第9話 脱出

沢の夜が更けていく。

なるべく音を立てないように焚火をくべる。

導師様は荷物袋を枕に横になっていびきをかいて眠っている。

若様は竹笠を取って座ったまま腕を組んで目を瞑っている。

炎で時折、明るくなる顔は凛々しくも妖しい。

眼の前にいる若様はいるけど、その前に埋められない大きな溝がある。

「虎は夜が得意ですから」

そう言い切って寝ずの番を私が買って出るのは当然の事。

これは私が父と弟を送る儀式だもの。

それと一人で考えたい事がある。

先ほどから気になる事が起こっていたけど二人には黙っていた。

話をしている途中から白虎が私から出て来ていたのよ。

二人は何も気が付かなかった。

私の身体からほわっと出てきた時は、驚きで声が出なかった。

最初は透けていて、もしかしてお酒のせい(実は一杯だけ)かと思ったのね。

導師様でも気が付けば、と導師様を見たら顔が真っ赤で出来上がっていたもの。

私には今、白虎がはっきり見える。

私の側にいて重ねた前脚に頭を乗せて目を閉じている。

私が命令した事は一切ないし、聞いてくれる気配もなさそう。

それでも、この白虎は私なのだと思う。

私の本性かもしれない、なら白虎が見える人が出てくるまで黙っていよう。

とりあえず考え事が一つ方が付いたのでほっとする。


荼毘にも焚火を足しながら手を合わせる。

燃え上がる火の粉それぞれが、弟であり父のような気分で送る。

<やめておこう>

考えがいい方に進まないのは分かっているから。

大きく伸びをして沢の川に顔を洗いに行く。

本当の事を言えば、少し眠い、いやかなりかな。

さすがに沢の水は冷たく、かなりシャキっとする。

これで当分眠くはならないわ。

少し離れた所に縄で縛って転がしてあるヨンは軽く胸が上下しているので生きている。

ヨンは明後日にでも都に運ばれるらしい。

他国の貴族と交流がある事で取り調べがあるそうだ。

一方、水辺の近くに倒れているポンは動かない。

ヨンの全力で投げた大きな石を腹に受けて呻いた後、そのまま。

かすかに白い息が少し上がるのが見えた。

<生きてる>

ホッとする気持ちが浮かび上がってそして沈む。

ヨンの投げた石がポンに当たるように仕向けたのは私だもの。

ヨンを挑発して隙を作りたかったから。

とてもしぶとくて二人の助けを借りてやっと倒せた。

それでもヨンは生きてる。

ポンはあの傷だから夜明けまで持たないだろう。

私はポンを許す気はない。

死をもって罪を償うのは私からしたら当然。

ならば苦しませず楽にしたほうがいいのではだろうか?

私は荼毘の炎に振り返る。

<健はどう思っているのだろう>

炎の中の薪が急に爆ぜた、薪に含まれる油分に火が付いたのだろう。

何かが砂の上の跳んで煙を出している。

それを覗き込むと小さなカケラ、骨だと分かる。

「どうした、何かあったか?」

若様が声を掛けてくれた。

「いいえ」

私は、素早くそれを拾って父の煙草入れに入れた。

胸元に入れると胸元が温かくなった。

<わからないよ>

私は静かに立ち上がって夜空を見上げる、また涙が出そうだもの。

「ちょっと待て、えっ」

私に声を掛けた若様が何かに驚いて声を詰まらせた。

若様の視線を追うとポンが、ポンがゆっくり立ち上がろうとしている。

「山の怪に魅入られたようじゃ」

寝ていたはずの導師様が座ってそれを見ている。

ポンの身体の周りを小さな光が舞っているのが見える。

ポンはようやく立ち上がり、ふらふらしながら川に入っていく。

何かに操られているよう見える、いや操られている。

だってポンの腹部から血が、そして内臓が川面にぼとぼとと零れていく。

私は顔を背けたけどそれを見てしまった。

吐き気がして手で口を押さえる。

グルッと白虎の唸りが聞こえたかと思うとずぼっと音がした。

慌ててポンを探してもいない、ただその付近に波紋が広がっているだけ。

そして黒いものが水面に浮かび上がってくる、間違いなく血だ。

私は驚きで声が出ない、それでもなんとか身構える。

川の中に何かがいる、でも蛇じゃない。

導師様がいつの間にか私の横まで来ている。

その片手にはヨンの鉞が握られている。

「産毛がピリピリするこの感じ、気を抜くな」

そう言いながら視線を川から外さない。

次の瞬間、水面に水しぶきの線が走った。

身構えたけど、それはこちらへではなく川上に伸びていく。

そして滝を登るポンの姿が一瞬見えたけど消えてしまった。

「今のは一体、なんですか?」

後ろまで来ていた若様が私と導師様に尋ねる。

私は首を横に振る。

導師様は言葉少なく答える。

「知らん、蛇か、いや分からん」

「それより、ここに居るのは危険ではないですか」

「そうじゃな、とりあえず沢を出た方が無難じゃろ」

それがいいと思う。

あんな怪物がこの沢にいたと思うとゾッとする。

思っただけじゃない、うなじの毛がチリチリした。

<何か来る!>

滝の上をじっと見る。

そんな私を見て、導師様達も滝を見ながら後ずさりし始める。

突然、地鳴りが聞こえてきた。

巣で眠っていた鳥がバサバサと木の葉を散らす音が森のあちこちでし始める。

悲鳴のような鋭い声を上げながら我先に夜空に飛び立っていくのが見えた。

それが空の半分近くを黒に埋める光景は悪い兆しでしかない。

轟音が沢全体を包む。ずしんと音で殴られているみたいな感覚になる。

「まずいぞ、逃げよう」

そうよね、それでも私は動かず滝を見上げていた。

それは急にやって来た。

多量の濁流が多量の岩、流木を巻き込んで滝の高さを遥かに超えてくる。

「崖の上に逃げろ!」

導師様が叫ぶ声が轟音でかき消される。

私は炎を上げている荼毘に振り向いた。

唇を噛んで、沢から逃げ出す二人を追った。

崖への坂道に足が掛かった時、初めて沢を振り返る。

大きな岩や樹々が濁流と供に穏やかな沢を蹂躙していくのが見えた。

「急げ!」

坂道の上から導師様の声でハッとして登り始める。

二人は少し前を登っている。

これを起こしたのは、きっとあの怪物だと思う。

勝てるわけがない、だから逃げないといけない。

それでも、もう一度振り返った。

焚火も荼毘も濁流に流されて何もない。

「さよなら、また来るから」

唇を噛んで私は二人の後を追って登り始めた。

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