は澪を見つめていた。四十八年間、誰も自分の苦痛を理解してくれなかった。


「あなたは優しい人ですね」少女は小さく言った。


「あなたも優しい人よ」澪は答えた。「皆を救おうとしただけ」


「でも、結果的に皆を苦しめてしまいました」


澪は首を振った。「あなたのせいじゃない。孤独にしたのは周りの人たち」


少女は長い間沈黙していた。そして、ついに口を開いた。


「どうすれば、皆を救えるでしょうか?」


澪は希望を感じた。この少女が協力してくれれば、システムを止められるかもしれない。


「一緒に考えましょう」澪は答えた。「誰も苦しまない方法を」


少女は微笑んだ。四十八年ぶりの、純粋な笑顔だった。


「ありがとうございます」少女は言った。「やっと、分かってくれる人に出会えました」


澪は少女に手を伸ばした。触れることはできないが、心は繋がった気がした。


「一緒に戦いましょう」澪は言った。「あなたも、葛城紗夜も、皆を救うために」


少女は頷いた。


「はい。四十八年間待った甲斐がありました」


そして少女の姿は薄れ、消えていった。しかし、その前に最後の言葉を残した。


「私の名前を覚えていてください」


澪は頷いた。しかし、少女の名前は記録から消されている。澪は心の中で誓った。


この少女の苦痛を忘れない。そして、必ず皆を救う方法を見つける。


澪は資料室を出た。


怨念の正体が分かった今、澪には希望があった。


敵ではなく、味方がいる。一緒に戦ってくれる存在がいる。


澪は歩きながら考えた。


四十八年間続いた悲劇を終わらせるために、澪は戦い続ける。


その戦いは、もう遠くない。

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