その翡翠き彷徨い【第27話 オルハ】

七海ポルカ

第1話



 サンゴールの女王アミアカルバはその日、朝からゆったりとした時間を過ごしていた。

 客人がお越しです、という報せが来たのは、穏やかな午後のことだ。

 アミアはすぐに長いドレスの裾をさばいて、立ち上がり隣の部屋に入る。

 するとそこにちゃんと言いつけてあった通り、女王の私室に直接、客人が通されていた。

 無論慣例ではそんなことは許されていない。リュティスが聞いたら、またさぞかし眉を顰めるに違いなかったのだが、今回は特別だった。

 そこにいたのはサンゴールの女王たるアミアが唯一、その黄金の王冠を外して接することの出来る――いや、接するべき大切な友なのであった。



「オルハ、久しぶりね……!」



 アミアはまるで子供のように喜びを顔に表わすと、隣国アリステアからやってきた古い友に駆け寄って、まずその身体を抱きしめた。

「アミア様、お会い出来て嬉しゅうございます」    

 出会った時から何も変わらない、オルハは優しい笑顔を見せて、アミアの身体を抱きとめる。

「心配したわよ、身体は大丈夫?」

 本当ならば、一昨日になるはずだった到着が今日まで伸びたのは、アミアからの航路がひどく荒れたからだった。

「はい、大丈夫です。けれど私何度もサンゴールには来ていますが あれほど海が荒れたのを見たのは初めてで驚きました」

 波が収まるまで海上で動けなかったのだという。

「エドアルトも心配するわね」

「すでに無事にサンゴールについたという報せは、アリステアに送っておきましたから大丈夫ですわ」

「ああ、座って頂戴! 【水紋すいもんの儀】は二日後だから、それまでゆっくり身体を休めるといいわ。悪かったわね、こんな時期に……」

「いいえ、久しぶりに【竜の大礼祭だいれいさい】を見れるなんて本当に嬉しいです」


 二日後、サンゴール王都では【水紋の儀】という祭礼が行われる。

 これは竜を国旗に戴くサンゴール王国が七年に一度行う【竜の大礼祭】という祝事の一貫である。

 一年に一度行われている大祭とはまた異なり、古い暦の上で一周期となる七年の区切りにだけ、行われる特別な行事だった。

 この【竜の大礼祭】の年だけはその礼祭の当日となる夏の新月の日以外に、年初めからそれに由来する数多くの行事や催しが行われ、半年の間王都サンゴールは連日のように賑わうのである。


 七年に一度のこの行事に、久しぶりにアミアは古い友であるオルハをサンゴールに呼び寄せた。

 彼女にはエドアルトという一人息子がいるが、彼は今年十歳になっていて、学校にも通い始めた為、少しずつオルハの手を離れつつあると手紙の遣り取りで聞いていたからだ。

 オルハとは会えなくとも頻繁に手紙の遣り取りをしているが、実際にこうして目の前に彼女を迎えるのは確か三年ぶりくらいにはなるだろう。


「本当に久しぶりね、オルハ……」


 笑みをたたえたまま、そう呟いたアミアの胸には様々な思いが去来していた。

 アミアがまだアリステアの王女であった時期からの、長い付き合いであるオルハには、そんなアミアの胸中は手に取るように察しがついたようで、彼女もまた頷いて隣に座ったアミアの手を握りしめてくれた。


 その温かい手の持ち主はオルハ・カティアといった。


 アリステアの王女であったアミアの、王立学校時代からの古い友人である。


◇   ◇   ◇


 オルハは早くに両親を流行病で亡くし、一人いた弟を近しい親戚が養子として引き取ってくれたので、彼女自身は修道院に身を寄せ少女時代を過ごしていた。


 身寄りの無い自分を引き取ってくれた修道院に深い感謝をしていたオルハは、そのまま神学を志しやがては神官となり、修道院に恩返しをして人助けの人生を歩みたいと願っていたのだが、後見人の無い彼女に国教神殿の門戸は固く、仕方なく王立学校で推薦を受ける形で神殿に入る為、身分的には肩身の狭い王立学校に入学したのである。


 成績優秀で品行方正なオルハが王立学校の大半を占める、身分だけは高い貴族の子弟などに快く迎えられたわけではなかったが、幼い頃から修道院で過ごしいかなる時も心に祈りと穏やかさを失わなくなっていたオルハは、あからさまな排撃を受けるような対象にもならなかった為、学校生活はいたって穏やかに過ぎていた。

 そういう彼女の静かな学校生活に、少女らしい寂しさが無いといえば嘘になる。

 友達と呼べるような存在はおらずいつもどこか心が孤独だった、と後々思い出してオルハは思う。

 だがその寂しさをぬぐい去ってくれたのが誰であろう、アミアという四歳年下の少女だったのである。


 アリステア王家は王女であろうと武芸を嗜む伝統だということは聞いていたが、アミアほどそれを皆の前で体現してみせた姫はいなかっただろう。

 アミアの姉である王女エヴァリスは戦場で【赤蜂あかばち】の異名を取るほどの武勇を誇ってはいたが、平時の彼女といえば争いごとは好まず、王家の慣例から外れても自ら進んで神学学校の方に入学したのは有名な話だ。


