第5話 夫婦になりまして

 私はさとるさんの部屋のドアをノックして告げる。


さとるさん、ちょっといいですか」


 中で椅子から立ち上がる気配がして、足音が近づいてくる。


 ドアが少し開けられ、さとるさんがその向こうに立っていた。


「どうした」


「その、これからシャワーを浴びるので、だから……」


 さとるさんが小さく息をついて答える。


「分かった。風呂から上がったら教えろ。それまでは部屋から出ない」


 ドアが閉められかけて、私は慌てて声をかける。


「――あの! その後で、少し話をしませんか!」


 閉まりかけたドアが止まり、再び少し開かれた。


「……話とは何だ? 今ここで、できないことか?」


 私は目線を逸らしながら答える。


「はい……ダメ、ですか?」


 さとるさんが小さく息をついて答える。


「分かった。もういいか?」


 私が小さく頷くと、さとるさんはドアを閉めてしまった。


 ……やっぱり、嫌われてるのかなぁ。


 私はお風呂の準備をすると、ユニットバスに入って服を脱ぎ始める。



 シャワーを浴びながら、午前中のことを思い出していた。


 入籍……夫婦、だよね。


 今夜が新婚初夜って奴なのかな。


 ……入念に体を洗っておこう。


 私は少し長めのシャワータイムを過ごしながら、今夜のことに頭を悩ませていった。





****


 お風呂上りにバスローブ姿になり、さとるさんの部屋のドアをノックする。


「シャワー終わりました」


「分かった」


 中から声が帰ってきて、足音が近づいて――うわぁ?!


 私は慌ててドアノブを押さえ込んだ。


 ドアの向こうでさとるさんがドアノブを回そうとしてるのが分かる。


「……なんだ? なぜドアを押さえ込んでる?」


「その! まだ着替えてないので!」


「……分かった。着替え終わったら教えろ」


 ドアから気配が遠のいていく。


「――ふぅ。焦ったぁ」


 さすがにお風呂上がりのバスローブ姿なんて、まだ見せる勇気はないし。


 私は急いで自分の個室に戻り、新しい服に着替えていった。





****


 ベージュのワンピースの上にレモンイエローのカーディガンを羽織る。


 足元はレギンスで覆って、姿見の前でチェックする。


 ……よし、若奥様らしいかな?


 部屋から出て、さとるさんの部屋のドアをノックする。


さとるさん、少し話せませんか」


 すぐに中から気配がして、ドアが開かれた――あれ、さとるさんもいつの間にか着替えてる?


 グレーのYシャツにスラックス。部屋着も仕事着みたいだ。


 さとるさんが私に告げる。


「……ドアの前に居られると出られないんだが」


「――すいません! すぐ退きます!」


 私が道を空けると、さとるさんはリビングに向かって歩いていく。


 私はその後を追って、リビングルームに向かった。


 ……少しくらい、服装を褒めてくれてもいいんじゃない?





****


 リビングルームでローテーブル周りに腰を下ろす。


 さとるさんは私の正面に座り、冷蔵庫から取り出した缶コーヒーを飲んでいた。


 ブラックコーヒー? 苦くないのかな……。


 さとるさんが私に尋ねる。


「それで、話とは?」


 私は弾けるようにさとるさんの顔を見上げて答える。


「私たち、夫婦になったんですよね?」


「そうだが……それがどうした」


 さとるさんの表情は変わらない。


 こちらを見つめてくるさとるさんから視線を逸らし、私は答える。


「だったら、今夜はその……新婚になって、初めての夜だし……その……」


 顔が火照っていくのが分かる。顔が赤いの、バレちゃうかな?


 さとるさんが小さく息をついて答える。


「何を期待してるのか知らんが、俺は子供に手を出す気はない。

 ベッドはお前が使え。俺は床で寝る」


 私は慌ててさとるさんに視線を戻して告げる。


「駄目ですよ、そんなの! 体を壊しちゃいます!」


「鍛えてある。問題ない」


 そういう問題かなぁ。それとも、私と一緒に寝たくないのかな……。


 私はおずおずとさとるさんに尋ねる。


「私って、魅力ないですか?」


 さとるさんがきょとんとした顔で私を見つめた。


「何を藪から棒に……悪い物でも食べたか」


「――だって! そうまでして一緒のベッドで寝ない理由が、分からなくて!」


 さとるさんが私の目を見つめてくる――なんだか、今すぐ逃げ出したい。


 その目が、少しだけ伏せられた。


「……先代の巫女の話は聞いているか」


 私は小さく頷いて答える。


「確か、先月亡くなったって」


 さとるさんが少し躊躇うように黙り込む。


「俺はもう、あんな犠牲はたくさんだ。

 『鎮魂しずみたまの巫女』など、居なくなってしまえばいい」


 そういえば、私にも『逃げろ』ってずっと言ってたっけ。


「でも『鎮魂しずみたまの巫女』が居なくなると、星降ほしふり様の封印が解けちゃうんじゃないんですか?」


「それでこの国が亡びるなら、それまでだろう」


「――それで死んじゃう人が出たら、どうするんですか?!」


「そいつらの代わりに、巫女が死んでいくのか?

