悪魔のシェアハウス

ユキマル02

学生編

第1話『おにぎりと絆創膏』☆




 ——目が覚めると、そこは真っ白な空間だった。


 眠っていた僕の肩を誰かが強く揺さぶる。

 目を開けると、そこにいたのは冬美だ。


「誠(まもる)くん!起きて!」


「……冬美?」


 でも、おかしい。

 目の前にいる冬美は『小学生の姿』をしていた。


「誠、俺たちのことわかるか?」


 その隣には孝志(たかし)もいる……孝志も小学生の姿をしていた。


 ――そして、僕自身も……手が小さくて、目線も低い、なんだか頼りなく感じてしまう。


 だけど、記憶があるんだ。

 

 僕も、冬美も、孝志も――


 頭の中には『十八歳だった頃』の記憶がはっきりと残っていた。


「冬美、孝志……僕たち昨日『卒業式』だったよね?」


「あ、あぁ…」


「高校の、最後の卒業式だったはずだよ」


「でも、なんで小学生に……?」


 顔を見合わせ、戸惑う僕たちの耳に「ガチャリ」と金属が揺れる音が響く。


 真っ白な空間で、その音は妙に大きく感じられた。


 三人が驚いて振り向くと――


 そこには『一つの扉』があった。


 静かに開かれたその扉から二人の人影が現れる。


 一人は、見覚えがある……むしろ、目が覚めてから「どうしていないのだろう?」と思っていた人物だった。


「い、五十嵐くん?」


 友達の五十嵐くんだ。


「あれれ?自分ら、もう起きたん?」


 もう一人は……知らない人だ。たぶん、会ったこともない……。


 五十嵐くんの隣に立つのは妙に整った顔立ちをして、どこかうさんくさい笑みを浮かべた男だった。


 置かれた状況もわからないまま、頭は酷く混乱していると、隣にいる冬美から「ヒッ」と小さな悲鳴が漏れる。

  

 

 ――実は僕も、五十嵐くんの姿を見た時から

 

 彼の『体の一部』から目が離せなかった。



 僕たちを気にした様子もなく、五十嵐くんが静かに口を開いた…



「みんなとずっと一緒にいるために『放課後の悪魔』と契約したんだ……」





 そう言って微笑む五十嵐くんには――







 


  『左腕』がなかった。













 ずっと一緒なんて今なら無理だってわかってる。

 でも、子供の頃はそんなこと考えもしなかった。


「俺たち、卒業してもずっと一緒だよな?」


 『放課後の悪魔』の儀式をやった帰り道、五十嵐くんはそう言った。


 電柱の街灯から離れた位置に立つ彼の表情は暗闇でよく見えないはずなのに酷く、苦しい表情をしていたのを覚えている。


「あの時と俺の答えは変わらねぇよ。俺は……お前らと離れない努力はするつもりだ」


  五十嵐くんの言葉に迷わず答えたのは孝志だ。


  この時の僕は、自分の中に正しい答えが見つからなくて五十嵐くんの言葉に答えることができなかったんだ。



 

 ――でも、今ならわかる。




 

「それじゃあっ…ダメなんだよ…っ!!」





 この時点で、彼はもう――『悪魔』と契約していたんだ。








◇◇◇






「母さんごめん、今日もご飯多めに炊いてもらってもいい?」


 その言葉で、さっきまでトントンと軽快に鳴っていた母さんの包丁の音が止まる。


「誠、またなの?」


「……うん、ごめん」


 母さん深い溜息と同時に呆れの混じった視線が突き刺さる。


 僕は目線を合わせられなくて、自然と視界は足元に落ちた。


 僕が無理を言って母さんに迷惑をかけているのはわかってるから、靴下に空いた穴は見ないふりをする。


  ( わがままなんて、言えない)


