第2話『命令』
ひかりが転校してきたのは、私が神さまごっこを目撃してから3日後のことだった。
その3日間で、神さまごっこは学園内に恐ろしい速度で広がっていた。最初は20人程度だった参加者が、もう50人を超えている。
彼らは自分たちを「信者」と呼び、参加していない生徒を「迷える子羊」と呼んでいた。そして、神の命令に従わない者を「背信者」として糾弾するようになった。
私は既に背信者として認定されていた。
廊下を歩くたびに、信者たちの視線を感じる。敵意に満ちた、冷たい目つき。まるで汚れた何かを見るような表情で、私を見つめてくる。
でも、私は負けない。
神さまごっこの正体を暴くまで、絶対に屈服しない。
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その朝、私は生徒会室で照と話していた。
「参加者が増えてるって聞いたけど」
「そうだね」照は書類に目を通しながら、無関心そうに答える。「もう学園の1割近くが参加してる」
「止めなくていいの? 生徒会として」
照は顔を上げて、私を見た。いつもの人懐っこい笑顔だったが、目の奥に何か冷たいものが光っている。
「止める理由はないよ。彼らは何も悪いことをしていない」
「悪いことをしてない?」私は声を荒げた。「生徒に自傷行為をさせてるのよ」
「森川さんの件? あれは彼女が自分でやったことだ」
照の答えは、まるで他人事のようだった。生徒の安全を守るべき生徒会副会長とは思えない、冷淡な態度だった。
「照、あなた本当は神さまごっこの味方なの?」
「味方?」照は小さく笑った。「僕は中立だよ。ただ観察してるだけ」
「観察?」
「人間の本性がよく見えて面白いんだ」照は立ち上がって、窓の外を見る。「信じる者と疑う者。従う者と逆らう者。とても興味深い」
私は背筋に寒気を感じた。照の言い方には、人間を実験動物のように見下す響きがあった。
「君も参加してみたらどうかな」照は振り返って、私に微笑みかける。「内部から見れば、もっと色々なことがわかるよ」
「断る」
「そうか」照は肩をすくめる。「でも、いずれ君も参加することになると思うよ。自分の意志で、あるいは……」
「あるいは?」
「強制的に、かな」
照はそう言って、生徒会室から出ていった。残された私は、彼の最後の言葉の意味を考えていた。
強制的に参加させられる?
そんなことが可能なのだろうか。
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昼休み、私は伊織と一緒に中庭でお弁当を食べていた。
「沙羅、最近元気ないけど大丈夫?」
伊織は心配そうに私を見つめる。確かに、神さまごっこのことを考えすぎて、あまり眠れていなかった。
「大丈夫よ。ちょっと寝不足なだけ」
「神さまごっことかいう変な遊び、まだ続いてるの?」
私は周りを見回した。近くに信者らしき生徒はいないが、油断はできない。
「続いてるどころか、もっと大きくなってる」
「えー、本気で?」伊織は眉をひそめる。「何が面白いのかしら、そんなの」
その時、中庭の向こうから歓声が上がった。見ると、数人の女子生徒が騒いでいる。
「転校生よ! すっごく美人!」
「お人形さんみたい!」
「どこから来たのかしら?」
私たちも立ち上がって、その方向を見た。
校舎の入り口に、一人の少女が立っていた。
黒い長髪、白い肌、整った顔立ち。確かに人形のように美しい少女だった。でも、その美しさには何か人工的な、不気味な印象があった。
彼女は周りの騒ぎなど気にもとめず、静かに校舎の中に入っていく。その後ろ姿を見送りながら、私は妙な既視感を覚えた。
どこかで見たことがある。
でも、思い出せない。
「綺麗な子ね」伊織が呟く。「でも、なんか近寄りがたい雰囲気」
「そうね」
私は父から聞いた名前を思い出していた。
黒瀬ひかり。
まさか、あの少女が?
