第32話

「おはようございます、シエトルト医務官」

「シエトルト医務官、今日もお美しいですね」


 フルーラが廊下を歩いていると、いつものようにすれ違う男達が声を掛けて来る。


「ふふ、ありがとう」


 いつもは鬱陶しく感じるムサい男達だが、今日は不思議と鬱陶しく感じない。

 それはきっとストレスの原因だったレイスティー・リアを完全に消すことができたからだろう。


 以前にレイスティーを追い出した日の朝よりも更に清々しく、心晴れやかな朝だ。


「これでコーネも心置きなく私のと将来に集中できるわね」


 紳士的なコーネリオはいくらフルーラが誘っても絶対に手を出しては来なかった。

 婚前交渉には否定的な古いタイプの男だというのは意外だったが、大切にされている気がして、それも良かった。


 結婚後に楽しみを取っておくってことよね。可愛い人。


 ふふっとフルーラは上機嫌に笑みを零す。


 医務課に着き、始業の準備をしていると室内がひんやりとしていることに気付く。


「ねぇ、何だか凄く寒くない?」

「おかしいわよね。外は晴れているのに」


 そう言って医務官の一人が窓の外を見上げる。

 そこには雲一つない青空が広がっていて、風もなく、地面には温かい日差しが降り注いでいた。


 晴れているのに、どうしてこんなに寒いのかしら?


 疑問に思っていると廊下が騒がしくなる。

 そしてバンっと大きな音と共に冷気を帯びた風が室内に吹き抜け、キラキラとした何かが宙を舞う。


「きゃあっ!」

「何が起こってるの⁉」


 あちこちから悲鳴が上がり、室内は騒然とした。


 室内に吹き込んだ冷気に触れ、壁や柱、机が凍りつく。

 まるで雪の結晶のようなものが肌に張り付き、その冷たさにフルーラは身震いした。


 騒然としている医務課の室内に誰かが足を踏み入れる。

 その人物を見止め、辺りは不気味なほど鎮まり返った。


 カツカツと凍り付いた床を歩きながらその人物は真っすぐにフルーラの元へとやって来た。


「フルーラ・シエトルト」


 その低い声音にフルーラは驚く。


 いつもの優しく穏やかな、心地の良い低さの声ではなく、まるで地獄の底から這い上がって来たかのような憤りに満ちた声だった。


「こ……コーネさ……ま? 一体、どうしたの?」


 フルーラは寒さでかじかむ手を擦りながら、震える声で訊ねる。


 あまりの寒さに手足はかじかみ、身体はガクガクと震える。

 立っているのがやっとだ。


「レイスティーはどこです?」

「え?」


 美しい青い瞳が冷ややかにフルーラを見下ろす。


 その射殺さんばかりの冷たい眼差しに、恐怖心が膨れ上がる。


「聞こえませんでしたか? レイスティーをどこへやったのかと聞いているんです」


 ぶわっと魔力の波がフルーラにぶつかる。

 氷のような魔力の波動を身体にぶつけられ、衝撃で衣服が凍り付いた。


「し……知らないわ」


 フルーラは震える身体を抱き締めて答える。

 するとヒュンっと風を切る音と共に冷たい物が喉に押し当てられた。


「惚けても無駄です。今朝、あなたとレイスティーが一緒に歩いていたと目撃した者がいます。殺されたくなければすぐに彼女の居場所を教えて下さい」


 自分に剣を突き付けたコーネリオの言葉にフルーラは唖然とした。

 自分に向けられたコーネリオの言葉があまりにも残虐であまりにも『本気』だったからだ。


 その様子を見ていた他の医務官から小さな悲鳴が上がるが、それすらも飲み込むほど室内はコーネリオに支配されていた。


「な……ど、どうしたの? いきなり、私にこんなことを……」


「質問にだけ答えてくれますか? 何のためにレイスティーと一緒にいたのか、彼女をどこにやったのか。知りたいのはそれだけです」


 コーネリオの気迫に押され、フルーラはおずおずと口を開く。


「そ……相談に乗っていたの……一度は辞めたのに呼び戻されて……でも何もできないから、帰りたいって泣いていたから。ほら、あの子って鼻はいいみたいだけど、他は全然だし……役に立たないこと、気にしてたから」


 フルーラは信じられない状況の中で何とか答えた。

 どうしてこんなことになっているのか、フルーラは全く理解できていなかった。


 何故、コーネリオは自分に殺気を向けているのか。


「それにあの子、あなたのこと好きだったでしょう? 私、レイスティーにずっと目の敵にされていたのよ。あなたには心配かけたくなくて言えなかったの」


 フルーラの言葉にコーネリオは不愉快そうに首を傾げる。


「何故、レイスティーがあなたなどを目の敵にするのです?」


「そっ、そんなの、私があなたの恋人だからよ!」


「その認識がそもそも間違っています。私はあなたの恋人になったつもりは微塵もありません」


 その言葉にフルーラは言葉を失う。


「ど……どいうこと?」


「それはこちらの台詞です。何故、あなたと恋人だの、婚約者だのとそんな噂が広がったのでしょう? 本当にいい迷惑でした」


 不愉快極まりないという表情でコーネリオは吐き捨てる。

 未だかつてないコーネリオの態度にフルーラは驚きを隠せない。


「だって、あなたはとびっきり私にだけ優しかったじゃない! 呼び方だって特別で、レイスティーに対してするみたいに意地悪を言ったりもしない……特別大切にしてくれたじゃない! それに、あなただって勘違いしてるレイスティーに迷惑していたんでしょう? そうでしょう?」


 自分と他者、レイスティーとは明確に差があった。

 特別という差別をされていたとフルーラは思っていた。


「勘違いしているようですが、私の特別はレイスティーだけです。それ以外の女性には平等に接してきました。あなたの呼び方を他の方とあえて変えたのはあなたを騎士団員とは認めていないからです」


「そ、そんなっ……!」


 信じられない、という表情でフルーラは愕然とした。

 突き放すような言葉にフルーラは膝から崩れ落ちそうになる。


「まだ答えを聞いていませんよ。レイスティーはどこです?」


 コーネリオが突き付ける剣先に殺気が込められた。


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