2-6
それから五分もせず駅に着いた。
近くに飲食店や娯楽施設がないため、この時間になると駅の周りは閑散としている。
電車の到着に合わせて、残業終わりのサラリーマンやOLがぞろぞろと出て来るくらいで、人通りはほとんどない。
「それじゃあ、あたしは妹を待つから」
伊東はそっけなく言い放つ。このまま解散でもいいのだが、伊東の方から別れの言葉を切り出そうとはしない。何か言いたげにこちらをチラチラと見てくる。
自惚かもしれないが、もうちょっと話さないかという合図なのではなかろうか。
「僕も待ってるよ。僕でも暇つぶしくらいにはなるんだろ?」
「今井がそうしたいなら、そうすればいいんじゃない」
拒絶はされなかった。どうやら勘違いではなかったらしい。
「じゃあそうさせてもらう。伊東の妹さんを見てみたいってのあるし」
他三人とは顔合わせをしたので、せっかくなら伊東家の全員と会ってみたい。そんな謎のコンプリート欲求が生まれていた。
「キモ。あたしが無理だからって妹を狙うとか」
「別に伊東のことも狙ってないから!」
あくまでリングを回収するのが目的だからな。
意外な一面を知ってしまって、僕の中で評価が変わった節はあるけど。
それに美人だし……関わってみると案外……いや、でも恋愛感情とかは一切ないぞ! 本当に!
「なんにせよ、紗希には絶対に手出しさせないから」
「人聞きの悪い。まぁいいや、それで妹さんからは相変わらず連絡はなしか?」
「ううん。ついさっき家族グループに連絡があって、二十二時には家に着くみたい。たぶん次の電車で降りてくると思う」
家族グループなんてものがあるのか。本当に仲が良いな、伊東家。
「なら、ひとまず安心か」
「そうだけど! 遅くなるならもっと早く連絡すればいいのに!」
「落ち着けって。晴子さんが言ってたみたいに同級生と遊ぶのに夢中だった、とかいうオチだろ。ほら、高校生って色々と遊ぶ場所があるじゃん……公園とかさ」
「そこで公園しか思いつかないあたり、今井に友達がいないことはよく分かった」
伊東は呆れた顔だった。うん、これについては反論のしようがない。現役の高校生なのに、今時の高校生が遊ぶ場所が分からなかった。
「とにかく! 今井に友達がいないのはどうでもよくて! 紗希って真面目な子だったから、いきなり『高校生だから~』って言われても、こっちとしては心配なのよ!」
「分かった分かった。それを本人に直接言えばいいだろ。にしてもどうでもいいって……」
友達がいないことは気にしていないが、こうもバッサリ切られると複雑だった。
「そ、そうね……。うん、ちょっと取り乱した」
「いいよ、別に。家族のことで本気になれるのは伊東の良いとこだろ」
今の僕には決して真似できない。
「――なんか、今井が一方的にあたしのこと知ってるのがムカつく!」
「なんでだよ、そこは素直に受け取れよ! 素直じゃないのが、伊東の悪いところだぞ!」
伊東が理不尽なことで怒り出す。
心からの賞賛に対して、こんな風に言われてしまったら世話がない。
「だからそれよ、それ! なんであたしばっかり今井にあれこれ知られてるのよ! 今井ももっと自分のこと喋りなさいよ! 好きなものとか!」
僕の好きなものを知ってなんの得があるんだ。
けど、言わないとそれはそれで不機嫌になりそうなので致し方あるまい。
「分かったよ……。えー好きなもの、好きなものね……やっぱ本とか?」
「それは隣に座ってれば嫌でも分かるから! というか、授業中に読書するのやめなさいよ! 先生たちの憎しみこもった視線がこっちに飛んでくるんだから!」
しまった、藪蛇だった。
「そ、それに関してはすまん。あと何だ、好きなもの……あー、そうだな。動物とか好きかも。動物は人間みたいに裏切らないからさ」
「闇深っ! でも、動物いいじゃん! 好きな動物は?」
「犬、かな。人間に従順だし」
「だから理由が闇深いって! え、ちなみに犬種で好みとかあるの? うちは団地だからペット禁止でさー。ずっと飼ってみたいなーとは思ってたんだけどねー」