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5時間目の現代文の授業中、担任の田村先生が発表した。
「今日から、新しい仲間が加わります。黒瀬ひかりさんです」
教室の扉が開いて、あの黒髪の少女が入ってきた。
彼女は教壇の前に立つと、静かにお辞儀をする。その動作は優雅で美しかったが、どこか機械的でもあった。
「黒瀬ひかりです。よろしくお願いします」
彼女の声は透き通るように美しかった。でも、その美しい声には感情がこもっていない。まるで録音された音声のような、冷たい響きだった。
「黒瀬さんは、前の学校で生徒会をやっていたそうです。何か一言お願いします」
ひかりは少し考えてから、口を開いた。
「私は神を信じています」
教室が静まり返った。
普通、転校生の挨拶で宗教の話をする人はいない。特に、この学園はキリスト教系だが、生徒の大半は形式的に礼拝に参加しているだけで、本気で信仰している者は少ない。
でも、ひかりは続けた。
「神は常に私たちを見守っておられます。そして、時には直接語りかけてくださることもあります」
クラスの空気が重くなった。何人かの生徒が困惑した表情を浮かべている。
でも、教室の後ろに座っている数人の生徒は、違った。
彼らは十字架のペンダントをつけていた。神さまごっこの信者たちだ。
彼らの目は、ひかりを見つめて輝いていた。まるで、救世主を発見したかのような、熱狂的な光を宿して。
「神の声が聞こえるんですか?」
突然、信者の一人が立ち上がって質問した。2年生の山田裕子だ。
田村先生は慌てて止めようとしたが、ひかりは静かに微笑んで答えた。
「はい。聞こえます」
山田の顔が興奮で紅潮した。他の信者たちも、ざわめき始める。
「どんな声ですか?」
「優しくて、厳しくて、愛に満ちた声です」ひかりは天井を見上げる。「神は私たちを愛しておられますが、同時に正しい道を歩むよう導いてくださいます」
私は寒気を感じた。
ひかりの言葉は、明らかに神さまごっこの教義と一致していた。偶然ではない。彼女は意図的に、信者たちに向けてメッセージを送っているのだ。
授業が終わると、信者たちがひかりの周りに集まった。
私は遠くからその様子を見ていたが、彼らの会話は聞き取れない。でも、ひかりが何かを説明し、信者たちが感動した表情で頷いているのがわかった。
そして、ひかりが私の方を見た。
一瞬、目が合う。
彼女の瞳は、美しいけれど冷たかった。まるで氷のように澄んでいて、でも人間の温かさが全く感じられない。
彼女は私を見つめたまま、小さく微笑んだ。
その笑顔が、私の背筋を凍らせた。
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放課後、私は再び礼拝堂に向かった。
ひかりが神さまごっこに参加するかどうか、確かめたかった。もし参加するなら、事態はさらに深刻になる。
礼拝堂の前に着くと、中から声が聞こえてきた。いつもより多くの人数のようだった。
扉を少し開けて覗くと、驚いた。
参加者が70人近くいた。この3日間で、さらに20人も増えている。
そして、祭壇の前に立っているのは田中ではなく、山田裕子だった。
山田は両手を天に向かって広げながら、高らかに宣言する。
「神は新たな預言者をお遣わしになりました!」
参加者たちがざわめく。
「新たな預言者とは、転校生の黒瀬ひかり様です!」
一斉に歓声が上がる。そして、参加者たちが道を開いて、一人の少女を迎え入れた。
ひかりだった。
彼女は白いローブを身に纏い、金の十字架を首に下げていた。まるで本物の聖女のような、神々しい雰囲気を漂わせている。
ひかりは祭壇の前まで歩いてくると、参加者たちに向かって微笑んだ。
「皆さん、お待たせしました」
その声は、教室で聞いた時よりもずっと暖かく、優しかった。まるで慈愛に満ちた聖母のような響きだった。
でも、私には偽物だとわかった。演技だ。彼女は信者たちを騙すために、わざと優しい声を出している。
「神は私に語りかけてくださいました」ひかりは続ける。「皆さんの信仰を試すため、新たな命令をお下しになりました」
参加者たちが息を呑む。
「明日、1年A組の高橋美咲は、保健室で吐きます」
静寂が礼拝堂を支配した。
これまでの命令は「階段で転ぶ」「赤点を取る」程度の軽いものだった。でも「吐く」というのは、もう少し深刻だ。
「神の意志です」ひかりは厳かに告げる。「疑ってはいけません」
参加者たちは一斉に頭を下げる。
「神の意志に従います」
「ひかり様、ありがとうございます」
「我らは神に選ばれし者」
その時、ひかりの目が私の方を向いた。
扉の隙間から覗いている私を、彼女は発見していたのだ。
ひかりは参加者たちに聞こえないよう、唇だけで言葉を作った。
「明日、来なさい」
私は慌てて扉を閉めて、礼拝堂から離れた。心臓が激しく鼓動している。
ひかりは私に何かを伝えようとしている。でも、それが善意なのか悪意なのかわからない。
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翌日の昼休み、予言が現実になった。
1年A組の高橋美咲が、給食を食べた直後に激しい腹痛を訴え、保健室に運ばれたのだ。そして、保健室で嘔吐した。
食中毒らしい症状だったが、他に同じ症状を訴える生徒はいない。高橋だけが、なぜか体調を崩したのだ。
私は保健室に様子を見に行った。
高橋は青白い顔でベッドに横たわっている。保健の先生が心配そうに看病していた。
「大丈夫?」
「はい……でも、気持ち悪くて」高橋は弱々しく答える。「朝は元気だったのに、急に」
「何か変わったもの食べた?」
「いえ、普通の給食だけです」
私は首をかしげた。同じ給食を食べた他の生徒は、誰も体調を崩していない。なぜ高橋だけが?
