第10話「胎動」

「あらあら!彩華さん、とうとう眠っちゃったのね」


「ま、ママさん?」

 いつの間にか戻ってきたママさんが、彩華を見て優しく呟いた。

「彩華さん、昨夜は寝ずに岩ちゃんの“治療”をしていたから」

「さ、彩華さんが?」

 驚いた岩之介は、自分の膝の上で小さな寝息を立てている彩華を見下ろした。

「最初にボンドに来た時、彩華さん必死だったのよ。岩ちゃんを助けるって。命を捨てて救ってくれた恩人を、絶対に死なせないって」

「え…」

「でも、こんな大怪我は治したことがないって、泣きながら法術で治療していたわ…」

 気を失っていたとはいえ、予想の斜め上をいくママさんの話に、岩之介は唖然としている。


「岩ちゃん!またやったのね?」

 ママさんは、少し怒った様に岩之介を見据えた。

「あ。す、すみません…」

「まったく無鉄砲なんだから!命は一つしかないのよ!」

「で、でも、昨夜のは!」

 岩之介が急に叫んだ。

「彩華さんを助けたくて!必死で…」

 そう言うと岩之介は、唇をかんで俯いてしまった。そんな岩之介を静かに見つめていたママさんは、また優しく微笑んで話し始めた。

「それでね、私が少し手伝ってあげたの」

「岩ちゃんの治療」

「え?」

「でも、彩華さん流石ね。すぐにコツを掴んで、治癒法術を上手く使える様になったわ」

 ママさんは、彩華の寝顔を見ながら目を細める。

「え?ママさん言っちゃったんですか?」

「何を?」

「特技師の事…」

「あら別に良いじゃない。だって彩華さん困ってたし!」

「それに、私は引退した『元・特技師』だもの。岩ちゃんだってクビになったんでしょ?」

「は、はぃ。まぁ…」

(ホントに良いのかなぁ?)

「それに…」

 ママさんは、眠っている彩華を優しく見つめた。

「多分この子、何日も寝ていないし、まともに食事をとっていなかったはずよ」

「なのに、私がいくら言っても岩ちゃんの傍から離れないし、ご飯も食べなかったの」

「まるで、拾われた子猫みたいだったわ」

 岩之介はただ驚くばかりで、彩華の寝顔を見つめる事しかできなかった。

「それが、岩ちゃんが起きた途端に御飯も食べて、こうだものね!」

 ママさんはくすくす笑う。

「岩ちゃんが元気になって、きっと安心したんだわ。彩華さん、岩ちゃんのこと気に入ったみたい!」

 ママさんの一言に、岩之介はしどろもどろになった。

「え?気に入る?な、どうして、僕を?」

 ママさんは、とてもイタズラっぽい笑顔になる。

「さあ?~」

「彩華さんが起きたら、聞いてごらんなさいな」

 岩之介は、自分の膝の上で熟睡している彩華の顔を見下ろした。

(拾われた子猫?…)

 そんな岩之介を見ながら、ママさんはいつもの優しい笑顔に戻って言った。

「明日から忙しくなるから、岩ちゃんも今日は早く休んだほうが良いわよ」

「え?明日?」

「彩華さん、明日からボンドでウエイトレスをやってもらうの!」

「彩華さんにアレ、絶対似合うわよぉ~!」

 ママさんは意味深な微笑みを浮かべて岩之介にウィンクした。

「ウエイトレス?似合う?」

「あ、岩ちゃんも一緒だから!男の子だからボーイさんね!」

「へっ?」

「どうせクビになってヒマでしょ!じゃあ、明日からよろしくね!」

 岩之介を置き去りにして自室に戻ろうとするママさんを、岩之介は慌てて呼び止めた。

「あの、ママさん?」

「なあに?」

「そういえば、龍仁坊は?」

「あー」

 ママさんの顔から笑顔が消えて、スッと真顔になる。

(ママさん、龍仁坊が絡むと豹変ぶりがスゴイ…)