僕の目がおかしくなければ、伊東はどこか楽しそうに見える。それに釣られてしまったのか分からないが、僕も普段と比べるとかなり饒舌になっていた。
同級生と他愛もない話で盛り上がる。認めたくはないけど、そんなに悪くない。気が付けば会話のラリーが何度も繰り返されていく。
お互いに普段喋る機会がほとんどないので、その反動があるのかもしれない。
「えーと、あとはそうね――――」
「え、なんで汐莉がいるの……?」
話すことに夢中で周囲が見えなくなっていたところ、一人の少女がこちらに向かって声を発した。僕と伊東はすぐさまそちらに顔を向ける。
そしてすぐに得心がいく。これは間違いなく伊東の妹だ、と。
姉ほど目つきは鋭くないが、整った顔のパーツには類似点がいくつもあった。
「紗希!」
妹の存在を認識すると、伊東は迷いなく側まで駆け寄っていく。僕はまだ会話の余韻を引きずっているというのに何たる瞬発力だ。
「もう! 遅くなるなら連絡入れなさいよ!」
「…………」
「ねぇ、聞いてるの!?」
「…………」
興奮気味の姉に対して、妹の方は居心地が悪そうに俯いている。そんな煮え切らない態度がますます姉をヒートアップさせた。
「なんとか言いなさいよ!」
「――うるさいなぁ!」
「さ、紗希……?」
姉の猛攻をただ黙って凌ぐつもりかと思いきや、予想に反して伊東妹は攻勢に出た。
「汐莉には関係ないでしょ! 高校生になったんだから、私の自由にさせてよ!」
「べ、別に遅くまで遊ぶなって言ってるわけじゃないでしょ!? 家族を心配させないように連絡をしてって話で……!」
「家族家族、うるさい! 家族だって所詮他人でしょ! 汐莉は家族を言い訳にして自分の人生に集中してないから、私の行動がいちいち目に付くんじゃないの!?」
「それは……」
数分前の伊東家の様相とは百八十度異なる。
もちろん、仲が良い家族だって喧嘩くらいするだろう。けど、これはダメだ。あの団欒を見た後だからこそ、この言葉がいかに鋭く、致命的になり得るかが分かってしまう。
何としても止めないと。僕はこんな風に家族が争うのを見たくない。
「二人とも落ち――」
――――お前に止める資格があるのか。
人間はいつだって孤独だ。他者と全く同じものを見ることはできない。
友人や恋人なんてもちろんのこと、血を分けた家族だって結局は他者だ。
それでも偽物の言葉、共感、感動で自分達は一人じゃないと誤魔化す。
そんなのは嘘っぱちだ。
これはお前の言葉だろう。それがお前のスタンスだろう。
だったら、伊東妹の言っていることにこそ同調すべきじゃないのか。
立派じゃないか、家族という仮初でしかない共同体を抜け出して自立しているんだ。
好きにさせたらいい。他者をコントロールできるというのが思い上がりだ。
「……っ!」
僕の自意識が口をつぐむように命じた。
ギリリと奥歯で歯ぎしりをして、二人の言い争いを静観する。
「というか、自分だってそこの彼氏と遅くまで遊んでたんでしょ?」
「か、関係ないでしょ! 今は!」
いや、彼氏じゃないし……という普段の返しが出てこない。それだけで妹の態度に困惑してしまっていることが窺える。
「もう私に構わないで!」
一方的に言葉を吐き捨てると、伊東妹はズカズカと自宅方面に向かって歩き出してしまう。
伊東は声を発することも、後を追うこともできず、その場で佇んでいた。
「い、伊東……」
「なんか、ごめんね。巻き込んじゃって」
伊東は寂しそうに笑う。その表情が痛々しくて直視できなかった。
「僕のことはいいだろ……それよりも……」
「ううん、大丈夫だから。それじゃ、今日はありがとね……っ! また来週……っ!」
走り去っていく伊東に言葉を掛けることが出来なかった。
何かを言葉にしたかったのに、伝えたかったのに。
だけど、こんな時にどんな言葉が相応しいのか、僕には分からなかった。
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