その時、保健室の扉が開いた。
ひかりが入ってくる。
「高橋さん、大丈夫ですか?」
ひかりの声は心配そうだったが、表情には微笑みが浮かんでいた。まるで、予想通りの結果に満足しているような。
「あ、黒瀬さん……」高橋は苦しそうに答える。
「神のお導きです」ひかりは高橋の手を取る。「あなたは選ばれたのです」
「選ばれた?」
「神があなたに試練をお与えになりました。それは、あなたが特別な存在だからです」
高橋の目が、かすかに輝いた。苦しみの中でも、「特別」という言葉に心を動かされているのがわかった。
私は寒気を感じた。
ひかりは高橋の弱みにつけ込んで、神さまごっこに勧誘しようとしている。病気で弱っている相手を、宗教で騙そうとしているのだ。
「やめなさい」私は声を上げた。
ひかりが振り返る。その瞬間、彼女の表情が変わった。慈愛に満ちた聖女の顔から、冷酷な捕食者の顔に。
でも、それは一瞬だけだった。すぐに、また優しい笑顔に戻る。
「如月さん、こんにちは」
「高橋さんを騙さないで」
「騙す?」ひかりは首をかしげる。「私は彼女を慰めているだけです」
「慰め? 病気を利用して宗教に勧誘することが?」
保健の先生が困った顔で私たちを見ている。宗教の話は、この場にはふさわしくない。
「如月さん、少しお話ししませんか」ひかりは立ち上がる。「外で」
私は警戒したが、断る理由もない。保健室を出て、廊下の端まで歩く。
誰もいない場所で、ひかりが口を開いた。
「あなたは神を信じませんね」
「信じない」
「なぜ?」
「神なんて存在しないから」
ひかりは小さく笑った。その笑い声は美しかったが、氷のように冷たかった。
「私の母も、そう言っていました」
私の心臓が跳ねた。母、という言葉に反応したのだ。
「あなたの母親は?」
「黒瀬聖子」ひかりは私の目を見つめる。「20年前、この近くの学校で神になった人です」
私の血が凍った。やはり、ひかりは聖子の娘だった。
「あなたの母親は7人を殺した」
「殺していません」ひかりは静かに否定する。「神の元に送っただけです」
「同じことよ」
「違います」ひかりの目が鋭くなる。「死は終わりではありません。始まりです。永遠の命への」
私は一歩後ずさった。ひかりは完全に狂っている。母親の狂気を、そのまま受け継いでいる。
「あなたも、いずれ理解するでしょう」ひかりは微笑む。「神の愛を」
「理解なんてしない」
「そうですか」ひかりは肩をすくめる。「でも、神はあなたを見放しません。必ず、救ってくださいます」
「強制的に、ということ?」
ひかりの笑顔が、ほんの少し深くなった。
「神の愛に強制はありません。でも、時には厳しい導きが必要なこともあります」
私は背筋に寒気を感じた。ひかりの言葉は、照の言葉と同じ意味を含んでいた。
強制的に参加させる。
つまり、私を無理やり神さまごっこに引きずり込むつもりなのだ。
---
その日の放課後、私は父に電話をかけた。
「お父さん、ひかりが学校に来た」
「黒瀬ひかりが?」父の声が緊張する。「確実なのか?」
「本人が聖子の娘だって認めた」
電話の向こうで、父が深いため息をついた。
「沙羅、今すぐ学校から離れろ。そして、しばらく学校を休め」
「どうして?」
「ひかりは母親以上に危険だ。聖子は狂信者だったが、ひかりは計算高い」
父の声には、今まで聞いたことのない恐怖が込められていた。
「計算高いって?」
「聖子は衝動的に行動していた。でも、ひかりは違う。20年間、母親の復讐を計画してきたんだ」
「復讐?」
「聖子の事件を阻止した者たちへの復讐だ。そして、その一人が……」
父の声が途切れた。
「誰なの?」
「君の母親だ」
私の頭の中が真っ白になった。
母が、20年前の事件に関わっていた?