 靴下に穴が開いても「買って欲しい」なんて言わなくなった。


 靴下なんて靴を履いてしまえば見えないんだから。別に困らない、少なくとも“自分だけ”なら。


「い、忙しいなら僕が炊くよ!」


 沈黙に耐え切れなくて、僕は視線を下に向けたままそう言った。


 母さんがどんな目で僕を見ているのか、知るのが怖かったんだ。


「……好きにしなさい」


「!う、うん、ありがと!任せてよ!」


 許しの言葉にようやく顔を上げると、僕の目には夕飯の準備を再開した母さんの背中が見えた。


「……」


 ひとつ呼吸を整えて僕は米櫃に向かうと、五合分の米を炊飯器に移してパーカーの袖をまくった。


「つめたっ…」


 日が落ちたせいか、いつもより水道の水が冷たく感じる。


 「今日のおにぎりの具、何にしようかな?」


 冷蔵庫の中の食材を思い浮かべながら母さんの隣で米を研いだ。

 そして、炊飯器のボタンをそっと押した。


 米が炊けるまでゲームでもしてようと台所を離れかけたとき――


「……誠」


 僕に背を向けたまま、母さんが静かに口を開いた。


 包丁で野菜を刻む手は止めない、目線もまっすぐまな板の上だ。


「終わりの見えない慈悲行為はやめなさい」


「えっ?」


「アンタがあの2人を大事にする理由も、母さんわかってる。あの子たちが、優しい子だってのもちゃんと知ってる……」


「……」


「でも、こんなこと、いつまでも続けられると思ってるの?」


「……っ」



 母さんの言葉に僕の心臓がドクンと嫌な音を立てる。


 わかってる、母さんに言われなくても——僕が一番、わかってるんだ。



「母さんも本当はこんなこと言いたくないの……でもね、うちだってそこまで余裕があるわけじゃない」


「……うん」


 母さんの言葉に返す言葉が見つからない。


「お米の値段だってあがってるし、五合もお米炊いてたら……誠や姫香がお腹いっぱいご飯が食べられなくなっちゃう」


 母さんはまな板に包丁を置くと冷蔵庫の中から、ラップに包まれたおにぎりを出してきた。


 全部で10個……二人のために握られたものだろう。


 母さんは無言でビニール袋の中に詰めて僕に手渡した。


きっと、僕が言う前から準備してたんだ。


 

 ――もう、区切りをつけるつもりだったんだ。



「このおにぎりで『最後』にしてちょうだい」


「最後って……」


 母さんから差し出されたソレを僕は震える手で受け取った。


「今日の多めに炊いたご飯は明日、母さんがチャーハンでも作って食べるから」


 母さんはこれ以上会話を続ける気がないのだろう。


 おにぎりを渡し終えると僕に背中を向けた。



「夕飯までには帰ってきなさいよ」



 ――と言って再び軽快な音をまな板の上に響かせた。



「……今までありがと、母さん」



 僕の小さな声は、包丁の音にかき消されて母さんの耳には聞こえなかったかも知れない。





 でも、それでも言いたかった。






 ◇◇◇





「あ、姫香おかえり」


 出かける準備をして階段を下りて玄関に向かうと、ちょうど部活から帰ってきた妹の姫香とすれ違った。


 姫香は僕の二つ下で、小学生4年生だ。


 妹は僕と違って頭もよくて優秀で、塾の学力テストで1位を取ったご褒美にスマホを買ってもらっていた。


 僕は6年生になっても「まだ早い」と言われてスマホを持たせてもらっていない。


 妹は僕を興味なさげに横目でチラッと見るだけで何も言わない。 


 最近、彼氏ができたと言っていた。今打ってるメールの相手も彼氏か、友達だろう。


(家族なんだから「ただいま」の一言くらい言えよ)


「いってきます」


 玄関のドアノブを握りながら、少し大きめに声を出してみる。……当然のように返事なんて返ってこなかった。


 自宅から出るとあたりはもう薄暗かった。


「確か…『黄昏時(たそがれどき)』って言うんだっけ?」


 遠くの空が薄っすらなオレンジ色をしてる。


 僕はオレンジがかった静かな暗闇に向かって走り出した――。












  ――待ち合わせの時間は19時。



 僕の家と学校の中間にある小さな公園、そこが僕らの待ち合わせ場所だった。


 公園に着くと、公園のブランコにはいつもの二人が座っていた。


「ごめん!遅れた!」


 息を切らした僕の声に二人の会話がピタリと止まる。


 そして、肩で呼吸をする僕を見るなり二人は慌てて駆け寄ってきてくれた。


「誠、大丈夫か?そんなに慌ててどうしたんだよ?」


 ゆっくり呼吸しろ~と言って僕の背中を優しくさするのは、同じクラスで友達の孝志(たかし)だ。 


 地毛が少し茶色くて背も高い。


 怪我が多いせいで喧嘩してるだとか不良だとか、そんなふうに思われているけど、僕は孝志より優しい人を知らない。


「誠くん、お水のむ?」


 ボロボロの赤いランドセルから半分残ったペットボトルを差し出すのは、同じクラスで友達の冬美だ。


 長くて艶のある黒髪、整った二重。誰が見ても美人な女の子だ。

 

