第8話

「遅い」


 玄関を開けると木葉が仁王立ちしていた。


「た、ただいま」

「何であたしより先に帰った兄ちゃんが後から来るのかな? 晩御飯作って待ってやる方の身にもなってよね。それに――――」


 声がどんどん荒くなっていく。


「携帯に、連絡入れるようにって昨日言ったの忘れちゃったのかなぁ?」

「すまん」

「愚兄」

「すまん」

「妹泣かせ」

「それもすまん」


 しばらくの沈黙のあと、木葉はため息一つついて言った。


「はい。お叱り終了! ご飯あっためてあげるから、鞄置いてすぐ降りて来るんだよ」

「お、おう」


 木葉はにっこり笑うと、台所の方へと入っていった。俺も着替えてすぐに食卓についた。そのあとの木葉は終始、笑顔で機嫌がよかった。新しいクラスメイトの話や、今日入った美術部のこと、弁当作りが思っていたより大変だったこと。二人でそんな話をしながら夕食を終えた。


 木葉は料理が上手い。というのも、中学生の時から、仕事で忙しい母親に代わり、いろいろな家事をこなしているうちに、だんだんと料理が上手になっていった。本人も料理が好きになり、こうして両親がいなくても結構やっていけるようになったのだ。


 木葉は帰りの遅かった理由を聞こうとはしなかった。それだけ、俺のことを信頼していると思っていいだろう。それに聞かれたとしても、俺は絶対に本当のことを言えない。


 その夜はずっと、風呂に入る時も、部屋でくつろいでいる時も頭に浮かぶのは霧島のことばかりだった。あんな大怪我で、明日、学校に来れるのだろうか。ちゃんと家に帰りつけただろうか。やはり、無理矢理にでも家まで送ってやるべきだったのだろうか。

 そんなことを考えながら、ぼぅっと外を眺めていると、信じられないものが目に入った。俺は急いで、階下に降り、外に飛び出した。


「おい!」


 電柱に身を預けて佇んでいたのは、霧島だった。


「何でこんなところにいるんだよ! 帰ったんじゃなかったのかよ!」


 近づいてよくよく見てみると、彼女はまだ制服のままだった。肩のところは破れていて、血の痕が滲んでいる。


「まだ傷、診てもらってないのか?」


 彼女は黙ったまま、俺の目を見つめていた。漆黒の瞳からは何の感情も読み取れない。


「なあ、何でこんなところにいるんだよ。早く病院に行かないと……」

「あなたが狙われているからです」


 言い終わる前に彼女が俺の言葉を遮る。そして彼女はそのまま続けた。


「あの怪物はあなたを狙っています。闇に紛れ、あなたが一人になるのを狙っているのです。もし、あなたが一人で外に出て、あの怪物に襲われたらどうするのですか? 私にあなたの行動を制限する力はありません。だから、こうして見守ることしかできないのです」


 彼女は地面に目を落とし、ぎゅっと刀を握り締めた。彼女の肩の血はもう止まっているらしく、制服についた血は赤黒く変色していた。痛々しい姿に俺は早く彼女に傷の手当てを受けてもらいたかった。


「じゃあ、外に出なきゃいいのか? 外に出なければ、あの怪物は出てこないんだな?」


 彼女は視線を上げ、俺の質問に答えた。


「はい。あれは日が落ちてから夜明けにかけて、そしてあなたが一人の時に限り、現れます。ご自宅の中でなら安全です」。

「おまえ……朝までそこで、俺のこと見張るつもりだったのか?」

「はい」

「その怪我で?」

「はい。昨夜も今朝の五時頃まで、ここにいました」


 俺は額に手を当て考え込んでしまった。だから今日、遅刻していたのか…・・。ほんの数時間しか寝ていないのではないだろうか。家が遠ければもっと短くなる。何を考えてるんだろう。俺はそんな思いを振り払い、とにかく彼女に言った。


「じゃあ、約束する。俺はもう夜中に出歩かない。そうすれば夜中見張ることもないんだろ?」

「はい」

「じゃあ、今から救急車呼んでやるから、病院に行ってちゃんと治療を受けてくれ。な?」

「結構です」


 彼女はそう言って、鞄から、携帯電話を取り出し、電話し始めた。


「自宅に連絡して、迎えを呼びます」


 そう言って携帯に向かって、一言二言やり取りし携帯電話を鞄にしまいこんだ。


「お気遣いありがとうございます。それではくれぐれもお気をつけて……。おやすみなさい」

「あっ、お、おやすみ……」


 ぺこりと頭を下げ、彼女は暗闇の中へと走り去っていった。俺はしばらくその闇を見つめ、家の中へと入っていった。



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