「詳しいことは家で話す。今すぐ帰ってこい」
電話が切れた。
私は携帯電話を握りしめたまま、しばらく動けなかった。
母が事件に関わっていた。そして、ひかりが復讐のために来た。
全てが繋がった。
私が狙われているのは、神さまごっこを目撃したからではない。母の娘だからだ。
私は立ち上がって、急いで学校から出ようとした。
でも、校門のところで止められた。
10人ほどの信者が、私の前に立ちはだかっていた。皆、十字架のペンダントをつけ、無表情で私を見つめている。
「如月沙羅」
信者の一人が私の名前を呼んだ。山田裕子だった。
「神がお呼びです」
「断る」
「断ることはできません」山田は首を振る。「神の意志ですから」
信者たちが私を囲む。逃げ道がない。
「神は慈悲深いお方です」山田は続ける。「あなたにも、救いの機会を与えてくださいます」
「救い?」
「信仰です。神を信じれば、あなたも幸せになれます」
私は周りを見回した。通りかかる生徒たちは、なぜか私たちに気づかない。まるで見えていないかのように、素通りしていく。
これは罠だ。計画的に仕組まれた罠だった。
「ひかりはどこ?」
「神殿でお待ちです」山田は微笑む。「さあ、参りましょう」
信者たちに囲まれて、私は礼拝堂に連れて行かれた。
抵抗しても無駄だった。彼らは私より人数が多いし、何より、完全に洗脳されている。理屈は通じない。
礼拝堂の扉が開かれる。
中には100人近い信者が集まっていた。もう学園の1割以上が参加している計算だ。
そして、祭壇の前にひかりが立っていた。
白いローブを身に纏い、金の十字架を首に下げ、まるで本物の女神のような威厳を放っている。
私が連れて来られると、信者たちが一斉に振り返った。100組の目が、私を見つめる。
敵意と好奇心が混じった、不気味な視線だった。
「如月沙羅」ひかりが私の名前を呼ぶ。「よく来ました」
「来たんじゃない。連れて来られたのよ」
「神の導きです」ひかりは微笑む。「あなたも、ついに神の愛を受け入れる時が来ました」
「受け入れない」
「そうですか」ひかりは少し悲しそうな表情を浮かべる。「では、神に裁きを求めましょう」
ひかりは天を仰いで、祈りの姿勢を取った。
「神よ、この迷える子羊をお導きください。彼女の心を開き、あなたの愛を受け入れられるようにしてください」
信者たちも一斉に祈り始める。100人の祈りの声が、礼拝堂に響く。
その時、私は気づいた。
祭壇の奥の扉が、少し開いている。
昨日は固く閉ざされていたのに、今日は隙間がある。そして、その隙間から微かな光が漏れている。
光の正体はわからないが、不気味な雰囲気を漂わせていた。
「神がお答えになりました」ひかりが祈りを終えて、私を見つめる。「あなたには、特別な試練が与えられます」
「試練?」
「明日、あなたは大きな決断を迫られるでしょう」ひかりは預言者のような口調で語る。「神を信じるか、それとも……」
「それとも?」
「罰を受けるか、です」
信者たちの間から、ざわめきが起こった。
私は寒気を感じた。ひかりは私に最後通牒を突きつけている。
神さまごっこに参加するか、それとも何らかの「罰」を受けるか。
選択の余地はないように思えた。
でも、私は負けない。
どんな脅しを受けても、神のふりをした化け物には屈服しない。
「考えておく」私は答えた。
「そうしてください」ひかりは満足そうに頷く。「神は忍耐強いお方ですが、永遠に待ってくださるわけではありません」
信者たちが道を開いて、私を解放した。
私は礼拝堂から出ると、急いで校門に向かった。
今度は誰にも止められることなく、学校から出ることができた。
でも、背中に視線を感じていた。
振り返ると、礼拝堂の窓からひかりが私を見つめていた。
彼女は手を振っていたが、その笑顔には何か恐ろしいものが隠されていた。
私は走った。
家に帰って、父から真実を聞かなければならない。
母の過去について。そして、ひかりの復讐について。
戦いは、これから本格的に始まるのだ。
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