 元々歪んだシステムなんだよ、『星降ほしふり様と鎮魂しずみたまの巫女』ってのは。

 それならもう、終わらせてしまった方がいい」


 さとるさんが小さく息をついて、缶コーヒーを飲み干した。


 私は缶ジュースを一口飲んでから尋ねる。


「だから、『自分の子供を作る気はない』って言ったんですか?」


 さとるさんがフッと笑みを浮かべて――だからそれ、反則!


「よく覚えてるもんだな、あんな一瞬の言葉」


 だって、私を拒絶する言葉なんて、忘れにくいんだもん。


 私が目を伏せていると、さとるさんが立ち上がって告げる。


「話はそれだけか?」


 私はさとるさんを見上げて、黙ってその目を見つめた。


 さとるさんが私の視線に戸惑うように眉をひそめる。


「なんだ? 何を言いたい?」


「……なんでもないです」


 私は目を伏せて答えた。


 やっぱり、服を褒めてくれない。私に興味がないのかな。


 さとるさんがリビングから出ていき――その途中で足を止めた。


 こちらに背中を向けたまま、さとるさんが告げる。


「よく、似合ってるな」


 ――気づいてくれてた?!


 私が何かを言う前に、さとるさんは自分の部屋に戻ってしまった。


「……なんなの、いったい」


 あれが私の夫か。何を考えてるのか、何をしたいのか、さっぱり見えてこない。


 静珠しずたま本家の子供も作る気がないみたいだし、今夜も何もないのかな。


 私、初婚の初夜で放置されちゃうの? なんだか少しみじめじゃない?


 クッションを胸に抱え、床に倒れ込んで呟く。


「私の旦那様は、どうやったら懐柔できるかなぁ」


 ため息をついてから、しばらくアイデアを練っていった。





****


 夕食の席で、お爺さんが上機嫌で日本酒を飲んでいた。


聡子さとこが正式に本家の一員として戻ってきた。

 これで次代の巫女も安泰だな」


 横目でさとるさんを盗み見る――やっぱり、不機嫌なのを隠そうともしてない。


 私も黙って料理を口に運んでいく。


 今夜は朝より豪華な食事が並んでる。


 魚料理に肉料理、それぞれ三種類ずつあるみたいだ。


 和食の家みたいだけど、何かあったのかな?


 私は食事をしながらお爺さんに尋ねる。


「今日は何かお祝い事があったんですか?」


 きょとんとした顔のお爺さんが、楽しそうに笑いだした。


「新しい『鎮魂しずみたまの巫女』が結婚をしたら、当然祝うとも」


 私とさとるさんの結婚祝いなのか……でも私、まだお酒は飲めないしなぁ。


 さとるさんも、お酒には手を付けてないみたいだ。


 私はお爺さんに尋ねる。


「そもそも、『星降ほしふり様』ってなんなんですか?」


 お爺さんがお酒を一献、飲み干してから答える。


「日本に伝わる『荒魂あらみたま』と言われている。

 この静珠しずたま本家に富を与える神様だ。

 まぁ座敷童みたいなものだと思えばいい」


 私は眉をひそめてお爺さんに尋ねる。


「お金のために、神様を『あんな場所』に閉じ込めてるんですか?」


「私が閉じ込めたわけでもない。

 なぜあの場所だったのか、それも分からない。

 だが今も静珠しずたま本家は星降ほしふり様を封印し、その加護で栄えてる。それで充分だろう」


 突然、さとるさんが立ち上がって告げる。


「俺は部屋に戻る。仕事があるんでな」


 明らかに食事途中なのに、悟さんは足音を立てながら大座敷から出ていってしまった。


 お爺さんがため息をついて告げる。


さとるの奴、まだ根に持ってるのか」


 私はきょとんとしながらお爺さんに尋ねる。


「根に持つって……何があったんですか?」


「先月、息を引き取った先代の巫女――あれはさとるの母親なんだ。

 あれから少し、あいつの様子がおかしくてな」


 ――お母さんが亡くなったばかりなの?!


 二か月前にお父さんが居なくなった私には、その苦しみは痛いほどわかってしまった。


 だから、巫女のシステムを嫌悪してるのかな。


 ……私にしてあげられることって、何かないかな。


 私が黙々と食事をしていると、お爺さんが私に告げる。


聡子さとこさとるを支えてやりなさい。夫婦なんだからね」


 ……夫婦って言われても、夫婦らしいことができてる気がしない。


 これから巧くやっていけるのかな。


 十八歳でこんなことになるとか、私の人生どうなってるんだろ?


 私は心が混乱しながらも、さとるさんのことを考えながら夕食を済ませていった。

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