 この三人の中で一番芯が強い。


 周りの目なんて気にしないで人を助けられる強い女の子だ。



 ――僕は、この二人が大好きなんだ。



「ごめん、二人とも……もう、やめろって母さんが」


「えっ」


「……」


 少ない言葉で伝わったのか、おにぎりを食べ終えた冬美が少しべたついた手でうつむく僕の手をぎゅっと握ってくれた。


 彼女の可愛いピンク色のパーカーの袖には小さなほつれがいくつもあって、そこだけ彼女の家庭の事情が滲んでいる気がした。


「誠くん、謝らないで!誠くんには感謝しかないんだから!」


「そうだよ誠。むしろ今まで何も言わずに俺らに飯食わせてくれた誠と、誠の母さんには感謝しかねぇよ」


「孝志、冬美……」


 悲しいくらい僕が予想していたことを言う二人に、胸が苦しくなる。


「ごめんっ」


 泣きそうになってうつむいた時、冬美の足が目に入った。

 そこには、昨日までなかった新しい傷ができている。


(また、『アレ』を押し付けられたのか――)


  冬美の母親は夜のキャバクラで働いてる。


 そして冬美は――その客の誰かの子供らしい。


 子供なのに、なんでそんなこと知ってるんだろうって思った。


 そしたら冬美が、まるで当たり前のように「お母さんが言ってた」と言うものだから、僕は驚いてかける言葉が見つからなかった――。


 そんなこと、普通の母親なら自分の子供に話したりしないよ……。


 「お母さんはね、昔から飽きっぽい性格なの。だから、家に来る男の人も一週間もすれば、知らない人に変わってるんだ」


 ベンチに座って足をプラプラ揺らす彼女の足はいつも傷だらけだった。


 母親は男の趣味が最悪だ……冬美の体の傷を見ればわかる。


 母親の恋人になるのは、決まって素行の悪い若い男ばかり。


 そして、そいつ等は母親がいないとき美人な冬美に日常的に『暴力』を繰り返している。


(小さくて、力のない女の子に手を上げる奴なんて最低だ……)


 母親は朝帰りが多い。冬美がいつもお腹が減っているのは母親のせいだった。


 彼女は学校の給食以外、まともにご飯を食べていない。


「その足の傷……またアイツに?」


 なるべく傷を直視しないように目線を地面に向けながら聞いた。冬美の触れたくないとこだってわかっているけど、彼女に一人じゃないって思って欲しいから傷の確認も含めて聞くようにしている。


「っう、うん。今日、帰ったらお母さんいなくて……アイツがタバコで」


「大丈夫。それ以上言わなくていいよ」


「……うん」


「俺たちの前では無理すんな。辛くなったら泣け。ため込んでも、イイことなんてねぇから」


「うん、ありがと二人とも」


「じゃ、いつもの治療だね!おにぎりは渡せなくなったけど、二人の怪我だけは絶対に直すから」


 意気揚々と背負っていたリュックを下ろすと、孝志が呆れたようにため息を吐いた。


「誠~お前もだよ。俺なんかのために無理すんな。」


「え?無理なんてしてないよ」


 おにぎりも、怪我の治療も、僕が勝手にやってることだ。


「ははっ、ありがとな。確かに毎日、暴力振るわれてっし。飯もまぁ…食わせてもらえねぇけど」


 孝志が首の後ろをかきながら軽く笑うと、すぐに笑顔を引っ込めて僕に真剣な眼差しを向ける。


「俺らのせいで、誠が大切にしてる家族から嫌われんのは……それだけは、俺が嫌なんだ」


「……孝志」


 孝志の家は父子家庭だ。彼のお父さんは外では『ちゃんとした人』を演じている。



 ――でも



(孝志、口元のところ……『また』怪我してる)



