第4話 罠

そんなある日の夕方、私は寺の掃除をしていた所に若い衆が駆け込んできた。

山上のヨンさんとよく一緒にいる男だわ。

山上のヨンさん、そう言えば昨夕、鹿肉の燻製を家に持ってきてくれた。

その肉を運んだのがこの若い衆だった。


ヨンさんが扉の前に立つと、鬼人と間違えるくらいの迫力がある。

明日は、彼の猪狩りに弟の健も連れて行ってくれるのは知っていた。

だから来た理由はそれかなと思ったけど、少し違った。

健が真っ先に飛び出してヨンさんに挨拶する。

ヨンさんは乱暴者だけど男の子はその力には憧れている者も多い。

弟もその一人。

ヨンさんは軽く頷くだけで唸るような声で私に言った。

「琥珀、お前も付いてこないか?」

その時、頭の上から下まで舐めるように見られた気がした。

思わず半歩下がってしまった。

少し顔が強張ったけどはっきり答える。

「行きませんよ」

「お前がいれば弟も意気が上がるだろ?」

私はそう言われて弟を見る。

弟は声には出さないけど明らかに来るなという顔をしている。

だから困った顔をして私は母に助けを求めた。

「娘は山へは行きません、息子だけお願いします」

母はきっぱり、そう答えてくれた。

ただもらった燻製は返さない、相変わらずの母だ。

「そうか、残念だ」

大きな身体で怖い顔の男は残念そうにあっさりと帰って行った。

その後ろを歩く若い衆が振り向いて私を睨んだのを覚えている。

それには母とほっとした記憶がある。


その若い衆が私を見つけて叫んだ。

「大変だ、健が猪と戦っている最中に沢に落ちた」

聞けば山道で猪の群れとヨンさん達は出くわしたという。

狩りの最中、健が猪にぶつかって山道から沢に落ちて見つからない。

だから日暮れまでに見つけたいので人手を呼びにきた、そんな事を言ってる。

<私のせいだ>

顔から血の気が引いた。

朝、狩りに行く健と交わした光景を思い出す。

健も何度目かの猪狩りだ。違うのは父が同行していない事だけ。

まあ、ヨンさんのほうが父より強いから問題ないと思ってた。

「大人の言う事をよく聞いてね」

「今日こそ俺も猪と狩ってくる」

そう私に言って家から駆けだして行った。

「期待せずに待ってるよ」

そう言って自信満々の健を家から送り出したのだ。


健が沢に落ちて行方不明だなんて・・・・・

父は朝から町に行っていないし帰りは明日と聞いている。

母に相談しても何ら解決にならない。

弟が功を焦ったのなら私のせいだ。

最近はあまり山には入っていないけど、そんな事を言ってられない。

家族で私しか動けないもの。

「私も山に入ります、案内してください」

そう言って私は男に続いて走り出していた。


畑を抜けて山道に入る。

弟は私が助けるという気持ちが私を逸らせる。

それでも山の懐かしい匂いが私を落ち着かせる。

この山での狩り場は知っている。

横に沢がある山道の心当たりは一か所しか知らない。

集落の仲間との猪狩りには参加していないけど山菜採りには父と弟と何度も来ている。

眺めがいい沢で何度か魚を獲った覚えがある。

<おかしい・・・・・>

胸騒ぎがずっとしている。

そう眺めのいい沢だもの。

ただ沢に落ちただけなら弟はすぐに見つかるはず、なのよ。

なぜ見つからない?川に流されたか、ならば下流に滝があったか?

大きなものは無かったはず。

<もしかして熊!>

一瞬、下草に足を取られそうになる。

汗が空に跳ねたけど足を止めずに山道を強く踏み込む。

山は命の区別をしない、気を付けないと。

男でも女でも猪でも熊でも蛇でも命を等しく扱うのだ。

弱みを見せればその命を他に分け与えてしまう。

自然と足取りが早くなってしまう。

知らないうちに若い衆を後方に置いていっているけど待てない。

だって秋の夕日はあっさり沈むもの、余裕があって無いようなもの。

私は藪の隙間に跳び込んで覚えのある獣道に足を踏み入れる。

細い道で足元が怪しいけど、そんな事は気を付ければいい。

<沢に落ちたなら>

どこで落ちたかは見当がついている。

あとは崖の上から見るほうがいいか沢に直接降りるか迷っていると山道に戻った。

かなり近道したはず、そして少し行くと眼下に沢が見える崖にでた。

そんな時、森の中から大きな足音がして男が出てきた。

眼光鋭く筋骨隆々で髪は頭頂で結わえた男、ヨンさんだとすぐに分かった。

片手に血の付いた鉞を持っている。

「お前だけか」

「はい」

ヨンさんの後ろから丸太にぶら下げた猪を運ぶ大人達が出てきた。

「弟は?」

その言葉を無視してヨンさんは猪を村に運べと指示する。

ヨンさんの態度に私は少し苛立つ。

彼らが落ち着いているということは弟はもう見つかったのか。

だから私をからかっているのか。

昨晩、私が狩りの同行を断った仕返しのつもりなのか。

猪を運ぶ大人の一人が、私を見て憐れむような顔をした。

「心配するな、俺一人で問題ない」

ヨンさんは沢へ降りる道を私に顎で示す。

粗暴な男だけど山の中だと頼もしく感じる。

取り巻きの若い衆は、その言葉でその場を離れて行った。

探すなら人手は多いほうがいいはずなのにと思う。

やはり見つかってはいるのだろう。

どう見てもヨンさんは自信たっぷりだし。

先に沢に降りて弟を見つけたい気持ちを抑える。

どうも騙されている気がするけど、弟が無事ならいいわ。

沢へと降りる道を黙々と二人で降りて行く。

「お前、思ったより貧弱だな」

私は聞こえていないフリをして後に続く。

道の途中で、沢の全体が見える所まできた。

上流には私の背丈位の滝があり、そこから絶え間なく水を吐き出している。

その水は浅い沢で横幅が広くなって下流へと流れて行く。

<!>

私の視線が水際の沢の砂地で止まった。

そう思った時にヨンさんも声を出した。

「あそこだ!」

分かっている。水辺の近くに誰かが倒れている。

「健!」

私は思わず大声で叫んだ。

沢に私の声がこだまする。

こんな簡単に見つかる事に疑念を感じる余裕も無かった。

それに弟が動いたように見えたから。

「まずい!熊がいるぞ」

ヨンさんの小さめの言葉にはっとして熊を探す。

出来れば熊とは会いたくない、猪とは比較にならない強さだもの。

辺りを見回したけど、私には熊が見つけられなかった。

だとすれば向こう岸の森の中だろう、なら距離がある。

<今なら弟を助けられるかもしれない>

足に力を入れる。

「待て!」

一気に沢に飛び降りようとした私の肩をヨンさんに摑まれる。

振りほどこうとした私の首に強烈な打撃を感じた。

何が起こったのかもわからず私は気を失った。

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