第15話

01-02-01


 五代ごだい仁兵衛にへえは、兵頭群治に彼が幼いころからずっとニーちゃんと呼ばれている青年である。実は群治が高校生になっても仁兵衛の名前を憶えていないのを仁兵衛は知っている。


「将来のハングレ――とっくに半分ハンとかグレーどころじゃ真っ黒だったかあいつら……真っ黒集団が失踪っつーのはまあ良いとして、なんで群治まで消えたんだ……?」


 群治と群治が言うところの犯罪者集団が異世界へ放り出された一件は、地元新聞の細やかな記事にのみ集団失踪事件として取り上げられていた。逆に言えば未成年を含む十を超える人数の男女が忽然と消失し、その後の痕跡すら発見できていないにも関わらず、全く報道されない方が異常だからと言わんばかりに御座なりな記事が一度だけ書かれて事件は風化させられた。


 群治が言うところの犯罪集団には親が地元の名士であり古くから権勢を揮う家系の未成年も含まれていたが故に、家の名に傷がつきかねない今までの風聞は内々に処理されていた。

 しかし悪童などという言葉では済まされない悪行三昧により親はとっくに見放している。今回の集団失踪は、そんな焼き付き始めている不良債権が普段から親しくしている者達とともに失踪したとあって、これ幸いと居なかったも同然の扱いで片づけられた。なぜか繋がりの一切見えない同年代の少年が集団失踪に含まれていても、その家族とわざわざ直接顔を合わせて騒ぎ立てないよう圧力をかけたほどだ。


 おかげで群治の母親は憤怒と悲嘆に押しつぶされて伏せってしまい、群治の父親は全ての感情を噛み殺し強引に日々の勤めへと戻り、群治の弟は人間不信の芽を抱え込んだ。

 仁兵衛は小さいころから可愛がってきた弟分の突然の失踪と、捜査当局が圧力に屈し異常な事件でありながら御座なりの対処しか行わない理不尽を飲み込めず、頭の中の理性的な部分では無意味と理解しつつ、最後に群治の足取りが確認された周辺を練り歩いていた。


 仁兵衛の本心からのお礼として群治の下校途中にサバゲグッズ一式を買いに行き、店の前で別れた群治がそのまま帰らなかったことに仁兵衛は責任を感じていた。あの日、あの時でなければ群治は事件に巻き込まれることもなかったはずだと。


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 群治が失踪して丁度十日が経った日。群治から借りていた漫画を返す名目で事前に連絡していた通り、兵頭一家の様子をうかがうべく仁兵衛は兵頭宅に足を運んだ。


 兵頭一家は仁兵衛に責任はないし気にするなと言ってくれているが、それで仁兵衛が割り切れるはずもない。

 それにもう一人の弟分である群治の弟は群治と違い兵頭夫妻に似て繊細で神経質な面が強く、失踪事件に対する捜査当局の姿勢から社会や人間そのものに対する嫌悪や不信が年頃と相俟って深刻なものに育ちつつあると仁兵衛は感じていた。

 兵頭夫妻も群治の弟――まきの現状を察しケアしようとしているが、その兵頭夫妻がメンタルケアを受けるべき状態ではなかなか難しい。


「お邪魔し――まきどうした」


 仁兵衛が中学に入ってすぐ兵頭夫妻から預けられた兵頭宅の合鍵で玄関を開き声をかけようとしたところ、入ってすぐの二階へ上がる階段の一番下の段にまきが腰かけていた。

 まきの様子から察するに仁兵衛を待っていたようだ。


「ニーちゃん……あの、おかしなことだって分かってるんだけど……ぐーちゃんから手紙が届いてたんだ」


 まきは群治の要望により群治を「ぐーちゃん」と呼んでいる。まきは群治を「群治兄ちゃん」と呼んでいたのだが、爺ちゃんと聞き間違えた群治が長いしまた聞き間違えそうだとまきに呼び方を替えさせたのだ。そのとき両親にパパ・ママと呼んでほしいとからまれたまきは特に抵抗なく受け入れている。まきは、当人がそう呼んでくれと言うならお兄様とか御姫様とかマゾブタとかどんな呼び方でもできる一般的ではない感性を有していた。


「……すぐ見れるか?」


 仁兵衛は群治や普段の友人との会話のノリで「は?」と訊き返しそうになったのを飲み込み、かろうじてまきに返すに相応しい声音と言葉選びを心がけることができた。

 群治に対しては「何寝ぼけたこと言ってんだ顎引きちぎるぞ」くらい言ったかもしれないが、その場合群治は「代わりの顎買ってね」くらい返すだろう。しかしまきにそんな粗暴な言葉をぶつけたら下手をすると病んでしまいかねない。ただでさえ今のまきは慎重な対応が求められる精神状態であり、言葉選びやイントネーションを意識するくらい兄貴分として最低限の度量だ。


