第17話「銀ブラ」
銀座は帝都随一、日乃本國随一の繁華街である。
午後八時。すっかり夜の帳が落ちた銀座には、無数の街灯が灯って道ゆく人々を照らしている。そして華やかに輝く電飾看板やショウウィンドウの光で、夜の銀座は美しく彩られていた。
多くの商店が軒を連ね、意匠を凝らした看板や凝った店構えの数々…。そして賑わう人々の往来は、眺めているだけでも心躍る光景だ。さらに、最新の洋装を纏ったモガ・モボ達が闊歩する街〈花の銀座〉は、流行の発信地でもあった。
そんな銀座を男女が揃って銀ブラをすれば、まさにそれは〈デェト〉というものに他ならない。
だが…
今、岩之介の目の前にある光景は、デェトと呼ぶには少々異質なものだった…。
岩之介と彩華は、銀ブラの定番とも言われる〈
洋食と
そんなオシャレ度が最高値のこの店でも、彩香の胃袋は全く怯むことはなかった。
周囲の客達の驚愕の視線を浴びながら、二人が向かい合って座るテーブルの上には、幾つものスイーツの皿や洋食の器がキレイに空になって並んでいたのだった。
(〈ロマンス〉のかけらもないなぁ)
相変わらずの〈一人大食い選手権〉ぶりに、岩乃介は苦笑いするしかない。
すっかり平らげた彩華は、今日は口の周りを丁寧に拭いている。すると、二人のテーブルに男性の給仕係・ボーイが音も無く現れて一礼すると、所狭しと並んでいた器を素早く片付けて去っていった。その流れる様な手際の良さに、彩華はすっかり感心したらしい。そして、やっと食べる以外で口を開いた。
「この店の給仕係は、みんな男なのだな」
「男の人だから、ボーイさんだよ」
「今日もボンドのランチタイムは
彩華は、詰襟・金ボタンの白コート姿で店内を動き回るボーイ達に感嘆している。
(結局、もの凄く真面目なんだよなぁ…)
そんな彩華を見ながら、岩之介はまた苦笑いした。
「ここはお店も大きいし、客層も違うからね。それに…」
「ウチの店のお客達は、彩香さんのメイド服姿が目当てだから無理もないよ!」
「私の?」
そう言って彩香は、自分の格好を見ながらキョトンとしている。
「あ、今の服じゃなくてお店の制服ね」
そう言いながら岩乃介は、彩香の服装にあらためて見惚れた。
今日の彩華は、まさに某女流歌劇団の男役女優だった。
ママさんが見立てた洋装は、一見男物の背広に見える臙脂色の上着とスラックス、つばが長目の中折れ帽を合わせた、まさに〈男装の麗人〉スタイルだった。彩香の容姿と長身が男装の華麗さを引き立て、店内の大注目を集めているのである。
(でもこの食欲で、さらに別の意味で注目を集めているけど…)
一方の岩之介は、ママさんが見立てた背広の上下に蝶ネクタイという装いだが、そこは見た目が小学生の岩之介である。彩華との身長差が相まって、どう見ても姉と弟の二人連れにしか見えなかった。
(そうか…)
岩之介は急に真顔になる。
(この店、あの時…以来なんだな…)
先日みた朱美の夢と重なり、岩之介は少し俯いた。
「イワ、どうした?」
「わっ!」
岩之介の変化を見逃さなかった彩華が身を乗り出して、いつもの様に顔を目と鼻の先まで近づけていた。
「彩華さん!お店の中だよ?顔を離して!」
思わず仰け反った岩之介は、慌てて彩華に小声で囁いた。
「なぜだ?」
彩華はキョトンとしている。
「いいから離れてっ!」
岩之介は彩華に囁きながら目で合図する。彩華が横を見やると、二人のテーブルの前にボーイが銀の盆を持ったまま困った様に立っていた。彩華は超高速で元の姿勢に戻る。
「お待たせしました」
ボーイはそう言うと、岩之介の前に珈琲のカップを丁寧に置いた。続いて彩華の前には空のティーカップを置き、ティーポットから紅茶を注ぎ始めた。
そのボーイの一挙手一投足を、彩華は食い入るように見守っている。その余りにも真剣な眼差しに、ボーイは激しく困惑して額に汗をかき始めた。
「そ、そういえば、彩華さん?…」
見かねた岩之介が彩華に話しかけた。
「ん?なんだ?」
彩華は、やっとボーイから視線を外した。ボーイは急いで一礼すると、逃げる様にテーブルから去っていく。それを見送った岩之介は、あらためて彩華に尋ねる。
「いつも僕に顔を近づけるけど、どうして?」
「どうして、とは?」
彩華はそう言いながら、紅茶が注がれたティーカップの持ち手をつまんでいる。
「素朴なギモン…だけど?」
「?」
彩華は、岩之介の質問の意図が理解できない様子だ。
「シンデンとも、いつもそうやって話していたぞ。親密な相手とは、そうやって話すものだろう?」
「シ・ン・ミ・ツ?」
岩之介は、半ば呆然とオウム返しの様に呟く。すると彩華は、至極当然の様にキッパリと言った。
「私を身命を賭して救ってくれたイワが、親密でない訳がなかろう?」
「え?」
(いま、サラッと凄い事を言われなかった?…)
「イワは私の命の恩人だ。それに、大切なシンデンも救おうと手伝ってくれている」
「とても…感謝している…」
彩華は少し俯き、はにかみながらそう言った。
(えーっ!急に〈デェト〉っぽくなってない?)