 酒を飲むと『人格』が変わる。


「孝志の朝ごはんって、今日もパンだけ?」


「ん?そうだけど……ってなんつー顔してんだよ。俺の飯のことなんて今更だろ?」


「今更なんかじゃないよ。今更、なんて言うなよ……っ」


「誠?お前、どうしたんだよ。大丈夫か?」


 うつむいて、言葉も出せなくなった僕の頭を孝志が優しく撫でる。……孝志は僕より背が高いのに、腕も足も細かった。


(栄養が足りない証拠だ。こんな腕じゃあ、抵抗なんてできない)


 二人の家庭と比べたら、毎日当たり前にご飯が食べれる僕は裕福ではないにしろ、きっと幸せなのだろう。



 ——いや、違う。


 僕が「幸せ」だと思えるようになったのは、二人と出会ったからだ。


二人がいてくれたから…僕は、笑えるようになった。


 僕は下ろしたリュックサックの中から袋を取り出すと、中からマキロン、ばんそうこう、冷えピタ、ワセリンを取り出した。


 それから、出かけるときにパーカーのポケットにねじ込んできたクシャクシャのメモ用紙を広げる。


「妹がさ、最近スマホを買ってもらったんだ」


「えっ、すごい!スマホいいな~」


「でもアイツ、スマホ持ったばっかりだから家に置き忘れて遊びに行くのがしょっちゅうで、だから…そのすきに、こっそり調べたんだ」


「調べたって……」


「……打撲とか、切り傷に効く薬」


「!……誠くん」



「僕、なにが二人の傷に効くのとかわかんなくて、いつも二人に絆創膏しか貼ってあげられなくて――」





 冬美、孝志――ごめん。




 視界に映るメモ用紙がぐにゃりと歪んでいく。




「っ絆創膏なんて、意味なかったんだ……」



 妹のスマホで調べた時に出てきた薬の数に驚いた。


 ワセリンなんて初めて聞いた。 冷えピタなんて風邪の時にしか使わないって思っていた。


 傷は、消毒してから冷やすと腫れが引くらしい……いつも、絆創膏貼っても腫れが引かないのは……



 当たり前だったんだ――。



「……っ絆創膏なんて、なんの意味も、なかったんだ」



 もっと早く、調べてたら……



「冬美の腕に傷が残ることも、孝志の額に……傷が残ることも、なかったっ」


「……誠」


 新品の消毒液の箱が上手く開けられない。視界が歪んで、爪が上手く引っかからない。


「お前って相変わらず優しい泣き虫だな。ほらほら、泣くなって!ったく、世話の焼けるやつだな~」


 孝志は笑ってパーカーの袖を伸ばすと、その袖の部分で僕の涙を拭きとってくれた。


「誠くん貸して、私が開けてあげる!」


 冬美が元気よく僕の手から絆創膏の箱を奪い取った。


「じゃあ俺も誠に甘えて、冷えピタ使わせてもらおうかな」


「え?孝志、他にも怪我してるの?」


「昨日父さんに背中、酒瓶で殴られてさ、すげぇ痛ぇの」


「え!?それ本当!?背中早く見せて!僕が貼るから」


「いや、冬美もいるし、家で貼るよ」


「私のことは気にしなくていいよ」


「いやいや、だからな。女の子の前で脱ぐのはちょっと……」


「腫れは早く冷やさないとダメだって、サイトに書いてたよ!」


「えっ!孝志くん早く脱ぎなよ!腫れちゃうから!」


「だ か ら!お前らっ、話聞いてたぁ!?冬美も服脱がそうとしてんじゃねーよ!」




「お前ら、こんなとこで何やってんの?」



「!」


 突然、背後から声がして僕たちはいっせいに振り返った。


 ――日が沈みかけた公園。


 薄暗くなった空の下で、彼の真っ黒でさらさらした髪が街灯に照らされて、淡く輝いていた。


 黒い上下のパーカー、右手に小さなビニール袋をひっかけて気怠そうな表情を僕たちに向けている。


 左手をポケットに突っ込んでいるのは、もはや彼の特徴と言ってもいいだろう。


 マスクの隙間から覗く切れ長の目を向けるのは、最近僕たちの学校に転校してきたばかりの——



「五十嵐くん……?」




 


 五十嵐 優介くんだ。






【追記】


星のマークがついてるものは【改稿した話】です。


【☆=改稿済み】


会話テンポや描写を中心に読みやすく調整しました。


物語の流れは変えていません。

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