「うん。はいこれ」


 まきが仁兵衛に手渡したのは、階段に座っているまきがそばに置いていた畳まれたB5のルーズリーフだった。


「…………ああ、うん……これは確かに群治が書いたんだろうな。それに確かに内容がな」


 要約する必要もないくらい短い手紙は、群治が書いたことを疑えない大雑把な内容の雑な字だ。B5のルーズリーフの折り目が雑なのもそれを感じさせる。手で顔文字を書き込んでいるのも群治らしい。その顔文字が紙面の下半分を占拠しているのも群治が書いたことを仁兵衛に信じさせた。


「小父さんと小母さんには――言えるわけないか……そうだよな……」


 仁兵衛が言い切る前に激しく首を横に振ったまきを見て、仁兵衛は何とも言い難い感情の動きを自覚した。今の兵頭夫妻に群治に関する冗談など言えようはずもなく、仁兵衛が本物だと確信してまきが半信半疑のこの手紙を兵頭夫妻に渡した場合、どのような反応が起こるか仁兵衛にも読み切れない。


「ああ、そうだ。まき、この手紙どこにあったんだ?」


 この手紙が群治の出したものであると仁兵衛は確信している。内容に関しては脇に置き、この手紙を兵頭夫妻に見せるかは一旦保留したことで仁兵衛は根本的なところに思考が及んだ。


「えっとね……」


 少し恥ずかしそうに言い淀んだまきに仁兵衛はなぜそんな表情をするのか不思議そうに見つめ返したが、続くまきの言葉を聞いて腑に落ちた。


「僕、前からぐーちゃんの部屋にいることが多くて、ぐーちゃんが行方不明になってからはずっとぐーちゃんの部屋に居たんだけど」


 まきは繊細な気質の自覚があり、ややもすると神経質にもなりかねない自分をあまり好いていない。そのせいか、よく言えばおおらか、悪く言えば大雑把で鈍い群治によく懐いている。そんなまきが、群治がいなくて寂しいのを群治の部屋に居ることで誤魔化していたとしてもおかしくはないと仁兵衛は感じた。


「今日も学校から帰ってきてぐーちゃんの部屋に行ったら、ポストに乗ったシーサー? みたいな置物がぼんやり光ってて、どうしたのかと思って調べてたらポストにこの手紙が入ってた」


「……そうか、光ってたか。あれ、狛犬の相棒の獅子らしいぞ」


「しし……ライオンなんだあれ」


 まきは納得いっていないようだが、ライオンのデザインが昔の日本に流れつくまでの変遷を語れるほど仁兵衛は詳しくなかった。どこかの神社にある獅子と狛犬の総称が獅子狛犬だと聞いた覚えがあるだけだ。


 玄関に入ってすぐのところで仁兵衛は床に座り込み、まきと二人で群治の手紙をはさみ共に頭を抱えた。

 仁兵衛は、この手紙を兵頭夫妻に見せるか否か――いや、そうではなく、当然見せるべきだが、これを受け止める余裕が今の兵頭夫妻にあるかが問題だった。

 まきは、よくわからない経緯で得た群治の手紙の件を頼れる兄貴分に預けられたため、ライオンには見えないあの置物が獅子だという理解しがたい新しい知識を噛み砕くことに集中できた。


 仁兵衛は群治の父・兵頭玄允くろまさが会社から帰宅するまで答えが出せないまま悩み続けた。玄関に入ってすぐのところで頭を抱えていた仁兵衛は、今の兵頭家でそれほど仁兵衛の様子がおかしいとなると群治に関連することが理由だと即座に看破した玄允くろまさに何事かと訊ねられた。

 仁兵衛は仕方なく、仁兵衛が群治からの手紙だと微塵も疑っていないB5のルーズリーフ一枚の手紙を見せた。


 玄允くろまさは怪訝そうにB5のルーズリーフを開いた暫く後、何度も上から下へと眼球をぐりんぐりん動かした。

 自身の父親がどのように受け止めるのか心配していたまきは仁兵衛の後ろから覗き込むようにしていたが、父親の眼球が落っこちたりしないかの方に心配の比重が移ったほど玄允くろまさの眼の動きは凄まじかった。


 まきが狼狽えているのを察した仁兵衛が玄允くろまさに声をかける寸前、仁兵衛とまきに一言謝った玄允くろまさは寝室で寝込んでいる群治の母・兵頭玻璃緒はりおの元へと全力で走り始めた。


 少々激しい反応ではあるものの、あの様子であれば兵頭夫妻は活力を取り戻せそうだと仁兵衛は安堵した。

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