第2話 変化を恐れることなかれ②

 憂鬱にも程がある。テストも、犬巻のことも。


 どうして、俺がこんな目に……。何をしたっていうんだ。


 ふと、犬巻の昨日のセリフを思い出す。


「ズルだろ!ズル」か。そんなに俺、臭ったかな。


 俺は自分の体を嗅いでみたが、無臭だった。


 ガラガラ、と大きく音を立てて教室のドアが開く。


 今日は、というかいつも、俺は学校に来るのが早い。


 特に理由はない。何をするでもなく、ただ時が経っていくのを待つのみ。


 まるで地蔵だが、この時間が割と好きだったりする。


 が、俺のそんな幸せ空間は、残念ながら今日崩壊した。


「よォ、越沼ァ。はえーな来んの。」


 俺の机に長い脚を乗せて、ニヤリとこちらを見て笑う犬巻。


 俺はまた逃げようと後退りするが、彼女は舌打ちし


「次逃げたら、マジで殺す。」


 その言葉だけで十分俺の心は死んでしまった。


 *


 結局犬巻と俺は、学校の北棟。もう使われていない後者の方に来ていた。


 その階段下。彼女は俺の首を、長い指で掴んでいた。


 俺、死ぬんだ?


「お前、あの事誰にも言ってねえよな?」


「ハイ、モチロン。」


 グッと力を強めて首が締まっていく。それとは裏腹に犬巻は悪役のような笑みを浮かべる。


「そんでよお。お前、どうすれば忘れるかなって考えてよお。」


 嫌な予感しかしない。


「脳みそ、ぶん殴りまくったら全部忘れるんじゃねーかって思ってサア!?ギャハハハハ!」


 ギャハハ、じゃないが。


 というか、まずい。本気で死ぬかもしれん!


「こ、交渉しよう。」


 虫の息のような声で俺は彼女になんとか伝えた。


「俺はあのことを絶対に言わない。」


「んな言葉で信じろってか?」


「それに加えて……俺の匂い、好きなだけ嗅がせてやる。」


 これは一種の賭けだ。もしも、この「犬巻は俺の匂いが好き」という仮定が間違っていたら、それこそ「YOU DIED」案件だが、逆にこれに賭ける以外に道はない。


 犬巻はぴた、と俺の首を徐々に絞める万力みたいな手を止めた。


 顔はよく見えない。これは、どっちだ……?


 俺は生唾を飲むと、さらに追い打ちを


「犬巻さん、俺の匂い好きだろ。」


 その瞬間、犬巻は手を離して俺は膝から崩れ落ちた。


「ごほっ、ごほ。図星か?ごほっ」


 さらに煽りまで乗せて、彼女に届けた。


 すると、彼女は体を震わせて、だんだん大きくなって…………。


 獣になった。


「……………………そうだ。そうだよ。アタシはてめえの匂いが………………その、なんつーか………………」


 随分溜めるな。


「……………………クソが!」


「!?」


 なんで罵倒された!?


 プルプルと毛むくじゃらの状態で震えながら俺の目を睨みつけている。


「………………なんで、お前なんかの匂いが………………。」


「失礼すぎない?」


 まずい、口に出た。


 もはや聞こえていないらしく、俺の言葉には気にしている様子もない。


「……………………………………好きだ…………」


 その少し甘酸っぱいようなセリフが誰もいない校舎に、ぽつりと響く。

 

 一見すれば、告白の瞬間だ。


 クラス1の美女ヤンキーが、クラス1目立たない陰キャに告白している。


 しかし、実際は、犬みたいな獣がただ匂いフェチなことを公言しているだけ。


 なんとまあ、夢も希望もない…………。


「……………………そう。」


 それで俺はなんて言えばいいんだよ。


「だから…………契約、してやる。」


 ついに折れた!


「よし、それじゃあ……」


「その前に、一つ条件を追加しろ。」


 どんな条件だろうか。まあ、そこまで理不尽じゃなきゃ……


「アタシが、呼んだら、どこでも来ること。」


「……え、それは無理………………と思ったけど、もちろん行きますとも、ええ。」


 本音が出た瞬間、巨大な肉球のついた手からウルヴァリンみたいな爪が出てきた。危ない危ない。


「それじゃあ、契約成立だ。」


 俺は立ち上がって彼女に握手の形を取る。


 少しの間の後、犬巻はモフモフの手を俺の手に重ねた。


「おう……………………そんでいきなりなんだがよお、…………その、嗅がせろ……!」


 許可もなく、いきなり飛びつかれ、すごく気まずい時間が流れていった。


 その間も犬巻は、悶えるように何かぶつぶつ言いながら俺のシャツをぐちゃぐちゃにしていた。


 ――――こうして、クラスの中で、交わることのない俺らの、奇妙で絶妙に犯罪チックな契約が結ばれた。

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