理事長凱旋日・惣渠学業争議 終
「どこで、間違えちゃったんだろうね。こんな状況になっちゃったのって、二年生の途中からで、一年生の頃は、こんなストライキしなくても、普通の学校生活を送れたのに」
「僕の、個人的な考えだと、一年生の時にはもう、間違えてしまっていたと、そう思いますよ」
「私って、どうしたらいいのかしら」
言ノ葉は机に突っ伏して、喋る。自分自身に問うているのか、僕に疑問を投げかけているのかは、分からなかったが、僕はその疑問に、応えてあげることにした。
「どうしたら……僕は言ノ葉さんのやりたいこと、信じたいこと、本当の気持ちにただ従えば良いと思いますよ」
「本当の気持ち、ね」
その言葉を最後に、言ノ葉は黙ってしまった。言ノ葉はこの言葉とその真意に、心底迷うことだろう。言ノ葉は教師に従い、委員長としての誠実と正義を掲げて、今の今まで自分の気持ちに見向きもしないで、ただ決められた気持ちに動かされていただけ。委員長としてではなく、言ノ葉として動いたことなど、僕は知らない。言ってしまえば、言ノ葉は私情を挟まずに、学校に従属する組織人で、自分の気持ちを持つことを半ば諦めた、ロボットのような、そんな存在だ。少なくとも僕は、そう思っている。言ノ葉もきっと思っているだろう。でなければこんな疑問に、悩む必要もないのだ。
そんな悩みの海に、僕が放流してしまった。あの時のオルグ未遂と、恋路。それらは言ノ葉の私情からの疎外を、打ち破ってしまった。
声の無い空間で、自分自身についても考えてみる。
言ノ葉と違って、僕はえらく私情に塗れた人間だ。それについてなんら反省も後悔も感じていない。組織に縛られるよりはずっと良いだろう。だが、それが全て正しいかと言われればそれも違う。危険な道に足を突っ込んで、組織を平気で裏切って、平気な顔をして自分のために人を利用する。そんな人間は傍から見たらただのクズだ。勿論、僕も最初は違ったのだ。最初は、僕も組織人だった。だが、ある時にそれを辞めた。一切の葛藤もなかった。言ノ葉には、葛藤をしてもらわなければ、困る。
「このストライキ、最初は否定的だったの。なんでこんなことするんだろうって。勿論地下組織になっちゃった生自総連もね。学校なんて、ただの三年間我慢するだけ。学校は、組織に属するための教育機関。先生に、教師に従属するだけ。それなのに、何でこんなに頑張っちゃってるんだろうって、思ってた。そして私は教師側として、彼らを否定的に捉えてた。でも、今は違う。彼らは自分自身のために、自分の尊厳のために戦っているんだって分かった。かれらは未来永劫生徒の権利を守る環境づくりをしようとしている。でも、私はもう戻れない。教師の側に立って、組織人として従属していた私は、彼らを断罪しなきゃいけない。それが嫌なの。自分の本当の気持ちは、きっと彼らの同情心でいっぱい。どうしたら、良いのかな」
葛藤している。私情と組織の間で、言ノ葉は挟まれ苦しんでいる。そんなことで苦しむのは、組織人が私情を芽生えさせるか、私情を持つ人間が組織人になるときの二つだけ。珍しい状況に立ち会えている。少し、笑みがこぼれそうになった。
「言ノ葉さんは、考えすぎなんですよ。誰だって自分勝手に生きるのが至上です。私情は至上なんです。教師たちも、組織人でありますが、自分勝手でもある。そういうバランス感覚が、大事なんでしょうね。でも言ノ葉さんは許さないでしょう。組織人として、私情を全く挟まないように、この三年間過ごしてきた言ノ葉さんには、どちらかの極端な選択しか出来ないはずです。後、正直ここでの学校生活は残り五か月程度ですから、高校で新しく始めるというのも手です……がそれも嫌ですよね。ならば今ここで、決めてしまいましょう」
