第26話 蓮花

月夜に照らされた中庭は、私にとってとても感動的だった。

夜に咲く黄色い花々が甘い香りを漂わせ、小さな池の周りには光を放つ蛍がちらちらと飛び交っている。私たちが歩く廊下は、部屋からこぼれる明かりに照らされ足元に不安はない。中庭を挟んだ向こう側の、当主がいる母屋はひときわ明るく、楽器の演奏が漏れ聞こえてくる。

私に与えられたのは、そんな中庭に面した一室だった。

蓮花さんが部屋の扉を開け、部屋の隅にある灯篭に火を点ける。もう一つ、小さな卓の上に置かれた灯篭にも火が灯された。明かりを二つの灯すなんて贅沢だわ。それにいい香りがする。

橙色の温かな光に照らされた部屋を見て、私は思わず声を漏らした。

「こ、これは…」

部屋は思っていたより豪華だった。床は磨き上げられ壁には美しい絵画が飾られている。中央には、天蓋の付いた寝台。その隣には、蓮花さんのための簡素な寝具が置かれた分、少し手狭な感はあるけど私には十分すぎる。

「若旦那様の客分なんだから、この部屋は当然よね」

そう言って蓮花さんは私の手を取って部屋に招き入れる。見上げると天井にも花の絵が描いてある。驚いてばかりの私を彼女はふかふかの寝台に腰かけさせる。

「私には、とても豪華すぎる部屋だわ」

素直な感想を言った。

しかし、この待遇に私はどうやって答えればいいのだろうとも思った。。

蓮花さんは卓でお茶の準備を始めた。

「もしかしたら若旦那様がいらっしゃるかもしれないでしょ」

一瞬、胸がドキリと鳴った。だが、私はそれがないことを知っている。

「え、でも、今晩はお戻りにならないって…」

この時間まで帰らないということは外泊だ、と蓮花さん自身が言っていたもの。

蓮花さんは私をちらりと見て、にやりと笑う。

「誰が今夜来るって言ったかしら」

「……」

「ツルペタのくせに、期待は一人前だね」

彼女はくすくすと笑った。

期待?少し違う感じなのだけど自分でもうまくいえない。

「そう言えば、昨晩は・・・」

昨晩の事は、私は何を考えていたのだろう。

義父様と若様と三人で山道をずっと歩いていた、でも・・・・・

急に蓮花さんは私に飛び掛かってきた。

勢いで私を寝台に押し倒す。右手で私を肩を寝台に押さえつける

蓮花さんは上から私の眼をじっと見た。

「言いなさい、妓楼にいたのよね、もう若旦那とやっちゃったか」

彼女は私の着物の裾を払うと、左手を私の太ももの付け根に入れて来る。

少しイラっときた。いきなり妓楼だよ、内心どんなに怖かったか。

「やってませんから」

私はその手首をギュッと握って裾から外に出した。

それでも手は離さない。

蓮花さんはたまらず私の肩から手をどけて、ごめんと謝った。

その言葉で私は彼女の手首を解放した。

身を起こしながら、私は醒めた眼で彼女を見ていた。

山の中で、樹の幹を握りつぶした記憶が蘇ってきた。

蓮花さんは怖い怖いと手首をさすりながら後ずさりして椅子に座った。

「ごめんよ、なんかツルペタに若旦那を取られたと思ったらさ」

半分茶化すような口調でこの場を和ませようとするのは分かるけど。

その言葉と彼女の行動が合わない気がした。

「諦めたって言ってませんでしたか?」

「言ったよ、ただ私のとどう違うのか・・・」

私は顔が真っ赤になって叫んだ。

「知らんわ!」

それが彼女の本音かどうかも分からない。

それでも分かった事が一つある、私と彼女では住む世界が違ったという事。

私は蓮花さんの事を何も知らない。

それでいいのかは、明日、若旦那に会ったら決まると思う。

ただ、一つはっきり言っておかないと思った事がある。

「とにかく、私は義父の指示でここに行儀見習いに来ただけなの」

「そうみたいね、一つ聞いていいかい?」

「変な事は聞かないでくださいよ」

どうせ変な事だと私は思ってる。

「その手の握る力、かなり鍛えていたの」

蓮花さんは手首を私に見せる。そこには紫色の私の指の痕がしっかり付いていた。

「ごめんなさい」

私は、知らないうちに力を込めていたらしい。

彼女がすぐに謝ってくれたから手首を折らずに済んだ。

そう思うと私の顔からすっと血の気が引いていく。

「疲れたから、寝ます、おやすみなさい」

蓮花さんに悟られないように、寝台の上の上がって天蓋を降ろした。

そして寝巻に着替えて、横になる。

寝心地がとてもいい。

少し考え事をするつもりだったけど、いつの間にか眠りに落ちていた。


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