02:クラッシュテスト【成層侵犯】
02:1 - 落下開始から十秒後にて
地球で言うところの、大陸ほぼ丸々一つ分。
その巨大な空白は火星全球探査が始まった当初から地図上に鎮座している。
期間にして数百年前から。
『痛っでぇぇえぇ! 足が、ぉはぁっ‼︎‼︎』
『おい、銃座! トリガーだけは意地でも触んなよ‼︎ 組の船撃ったら
『ひぃやぁぁぁぁあぁぁ‼︎‼︎ 落ちてるゥぅうぅ!』
『ガッっ、痛ぅぅ……ゴッホ、ぶへぁあっ⁉︎』
エリア・ニュクスへの墜落を開始して一〇秒程、広域信号の干渉によりエンジンが駆動を強制的に停止させられ、バッテリーに残された抜け殻のような電力だけでなんとか動く操縦席にて。
——高度約二〇〇〇〇メートルからだいたい一〇秒の落下、そして現在の火星の重力で二〇〇〇〇メートルの自由落下には一分強かそこら、誤差があるってことも考えると地面まであと約六〇秒弱。
俺の耳は通信の向こう側から聞こえてくる野太い悲鳴と壮絶な衝突音の濁流に見舞われている。言うまでもなくヤクザたちのものだ。なお、聞き取れたのが先ほどの四つだけだったりする。いくらヤクザといえど、さすがに高度二〇〇〇〇メートルからの墜落には叫ぶしかないらしい。こんなときでも部下に怒鳴る無礼男(仮)の気骨は評価したいとこだが、正直コイツ以外の人材には恵まれていないようだ。
ちなみにこのとき俺はというと、白染めした髪の先端が操縦席の低い天井にやっと触れた程度で済んでいる。何せブーツ裏には強力な電磁気バンパー、座席にはシートベルト、ベルトから伸びるワイヤーの先には手摺りに繋げられた落下防止用のカラビナ。ちょいダサいのは認めるが、要するに準備万端というヤツ。要するにこの“上空からの落下”という一見事故にしか見えない状況は最初から決まっていたワケだ。
何でも
「っと」
俺の声と、短い発射音七回。
何となく不憫だったので、俺は選別代わりに吸着アンカーを各ヤクザクラフトに打ち込む。これはもともと貨物船だったアリアドネ号に備え付けられていた貨物・クラフト牽引用強化鋼ワイヤー。全八本もあるので七機に一本ずつ使えばちょうどいいだろう。これで当のアリアドネ号が破壊されない限り、コイツらがバラバラになることはない。コイツらにそこまでして守りたい友情(や、もしかしたら愛情)の類があるのかは知らんが。……あぁ、一応補足しとくが、全方位・三次元的に動くことができるクラフトならこの数のアンカーがくっついているってのはごく普通のことだ。自動車とはいくらか違うわな。
俺は計器類の文字列に目を走らせ、素早くメインエンジンの残存エネルギー量を確認する。
総熱量:九四六EJ/g……マズいな、フル充填したハズだが思ったよりも消耗が早い。決して少なくはないエネルギー量だが、何せ状況によってはこのレースを完走できるかに直結しかねない数値だ。補給できるタイミングも無いだろう。値段の高騰なんて気にせず思い切ってエンジンコアを新調しておくべきだったろうか。
と、ここでビーッというブザーと共に貨物庫から船内無線が入る。馴れ馴れしく話しかけてきたのはよく通る若い女の声だ。
『ねぇ、今の無線ずっと聞いてたけどさ、アキってアウトローの扱い妙に慣れてない?』
「ンなワケあるか……って何か棘のある物言いだな」
『そりゃそーでしょ。一般人がキレてるアウトロー相手にあんだけ言えないっての、フツー』
「……ありゃ単に“時間だからどっか行け”って言おうとしてただけ……っと、そろそろ」
予定通り、エンジンが蘇った感触が足先にこまかな振動として伝ってくる。
——墜落開始から三〇秒経過、地面まであと約四〇秒程度。
周りのクラフトの中には待ってましたとばかりに真っ先に反重力ブースターを起動した船が一機凄まじい速度で浮き上がって(正確にいうと俺らが猛スピードで落ちている)いった。
微かな唸り声を上げ始めたエンジンからエネルギーを供給された金属製の重力安定板が青く発光して、ただでさえ青い太陽光をさらに青く煌めかせている。そして最初の一機の後に続けとばかりに、降下していたクラフトたちは互いを避けながら次々とブースターを作動させていく。
……あーそうか、“金属が発光する”ってのは地球暮らしだとイマイチ馴染みがないかも知れないが、火星ってか宇宙航空業界の界隈じゃ珍しいことでもない。今どきクラフトの浮力制御の主流が反重力ってのは知ってるよな? それを維持してるのがこの金属のカタマリ。『アイテリウム』って呼ばれてる火星産の希少金属だ。
先程の無線の主は仕事に戻ったのか、いつの間にか通信が切れていた。
もしかしたら、青色の朝陽である程度は目立たないとはいえ、アイテリウム特有の青い発光を見たくなかったのかも知れない、などと邪推してみる。以前エンジンの点検ついでに
「おい、聞こえるかヤクザ共‼︎ エンジン停止信号は解かれてるハズだ! とっとと再点火しないとお前ら全員死ぬぞ‼︎」
ブースターの発動キーを回す前に、一応はマイクの向こうへと警告しておく。今の通信はアリアドネ号のログに記録されるので、これで連中から難癖つけられても切り抜けられるだろう。多分としかいえないが念のためだ、が。
反応らしい反応が無い。いや、正確にいうとさっきと同じく無礼男(仮)の怒号とその他大勢の悲鳴しか聞こえてこない。
……さて、どうしようか。言うまでもなくここは
まぁ、義理も何も踏み倒す気満々だったのは認めるが、今はそんな“良心の呵責”なんてクソほどの役に立たないレースに参加しているのだ。それに、参加にあたっては『何が起きても法的解決手段に出ない』という前代未聞の契約書にもサインさせられている。
と、どこかからの赤い光。
一瞬遅れて安い打ち上げ花火みたいな音が響き、さらに遅れて右側から船体に衝撃が走った。
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