第32話娘とあいつが現れた?
唾が口中に溢れ返っている。飲みこもうとしても飲みこむことが出来ない。
まさか、砂地に吐き出すわけにはいかない。
唾だけではない。額、背中、手、その他もろもろで汗が噴き出ているのを感じる。
この明け方の冷え込みの中で、である。
ああ、そうか。王女が抱きついてきているから、それがあたたかくて汗をかいているのか?
そう納得しようとしている間に、汗がタラタラと流れ落ちはじめた。
と、とにかく落ち着け。落ち着くんだ。
たかだか王女に抱きつかれているだけではないか。しかも、王女にたいした理由はない。
不安と恐怖から解放されての安堵感から、なにかにすがりつきたいだけのこと。
すがりつける物体がおれだけだった。ただそれだけのこと。
それ以上でも以下でもない。
これが将軍でも同様に抱きついただろうし、大きなぬいぐるみだってそうだろう。
馬? まあ、それは対象外だったのかもしれないな。
くそっ! 心臓までドキドキばくばくしているではないか。胸の辺りが痛いほどだ。
これではまるで、町や村の爺さんたちのようだ。
もういい。こうなったら、だれがなんと言おうと彼女を抱きしめてやる。
だって、そうだろう?
せっかくのチャンス、ではない。不安がっている彼女を、抱きしめて物理的に癒すのだ。それのどこが悪い?
抱きしめるだけ。それ以上はなにもない。当たり前だ。壊れ物を扱うようにソフトに抱きしめる。
よしっ!
決断したら即行動がおれのモットーだ。
彼女は、おれに抱きついたまま美しい顔をおれの胸にくっつけている。
こういうのを、胸に顔を埋めるというに違いない。
それはともかく、彼女を抱きしめるのだ。
二つの手の十本の指に力をこめてみた。
「バキッ! ボキッ」
関節がやけに大きく響き渡った。
先程ぶちのめした連中は、いまはもううめき声一つ上げていない。だからやけに大きくきこえた。
自然に、自然に。
頭では思うが、実際はぎくしゃくとした動きになる。
左腕は彼女の腰に、右腕は彼女の肩にそれぞれそーっとまわしてみた。そして、いまにも指先が彼女に触れそうになって……。
「お父様、ほんとにもうっ! 焦れったいったらありませんわ」
「ぎゃああああああああっ!」
左耳に囁かれ、文字通り飛び上がってしまった。
「な、な、な、な、な……、ミ、ミホ?」
いまや心臓は、先程までとはまったく違う意味でドキドキばくばくしている。
おれの年齢くらいになると、心臓のドキドキばくばくは恋のときめきよりも心臓の不具合によるものだという可能性が高いだろう。
「父上。この期に及んでまだ母に手をつけて、おっと失礼。まだスキンシップをとっていないのですか?」
「な、なんだと? だから、おれはおまえの父親ではないと言っているだろうがっ。って、どうしておまえがここにいる?」
ありがたいことに、娘が現れた。が、ありがたくないことに、あいつまで現れた。しかも、あいつはホルブルック帝国の連中に痛めつけられなかったのか、ケロッとしているではないか。
「そうでしょうか? ぼくの父上になるには、あとはあなたしだいだと思いますが」
顔だけ野郎、いまのはいったいどういう意味だ?
「母上。ご無事でなによりです。この連中は?」
あいつは、砂地に転がっている謎の連中を見まわしつつ尋ねた。
「さあ、わかりません。この人たちの姿が見えましたから、てっきりホルブルック帝国の別動隊だと思ったのです。この方たちに尋ねれば、あなたとミホの行方がわかると思って声をかけてみたのですが……。わたしのことを王女と知っていますから、おそらくこのアークライト王国の関係者なのでしょう。捕まりそうになりましたが、トシが助けてくれました。それで、あなたの方は?」
「それはよかった。父上は男らしいですからね。か弱いレディのピンチには、かならずやいいカッコをしたがるのです」
「いや、まてまて。おまえが言うな。ええっ?」
「お父様。そもそも王女殿下を危険にさらすなどと、おかしくないですか?」
「ミホ。違うんだ」
「言い訳はいいです。お父様はもう時代遅れなのかもしれませんね。剣を一振りするだけでも洗練されているデイブとは、大違いです」
「な、なんだって?」
む、娘に時代遅れ認定されてしまうとは……。
それに、あいつが洗練されている?
男どうしの戦闘に、洗練されたもへったくれもあるものか。
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