第25話:夢喰いの檻、終焉の名
影の塊の中心から、別の“何か”が、ゆっくりと這い出してくる。
それは――人の姿だった。
正確には、かつて“人”だったもの。
皮膚はただれ、目は虚ろに空洞をたたえ、口元には不気味な笑みを浮かべている。その体全体を、黒い霧がまとわりつき、輪郭を不明瞭にしていた。
「これは……」
紗雪が言葉を詰まらせる。
真観の顔が険しくなる。
「“喰われた”者だ……やつに名を奪われ、存在を上書きされた者の成れの果て」
「まさか……」
「そう。やつはただ奪うだけではない。“成り代わり”の過程で、奪った相手の“抜け殻”をこの世に彷徨わせるのだ。無意識の人形としてな」
人影はよろめきながら紗雪たちへと近づいてくる。その顔にはかつての記憶の片鱗が残っていた。
「……先生……」
「お知り合いですか?」隼人が警戒する。
紗雪は小さくうなずいた。
「中学の時、担任だった先生……去年、失踪したって聞いた……」
影の中から、さらに別の“人影”がいくつも現れる。
どれも、どこかで見覚えのある顔だった。
紗雪の知人。最近ニュースで見た行方不明者。街で張り紙に写っていた失踪者。学園の行方不明者達
「これが、“名無し”の……」
「奪われた名の代償だ」真観が厳しい声で言う。「そして、見ておけ。これは“未来のお前たち”の姿でもある」
影たちは、虚ろな笑みを浮かべながら、手を伸ばしてくる。
名を奪い、記憶を喰らい、存在を塗り潰す――“名無し”の終着点。
「戯言を……!」
隼人が叫び、短刀を振るう。
だが、斬っても影は霧散し、すぐに形を戻す。
「く……!」
「形に囚われるな」真観が五鈷杵を掲げた。「我らが挑むべきは、姿ではなく、“名”だ」
紗雪の胸元の御守りが光を放つ。
その光は、名を記し、繋ぎ、守る力。
「紗雪さん」真観が言う。「今こそ、君の声が必要だ」
「私の……?」
「奪われた者たちの“名”を、呼び戻すのだ。君の記憶に刻まれた、本物の彼らの“名前”を」
紗雪は戸惑う。
だが、影の人々の顔を見たとき、胸の奥から、言葉がこぼれた。
「先生……大谷先生……」
その瞬間、一体の影が微かに揺れた。
「大谷……先生?」
影の目が、かすかに濡れたように光った。
「そう……あなたは、大谷先生……!」
光が、影の体を包み込み、次第に霧が晴れていく。
人間の輪郭が戻り、意識が宿った表情が、そこに浮かんだ。
「……さ……ゆき……?」
「先生!!」
紗雪が駆け寄ろうとした瞬間、再び影がうねり、残りの影たちが襲いかかってくる。
「止めさせはしない」真観が言う。「だが、時間は限られている。やつの本体も、こちらの行動を妨げようとしている」
「私が時間を稼ぎます!」隼人が前に出る。
「私も」真観が続く。「結界を維持する」
「紗雪さん、君は名を呼び続けなさい。それが、この怪異を打ち破る鍵だ」
紗雪は強くうなずいた。
影の中に、次々と“知っている顔”を見つけていく。
近所で顔見知りの少女。ニュースで見た変わった名字の青年。毎日見ていた電信柱に貼られていた行方不明の女性。
「……咲良ちゃん……智也さん……夏美さん……」
名前を呼ぶたびに、影は苦しみ、剥がれ落ち、元の人間へと戻っていく。
そして最後に、彼女は震える声で言った。
「……縷々……」
影の奥、再び“縷々”の顔が浮かび上がった。
だが、今度は完全な霧ではなく、彼女自身の意思を持つ、確かな存在だった。
「……紗雪……」
「縷々!」
紗雪が駆け寄ると、縷々は微笑みながらしっかりと手を握り返してきた。
「私、もう……離さない」
その瞬間、影の塊が大きく震えた。
「……やめろ……」
無数の声が重なる。
「名を……呼ぶな……名を刻むな……」
「呼ぶさ」隼人が短刀を構えた。
「刻むさ」真観が五鈷杵を掲げた。
そして、紗雪が最後に叫ぶ。
「私たちは、あなたに奪わせたりしない! これが、私たちの“名”だ!!」
光が爆発した。
影は悲鳴を上げながら霧散し、最後に残ったのは、無数の戻った人々と、ただの静寂だった。
「……終わったのか」
隼人が剣を下ろす。
真観が頷く。
「やつは、もう縛られた。名を持った瞬間、やつは“ただの存在”へと堕ちた」
紗雪は縷々と手を取り合い、静かに笑った。
だが、彼らは知っていた。
これが終わりではなく、始まりに過ぎないことを。
“名”と“存在”を巡る戦いは、まだ、続いていくのだ。
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