僕は立ち上がり、窓の外で今でも行われ続けているストライキには目もくれず、ホワイトボードに向かっていった。そして、ホワイトボードに何かを書くということもなく、ホワイトボードを背にして言ノ葉に問いかけた。
「言ノ葉さんは、教師側として組織人を続けるのか、それとも、私情を手に入れて、また違う人生を歩み始めるのか、どちらですか?」
「……やっぱり、まだ、決められない、かな」
「そうですか。まあ今までの人生の根幹を否定するようなものですしね。気持ちは大いにわかります。ただ、あやふやが一番駄目ですよ。僕も、あやふやにしてしまっていますが……そうだ!一つ、提案をしましょう。言ノ葉さんに対する、僕の返答を来週の月曜日にします。なので、言ノ葉さんも、月曜日までに決めてください」
あの時、事件が全て終わってからという制約を立てたが、それを壊して、自分から事件と返答の関係性を断ち切る。もうそんな制約は要らなかった。
「ええ。分かったわ。考えてみる。詩乃音は、どう思う?私の今後の人生」
「それを決めるのは言ノ葉さんですよ。僕が何かを言ってあげることは出来ません」
「酷いこと言うのね」
「人生についてとやかく矯正させる人間の方が、酷いと、僕は思いますけどね。でも、因みに僕自身は全てを私情で生きています。それはそれで楽しいですけれど、それは人間関係も、組織も、社会という必需品の何もかもを捨てることと同じようなものです」
そのアドバイスじみた言葉に言ノ葉は、特に何も反応はしなかった。考え込んでいたようだった。
「質問を少し変えましょう」
僕は提案をする。
「言ノ葉さんは、委員長が嫌ですか?縛られることは嫌ですか?自分として生きたいですか?」
「……」
「まあ、土日を挟んで、僕らの返答を考えましょう」
窓の方に歩みを進めて、もう一度ストライキの隆盛を見てみる。少しずつ、ストライキの規模が少なく、帰宅を始める生徒も出ていた。掛け時計を見れば、気付けば部活が終わりかけの時間。今日のストライキは、終わった。その功罪について、僕は生自総連の組織人として考えなくてはならなかったけれど、今は考えるのを止めた。
今は考えるべきは、言ノ葉の、私情だ。
「あの、やっぱり今、答えたい」
「ええ。良いですよ」
唐突な言葉に、考える暇もなく了承をしてしまった。言ノ葉は、決意をしたのだろうか。私情に足を突っ込むのか、全てを捨て去るのか。そのどちらを選んだとしても、僕の行動と返答は、変わらない。あまり重要ではない言ノ葉の言葉に、僕は一言も喋ることなく、ただ聞いた。
「やっぱり、今はまだ組織人でいようと思う。考えてみて思ったの。私の、本当の気持ちが分からないこと、私情が希薄なこと、そして何よりも、怖い。何も無くなった自分がどうなるのか。自分から委員長を、アイデンティティを捨てるのが、怖い」
「そうですか……分かりましたよ。初めて、自分で選んだんじゃありませんか?この選択自体が、言ノ葉さんの本当の気持ちなんでしょうね。でも、僕としては……いえ、部外者の意見なんて必要ありませんか」
「でも、まだ、組織人として人生を全うしようと決意したわけじゃない。いつか、怖くなくなった時、私情を持ちたいと思った時、何か、自分らしさを見つけた時、私は組織人を辞める」
その言葉は、私情を孕んで、自分勝手にどちらも可能性を残して、現状維持を図る言葉。賢くて、卑怯な、私情塗れの言葉。言ノ葉らしくなかった……いや、昔の言ノ葉らしくなかった。
今なら、言ノ葉が行ってしまった罪を、自覚して、反省することも出来るだろう。組織人としての罪を、効率化の罪を、言ノ葉は精算できるだろう。
「じゃあ、僕からの返答も……こんな僕でも、愛してくれるのなら、僕も全てを愛します。言ノ葉さん。今後とも、どうぞよろしくお願いします。」
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