第10話
放課後。まだ外は雨が降っていた。俺は一人、ロッカー棟に向かっていた。さくらも木葉も今日は部活だ。陸上部は雨なのに体育館で基礎トレをするらしい。ロッカー棟で、教科書をロッカーになおした時、自分が傘を持っていないことに気がついた。
「あれ、教室に忘れたのかな」
一人そう呟き教室に戻ってみたが、傘は見つからなかった。悶々とどこに置き忘れたか考えてみたが思い出せない。どうしようと考えているうちに少しずつ日が暮れていく。雨雲に太陽は遮られ、もうずいぶんと暗い。降りしきる雨に取り残された俺が呆然と空を眺めていると、後ろから声をかけられた。
「どうかなさいましたか?」
そこには、霧島が立っていた。片手には鞄と傘を持っていた。ゆっくりとした動作で俺の方に近づいてくる。鞄についている桜の鈴がちりんときれいな音で鳴った。
「霧島は今帰りか?」
「はい、澤見さんは?」
「帰ろうと思ったんだけど傘がないんだ。どっかに置き忘れてきたらしい」
「それは大変ですね」
そういうと霧島は鞄を開けて中をごそごそと何かを探し始めた。
「どうしたんだ?」
「確か折りたたみの傘を持ってきていたのですが……教室に置いてきたみたいです。取ってきますから待っていてください」
霧島は俺の返事を待たずに校舎の中へと走っていった。取り残された俺はロッカー棟から中庭の方へと向かった。中庭に面した校舎の窓ガラスに霧島の走る姿が映っている。
その時、急な頭の痺れに襲われた。この感覚、この痺れが起こるのは……。
「出てくるのか……」
――もうわかってるんだろ?
声が響いた。その声の響きに合わせて頭が激しく痛みだす。
予想通り目の前が歪んで見える。激しい頭痛に耐えながら必死に前を見据える。空間の歪みとでも言おうか、その空間からやはりあの怪物が現れた。
怪物の口から白い息がこぼれる。真っ赤な瞳が俺の姿を見据えた。
重みのある足音が水がはじける音と共に中庭に響く。片腕を振り上げ、俺に向かって突っ込んでくる。
がくがくと震える足を何とか動かし、その攻撃から逃れるように横へと飛び出す。泥水のなかに体を滑り込ませ、ぎりぎりのところで怪物の攻撃をかわせた。
怪物はロッカー棟のガラス扉にぶつかり、砕けたガラスの欠片があたりを舞った。ゆっくりとした動作で俺の方に振り返った。その顔は笑っているように思えた。
「このっ!」
俺は手元にある、野球ボール大の石を掴むと怪物に向かって投げつけた。それと同時に怪物から離れるように走り出す。決して振り向かず、ただまっすぐに走った。後ろからは足音が響き、少しずつ近づいてくるのが分かる。
その時、頭上から声が聞こえた。
「澤見さん!」
俺の頭上に霧島が立っていた。渡り廊下の屋根の上。校舎に目をやると、窓がひとつだけ開かれていた。窓から屋根を伝ってきたのだろう。霧島は屋根から飛び降り、俺と怪物の間に割って入った。
怪物の標的が俺から霧島へと移り変わった。激しい咆哮と同時に鋭い爪が振り上げられた。俺は重大なことに気がついた。今の霧島はあの刀を持っていないのだ。
「霧島!」
霧島と怪物の爪が重なった。しかし、怪物の爪は霧島を通り抜け地面を削った。霧島は見たところ、特に外傷は見当たらない。攻撃を受け流したようだ。
「澤見さん!」
霧島は胸ポケットから鍵を取り出し、すばやく俺に投げ渡した。
「ロッカーの鍵です! 刀を取ってきてください! 素手ではこちらに勝ち目はありません!」
霧島は怪物のつぎの攻撃を最小限の動きでかわす。左腕からうっすらと血が滲んでいた。完全にかわせているわけではないらしい。
「わかった!」
「ホルダーの番号がロッカー番号です!」
俺はロッカー棟に入り、霧島のロッカーを探した。ホルダーの番号を見ながらそれと同じロッカーを追った。
「あった!」
ロッカーの鍵を開け、扉を開くと奥の方にあの刀の袋を見つけた。それを掴み、霧島のところへ急ぐ。ずっしりと刀の重さが腕から伝わってくる。早くしないと霧島の身が危ない。
中庭に出ると、中心で霧島が怪物の攻撃をかわしている。霧島の体のところどころに赤い血が滲んでいた。霧島は雨に濡れ、息を切らしている。刀のない不利に加え、降りしきる雨が霧島の体力を奪っているのだ。朝の占いが思い出される。
「澤見さん! 刀をこちらに投げて!」
言われて俺は刀を袋から取り出した。俺は力いっぱい刀を霧島に向かって投げた。
俺の投げた刀を霧島は空中で受け取り、着地と同時に刀を抜いた。霧島の目つきが変わった。
「――さぁ、はじめようか」
霧島がそう呟いた時、また頭が痺れた。そして、また声が響く。酷く澱んだ暗い声が。
――まだ終わらないよ。
霧島の背後にまたあの空間の歪みが現れた。そしてそこから怪物がもう一体現れた。
「霧島! 後ろ!」
挟み撃ちにされる。霧島は突進してくる目の前の怪物とぶつかった。怪物の攻撃を軽くかわして、怪物の腹に刀が突き刺した。背中から血のついた刀の突起が飛び出ている。怪物の吐血が霧島の体にかかる。一撃で心臓を貫いたのだろう。怪物の体から力が抜けていくのがわかった。
さらに背後から怪物が醜い声をあげて近づいてくる。刀は怪物に突き刺さったまま、迫るもう一体の怪物。
「霧島!」
霧島は後ろに振り返り、怪物を睨み付けた。漆黒の瞳が冷たく怪物の姿を捉えていた。
霧島は力を込め、刀を上に振り上げた。怪物に突き刺さった刀は腹から胸、喉もとを通って弧を描くように綺麗に舞った。
そして、背後の怪物に振り下ろされた。刀は怪物の首を捉えていた。ゆっくりと二体の怪物が霧島の傍に横たわった。
返り血を浴びぬよう少し離れ、霧島は消えゆく怪物を見つめていた。それは逝く怪物たちを送っているように俺には思えた。
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