 アミアが学校に入ってから、王立学校の毎日はいつも彼女が中心だった。

 武芸は何をやらせても男子学生に退けを取らず、器用にこなしていたがとにかくじっと座っているというのが苦手な彼女は、誉められるのと同じくらい教師達の頭を抱えさせていた。

 広い学校の中庭で、何人もの教師に追い回されているアミアは、いつでも見ているだけで自然と学校の上階から応援の声を投げ掛けられるほど生徒達に人気があり、人を惹き付ける輝きに満ちていた。


(太陽みたい)


 オルハでさえその様子を静かな教室から見下ろしながら、最後には教師達に引きずられながら「放せ~!」と暴れ者のように校内に連れ戻されて行くその姿に、声を出して笑ってしまったほどだ。

 いつだって人の視線と心を捕らえ、明るく照らし出すアリステアの末の王女と、生まれた時から自分の運命を、ただ流れのままに受け入れることでしか生きて来なかった神官を志す少女。


 正反対な二人が何故とは本人達だって思うことだった。

 出会いは本当に些細なことだった。


 例によって学校を駆け回っていたアミアが、教師の手を逃れようと階下に飛び降りて来た所を丁度運悪く――良いとも言えるのかもしれないが――通りかかったのがオルハだったのである。


「あの時は本当に驚きましたわ。空から人が降って来たんですもの」


「覚えてるわ。その衝撃でオルハのお守りが私の方に紛れちゃったのよね」

「ふふ……でもすぐにアミア様が届けて下さいました」

「聞けばすぐに分かったのよ。ほらあそこオルハの他に信心深い学生なんかあんまりいなかったからさ」

「まあ……」

 二人は笑い合う。

 そのオルハが幼い頃から身につけていた十字架のお守りを返しに行った時、何かがあったわけではない。

 話しかけて互いの名前を言い交わしただけだった。

 だがその初めて話した瞬間からアミアはオルハのことが好きだった。

 オルハもまた自分には無い輝きを持ったアミアにどれだけ憧れ、大切に思っただろう。


 アミアに出会わなかったら、今の自分の人生は無いのだ。

 会う度に、二人は互いがまるで生まれた時から一緒に育った姉妹のように、仲良くなって行った。

 アミアには八歳年上のエヴァリスという姉がいて、強く面倒見が良いこの姉のことを、アミアはとても慕っていたが、生真面目な所があるエヴァリスは姉としての距離を妹に対して忘れたことは無い。

 自分の隣にいつでもいて共に笑い共に時を過ごしてくれるというのなら、アミアにとってそれは姉であるエヴァリスよりも、オルハが当てはまる存在だったのだ。


 アミアというこの四歳年下の少女にオルハはいつも振り回されていた。

 静かな人生を歩んで来たオルハはアミアの破天荒な言動に常に驚かされたものだが、彼女の引力に引きずられるように共に歩んでいるうち、最後にはその破天荒な結末を心から笑っている自分に気づく。


 それに――、アミアはただ破天荒なだけではなく愛情深い少女だともオルハは思っていた。

 

 彼女が学校を抜け出すのは、幼馴染みだという隣国サンゴールの第一王子に会いに行ってるからなのだと知った。

 王宮にいる時は人の目がありなかなか身動きが取れないから、学校に来た時にそこから抜け出してサンゴールによく行っているらしい。

 それでもそう何度も追手をまかれては、さすがに城の近衛や城下の警邏隊も学習するようで、アミアが捕まって王宮や城下の守備隊本部へと連れ戻されて行くこともあった。


 そういう場合、王が反省するようにと数日の軟禁をアミアに命じることもあって、オルハは心配になりよく城下の守備隊本部へ様子を見に行ったものだ。オルハに会いたいと言った所で、兵士は王の命令であるの一点張りで面会は認められなかったのだが。


「姫様、ちゃんと王にお話しなさって、サンゴールの殿下にお会いなさればよろしいのでは……」


 あまりにもアミアが軟禁される姿が可哀想で、オルハは一度そう尋ねたことがある。

 何も身分を忍んで行く理由がどこにあろうか。

 相手はサンゴールの第一王子なのだ。

 それにアリステアとサンゴールの関係も今は良好なのである。

 ……しかしアミアはその言葉にしっかりと首を振った。


「だめよオルハ。王家が面会を申し入れればそれは一つの国の行事になってしまう。グインエルは身体が弱いの。そんなことで引きずり出したくない。ただ私は……」


 アミアは真剣な顔で何かを考えるような仕草をしたが、すぐに頷いて呟いた。


「私は、私が会いたいと思った時に……隣の部屋の扉を開くように、グインに会いたいのよ。グインが私と話したいと思った時、誰も間に挟まないですぐにその声に応えてあげたいの」


 オルハにとってアミアの言葉は鮮烈だった。

 こんなに恥じることの無い眩しい言葉を、彼女は一度も異性に対して使ったことは無かった。

「姫様は……グインエル殿下が、お好き……なのですか?」

 ドキドキしながら尋ねると、アミアは振り返って躊躇いも無く笑い答えてくれた。



「好きよ。大好き。優しくて穏やかで――いつだって私を必要としてくれる」



 アミアの笑顔を見つめながらオルハは思ったのだ。

 アミアとグインエルが幸せになれるように、自分はその為にどんな力でも貸そうと。



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