 そして、完全に素に戻ったママさんは抑揚なく言った。

「今だに治癒法術もマトモに使えない出来損ないの元部下には、バカでもできる簡単な調べものをさせているわ!」


 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


「ぶえっくしょいっ!」

 龍仁坊の盛大なくしゃみの風圧で、幾つかの書物が飛んでいった。

「うわっ!気をつけてくださいよぉ~」

 書庫担当官が、飛ばされた書物を慌てて拾い集めている。

「す、すまねぇ」

 巨体を丸める様に胡座をかいて座っていた龍仁坊が、申し訳なさそうに頭を下げた。

 その周りには、龍仁坊を囲む様に古い書物が堆く積み上げられている。大きな龍仁坊の身体が、全く見えなくなるほどの量だ。

「見当たりませんね…」

 先ほどの担当官が、手にしていた書物を閉じながら言った。

「〈ケモノ使い〉。やはりその様な記録は見当たりません。かなり遡ったのですが…」

 龍仁坊は、自分を取り囲む書物の山を見回しながら呟く。

「この量でどの位だ?」

「約三〇〇年前まで…です」

「それでも、ナシか…」

 いま龍仁坊は、特技師団本部にある記録書庫室に来ていた。ここには、特技師の発祥からの膨大な記録が保管されている。丸一日かけて調べているが、〈ケモノ使い〉に関する情報を見つけ出すことができないのだった。

(ここにあるのは、いわゆる公式文書。〈ヤバい記録〉がある訳ねぇよな)

 龍仁坊は、手にしていた書物をピシャリと閉じる。

「しかたねぇ…かなり高くつくが、〈あのお方〉に頼るかぁ」

 そう独りごちた龍仁坊は勢いよく立ち上がった。

「うわぁ!」

 すると積み上げていた書物の山が崩れて、担当官の上に雪崩れ落ちていく。

「た、助けてぇ~」

「手間かけたな。そいじゃ急ぐんでこれで!」

 龍仁坊は、書物の下に生き埋めになった担当官を置き去りにして、散乱した書物をかき分けながら足早に出て行ってしまった。

「ひ、人でなしぃ!」

 生き埋めになった担当官の悲鳴が、力なく書庫に響いた。

  



 ー同日・深夜ー


 ヴヴヴヴヴヴヴヴ…

 金属が軋む不快な音が響き、壊れた機械部品や鋼材が月夜に照らさられて蠢いている。

「ゔうぅ…」

 それは徐々に人の形を成していき、頭、胴、手足が生み出されていた。

 ここは、帝都の外れの港湾地域にある廃棄場である。人気はなく、壊れた道具や動かなくなった大型機械などが堆く積み上げられている。いまだ都市として成長を続ける帝都が生み出す、いわゆる〈都市としての老廃物〉が集まる場所だった。

 その一角、山と積まれた機械廃材に紛れて、端末群が自己再生を試みていた。


「あの…とくぎし…め…」

 黒板を引っ掻くような不快な〈音〉が呟いた。

「再生に…これほど…手間どる、とは…」

 岩之介が使った未知の力は、端末群が盗んだ法術はおろか、自己再生能力といった基本的な構成因子までも根こそぎ剥ぎ取ってしまっていた。

 ギシギシギシギシ…

 端末群は、金属どうしを擦り付けるような音をたてて、仰向けのまま頭を右に向ける。すると、その頭らしき塊に口の様な穴が開いた。

「うばった法術…ぜんぶ…消された」

 声とは言えない不快な音を発しながら、端末群は傍の物体を見つめる。

「コレ、も…また、やり、直し…」

 犬かオオカミの様な動物が一匹、青白い光に包まれて伏せた姿勢で固まっている。それは、上野大公園で岩之介たちが遭遇した巨大生物にそっくりだった。


《~再生口度リカバリーに問題はないか~》

 端末群の脳核に、無機質な機械信号の様な音が直接響いた。

「もんだ、い…あり、ま、せん…端末塵たんまつじん・さま…」

 即座に軋み音が応える。

《こちらの分析では…お前は初期化以前の状態、単一のコアにされている。完全再生には、あと二〇時間を要するだろう》

「もうし…わけあ…りません」

《~再生後、〈ケモノ使い〉と呼ばれる有機端末の確保と術理の奪取を最優先せよ~》

「かし、こまり…まし、た。端末塵・さま」

 答える端末群の軋み音が、徐々に人の声に近づいていく。

「この、〈生命体〉を…使い、必ずや術理を…」

 やがて、仰向けに大の字に寝転んだ、人型の造形物が徐々に輪郭を明確にしていく。だがその造形は、まだ凸凹な金属の寄せ集めのままだ。端末群は、傍の動物に右手をかざす。すると、青白く発光している動物がゆっくり中空に浮き上がった。

「この〈生命体〉を、蘇生すれば…」

 動物に向けられた残骸の様な顔に、眼の様な一つの窪みが現れた。

「ケモノ使いは、必ず…探知」

 端末群の呻く声が、徐々に人間の声に近くなっていく。

「必ず…見つけ出す」

 端末群は、窪んだ穴の様な一つ目で月を睨みながら呻いた。

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