事件の裏側
公爵令嬢、ドレスの裏側1
その日、グランヴィル公爵家は早朝からてんやわんやの大騒ぎだった。
――いや、正確には、昨夜のうちから騒がしかった。
お抱えの針子たちは、夜を徹して公爵夫人・マルグリットの命に従い、かつて夫人自身がデビュタントで着たというシルクのドレスをシャルロッテ用に仕立て直していた。レースはほつれを繕い、袖口は時代に合わせて細くし、刺繍は金糸で上書きされ、まるで新作のように生まれ変わろうとしている。
使用人たちはその様子を見守りつつ、目をうるませる者さえいた。
「お嬢様がドレスを……!」
誰もが半信半疑だった。あの、男勝りで“公爵家の四男坊”とまで呼ばれているシャルロッテが、よりによって舞踏会に出るなど――。
屋敷中がどよめき、家令はマルグリットから次々と飛んでくる指示に追われていた。
「この色じゃ暗すぎるわ。もう少し明るいサファイアブルーを――え、なければ他の店を回らせなさい!」
「飾りはパールじゃなくてダイヤ風のカットガラスを。あの子の瞳にはそれが映えるのよ」
「靴がない?……仕方ないわね、いっそ新調しなさい!」
徹夜であちこちの店を駆け回った家令と従者たちは、半分白目で荷を抱えて帰ってきた。
そして――最大の被害者は、当然ながら、当の本人である。
「無理、絶対に無理」
シャルロッテは朝から侍女に引っ張られ、鏡台の前に座らされていた。
髪には香油、顔にはほんのりピンクの紅、そして手足にはしっとりとした薬草のマッサージ。
挙げ句の果てに風呂が二回。しかも花びら入り。エステも二回目。
「お嬢様、じっとなさって。眉を整えます」
「だからそれが嫌だって言ってんの!!」
暴れるシャルを左右から支える侍女たち。
「この日を……この日をどれほど待ち望んだことか……!」
「お可愛い……絶対に今日だけは逃がさない……!」
まるで人間兵器を調整するかのように、全力で化粧と装いに挑む侍女隊。
シャルロッテの抗議はことごとく無視された。
「誰だよ……舞踏会なんて行くって言い出したの……」
シャルロッテは鏡の中の自分を見て、頭を抱えた。
昨日の作戦会議でノリノリでシャルロッテが星降りの魔石をつければいい……なんて言ったのはリヒャルトだった。
あの次兄……。
賛成した長兄も長兄だ。何が母上も王女殿下もお喜びになるだ……、だいたいアル兄も、諦めろとか言って……。
「はぁ……」
侍女たちは何かを取りに行くとかいって、一斉に部屋を出て行った。
ドレスはまだ着せられていないが、巻かれたコルセットが苦しい、逃げ出すにはもう遅い気もする。
いや……そもそも事情を説明して母上が星降りの魔石をつければよかったのでは……?
囮っていっても、名目上だろ……いや、似せた宝石つくるとか……いや、魔力入ってないからバレるか。しょうもないことばかり頭に浮かんでは消えていく。
「はやく、はやく終わってくれ……」
シャルロッテの呻き声が部屋に響いた。
※
「何、シャルロッテが囮だと?」
カール・ルプレヒト・フォン・グランヴィルの声が、公爵家の執務室に鋭く響き渡った。彼はベルゼルガ王国の軍務を統括する元帥であり、公爵家の当主でもある。
厳格な顔立ちに険しい眉間の皺、鋭利な刃物のような鋭さを持つ瞳は、今まさに怒りに燃えている。
「いくらなんでも危険すぎる。シャルロッテをそんな役目に就かせるなど許さん」
父の激しい言葉に対し、長兄のジークフリートが静かに口を開いた。
「父上、危険なのは承知の上です。しかし、シャルロッテ自身も了承しています。これはシャルロッテの意思です」
「了承だと? あの子が?」
「父上。シャルは意外と度胸がありますよ。ああ見えても胆力は侮れません。騎士団でも度々耳にしますが、彼女の働きは評判ですよ。それに――」
次兄のリヒャルトが口元に微かな笑みを浮かべながら言葉を継いだ。
「今回はドレスを着るそうですよ。父上、あのシャルがですよ?」
「ドレス……だと?」
カールが思わず目を見開き、僅かに口ごもった。
「ええ、母上がそれはもう張り切っておいでです。シャルも逃げ出すわけにはいかないでしょう。これを機に少しは淑女らしく振る舞うことも学んでくれるかもしれません」
リヒャルトは楽しそうに告げる。
その様子を壁際で黙って見ていた三男のアルノルトが、ふと淡々とした口調で口を開く。
「まあ、俺もシャルロッテが適任だと思いますけどね。何しろ、誰もシャルロッテが本当に公爵令嬢だとは信じないでしょうから。囮としては完璧ですよ」
「アルノルト! お前はもう少し真面目に話をしろ!」
「俺は至って真面目ですよ、父上。ただ事実を申し上げただけです」
アルノルトは飄々とした態度で言い放った。
カールは一瞬言葉を失い、苛立たしげに息を吐く。
「父上、我々兄弟が全力でバックアップいたします。シャルロッテには何一つ危害は加えさせません」
ジークフリートが真摯に、しかし力強く父を見据える。
「……わかった。ただし、絶対に失敗は許さんぞ。万が一あの子に傷ひとつでもついたら、許さんからな」
低く押し殺した声でカールが告げると、三兄弟はそれぞれ頷いた。
「承知しました、父上」
ジークフリートが代表して答える。
執務室を出た兄弟たちは、並んで廊下を歩きながら、どこか張り詰めた空気をわずかに緩めた。
「……見たか? 父上の嬉しそうな顔」
リヒャルトが、ふっと笑いながら言った。
「シャルのドレスって聞いた時の顔だろ」
アルノルトが茶々を入れると、兄たちは思わず肩を揺らす。
「まったく、父上はシャルロッテに甘い」
ジークフリートが呆れたように溜息をつくと、すかさずリヒャルトがツッコミを入れる。
「兄上、それ自分にも当てはまってるからね」
「……俺か?」
ジークフリートが少しだけ目を瞬かせ、否定も肯定もしないまま黙り込んだ。
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