岩之介は、高鳴る鼓動が周りに聞こえないかと焦った。自分の顔が赤くなっていくのがわかる。激しく焦る岩之介は、ちょうど彩華がティーカップを口にしたところで強引に話題を変えた。
「と、ところで彩華さん、昼間はママさんと何を話してたの?」
「ブホッ!ゲホゲホッ!」
「え?、さ、彩華さん大丈夫?」
(絵に描いた様なベタな反応!)
盛大に咽せる彩華に、岩之介が慌ててハンカチを差し出す。彩華はそれをひったくると、急いで口元を拭き始めた。
「い、いや済まぬ…。その、あれだ…」
彩華のあまりに露骨な慌てっぷりに、岩之介は逆に冷静になった。
(テキトーに話を変えただけなのに…なんか変だ)
岩之介は、無言でじーっと彩華を見つめてみた。案の定、彩華は目線を泳がせてこちらを見ようとしない。
「そ、それよりも、イワ!」
彩華が急に真面目な顔になって岩之介に尋ねた。
「み、右腕の具合はどうなのだ?」
「え?右腕?」
「なんだ、僕の怪我の話だったの?」
「いや、まあ。その、上手く傷を治せたのか…ずっと気になっていて…」
岩之介は、右腕を曲げたり伸ばしたりして具合を確かめている。
「うん。どこも痛くないし、前よりも調子が良い感じがする」
「龍仁坊には悪いけど、いつもなら痛みがまだ続いてるハズだから…。彩華さんの治癒法術のおかげだよ!ありがとう!」
そう言うと岩之介は彩華に向かってにっこりと笑った。
「あ、いや。礼を言うのは、救われた私の方…」
彩華は、ママさんと話をした時の事を思い出しながら、岩之介に恐る恐る尋ねる。
「それで、あの時の事は…その、覚えているのか?」
岩之介は右腕を左手でさすりながら、少し上を見上げる。
「うーん。すごく断片的…。記憶はかなり抜け落ちてるかなぁ」
岩之助は、ごく当たり前のように話を続ける。
「僕は死にかけた後は、その前後の事をあまり覚えていないんだ」
「今回は、彩華さんの治癒法術のおかげかな?いつもよりは覚えている方かも…」
そんな岩之介を見ながら、彩華の表情がわずかに曇った。
(やはり…ママさんの言う通りだ)
(あれほどの激しい戦いを覚えていないとは…)
「でも、彩華さんの無事な顔を見て嬉しかったのは、ちゃんと覚えているなぁ」
そうサラッと言ってのけた岩之介の言葉に、彩華は一気に赤面する。
「そ、その辺は覚えていなくても良い!」
「だけど…」
岩之介はさらに続ける。
「一番肝心な端末群の事をあんまり覚えていないんだ」
「まあ、端末群は何度も姿を変えるから、顔を覚えても意味がないんだけど」
「それならば問題はない」
彩華は岩之介に向かって言った。
「えっ?」
「私は姿よりも、匂いで覚えている」
「匂い?端末群の?」
驚いて目を丸くしている岩之介に、彩華はゆっくりと頷く。
「あれは、およそ生き物の匂いではない。まるで金属の様な感じだった」
「金属?」
「そう。ちょうど、こんな感じの…」
彩華はそう言いながら鼻をすんすんさせた。その途端、彩華の視線が岩之介の背後に釘付けになった。
「彩華さん?…」
彩華は口を閉ざし、瞬きもせず一点を凝視したまま動かない。岩之介は、彩華の視線を辿って座ったまま振り向いた。志聖堂パーラーの装飾が施された大きなガラスの向こうに、歩道を歩く大勢の人々が見えた。
パチン!
聞き慣れた、何かが爆ぜる音がした。慌てて彩華の方に向き直った岩之介は愕然とする。案の定、彩華の姿は既に消え去っていた。
「え?」
ヴッヴッヴッ!
同時に、彩華の消えた座席を見つめる岩之介の左腕に小さな振動が起きた。
「?」
岩之介は慌てて左腕を上げて腕時計型端末を見る。その小さな丸い画面上を、赤い光点が移動していた。
(え?何で?)
岩之介は目を疑った。
(コレ…彩華さんの位置?僕は発信機を付けていないのに?)
だが逡巡したのは一瞬だった。岩之介は急いで席を立つと、数枚の紙幣をテーブルの上に無造作に置いた。
「ご馳走さま!」
そう叫んで店を飛び出すと、また左腕の端末を素早く操作する。すると丸い画面に彩華を示す赤い点とは別の緑色の光点が現れて、画面の上を高速で移動し始めた。
(よし!早く来い!)
心の中でそう叫びながら、岩之介は左腕の端末を確認しながら走り出した。
土曜日の夜、人々は夜の銀ブラを楽しんでいる。その人混みを縫う様にかき分けながら、岩之介は端末の赤い光点を頼りに彩華の後を追った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます