第3話 狩りの開始



雪村麗子として働き始めて二週間。柚葉の新しい人生は順調すぎるほど順調だった。


フェニックス・ストラテジーでの評価は高く、既に二つの小さなプロジェクトを成功させていた。同僚たちも彼女の専門性と洞察力を認めていた。


だが、柚葉の真の目的は別のところにあった。


「佐藤美咲」として、健吾の投資グループへの潜入を開始していた。健吾は若い女性からの注目に弱い。その弱点を徹底的に利用するつもりだった。


今日も「美咲」として健吾にメッセージを送る。


『健吾さん、おはようございます。昨日の投資アドバイス、とても勉強になりました』


健吾からの返信は早かった。


『美咲ちゃん、おはよう。分からないことがあったら何でも聞いて』


『ありがとうございます。健吾さんって本当に頼りになります』


健吾は完全に「美咲」に夢中になっていた。投資グループでも彼女を特別扱いし、他のメンバーが嫉妬するほどだった。


一方、「M.K」として沙羅の監視も続けていた。


沙羅の最新投稿を確認すると、また高級品の写真がアップされていた。エルメスのバッグ、シャネルの財布。明らかに健吾からお金をもらっている。


しかし、沙羅の勤務先「テクノソリューション」について調べていると、興味深い情報を発見した。


この会社、最近パワハラ問題で炎上していたのだ。元従業員による内部告発で、管理職による暴言や不適切な労働環境が表面化していた。


「使えるわね」


柚葉は詳しく調べた。会社のホームページ、経営陣の情報、組織図。そして、沙羅の所属するマーケティング部の詳細も把握した。


その時、山田社長から声をかけられた。


「雪村さん、新しい案件です」


「はい」


「IT企業の危機管理案件。パワハラ問題で評判が悪化している会社のイメージ回復です」


柚葉の心臓が高鳴った。「どちらの企業でしょうか?」


「テクノソリューションという会社です」


完璧なタイミングだった。まるで運命が味方しているかのようだった。


「ぜひ担当させてください」


「期待しています。来週クライアントとの打ち合わせです」


その日の夜、柚葉は詳細な作戦を練った。


テクノソリューションの危機管理を引き受けながら、内部から沙羅の情報を収集する。そして、適切なタイミングで沙羅を失脚させる。


同時に、健吾への心理的圧迫も継続する。「美咲」として彼を翻弄し、徐々に投資で大きなリスクを取るよう誘導していく。


一週間後、テクノソリューションの会議室。


「雪村と申します。この度はお世話になります」


クライアントは取締役の中村だった。五十代の疲れ切った男性で、明らかに問題の深刻さに悩んでいた。


「パワハラ問題で会社の評判が地に落ちています。特にSNSでの炎上が止まりません」


「拝見させていただきました」柚葉は資料を開いた。「確かに深刻な状況ですが、適切な対応で改善は可能です」


「本当でしょうか?」


「はい。ただし、根本的な解決が必要です。問題の原因となっている要素を特定し、排除することから始めましょう」


中村の目が輝いた。「具体的には?」


「社内調査を実施します。パワハラに関与した人物、それから会社の評判を損なう行為をしている社員を洗い出します」


「どのような行為でしょうか?」


柚葉は資料を取り出した。「SNSでの不適切な投稿、勤務時間中の私的活動、経費の不正使用、社内不倫など。現代では簡単に証拠が残ります」


「そこまで分かるのですか?」


「デジタル時代ですから。SNSの投稿履歴、位置情報データ、クレジットカードの使用記録。調べればいくらでも出てきます」


中村は身を乗り出した。「すぐにお願いします」


「一週間お時間をください。詳細な報告書を提出いたします」


その夜、柚葉は沙羅のSNS活動を徹底的に分析した。


まず投稿時間。平日の午後二時から四時にかけての投稿が異常に多い。明らかに勤務時間中にSNSを使用している。


次に位置情報。GPS機能をオンにしているため、投稿場所が特定できる。高級レストラン、デパート、ホテルラウンジ。とても一人で行くような場所ではない。


そして決定的な証拠を発見した。


三日前の投稿で、沙羅が会社の経費カードで購入したと思われる商品をSNSにアップしていた。


『会社の備品購入で銀座へ。ついでにランチも❤️』


写真には高級レストランでの食事が写っている。備品購入の領収書として、レストランの代金を計上したのだろう。明らかな経費の不正使用だった。


「墓穴を掘ったわね」


さらに調査を進めると、沙羅の勤務態度についても問題があることが判明した。同僚のSNSに、沙羅の遅刻や早退を揶揄するような投稿があった。


そして極めつけは、健吾との不倫関係の証拠だった。


柚葉は探偵事務所に依頼して、二人の密会現場を撮影させていた。ホテルから出てくる写真、手をつないで歩く写真。決定的な証拠が揃った。


一週間後、中村に報告書を提出した。


「これは……」中村の顔が青ざめた。


「沙羅という社員について調査しました。勤務時間中のSNS使用、経費の不正使用、そして既婚男性との不適切な関係」


柚葉は証拠写真を見せた。健吾と沙羅がホテルから出てくる瞬間を捉えたものだった。


「この男性、実は既婚者です。家庭を壊してまで不倫を続けている。道徳的に大きな問題があります」


「すぐに対処します」中村は震え声で言った。


「それから、ご提案があります」


「何でしょうか?」


「この件を適切に処理すれば、御社のイメージアップに繋がります。『問題社員を厳正に処分し、コンプライアンスを強化した』という前向きなメッセージとして発信できます」


中村の目が輝いた。「素晴らしいアイデアです」


「私の方でプレスリリースの作成と、適切なメディアへの情報提供も手配いたします」


翌週、沙羅は懲戒解雇された。


解雇理由は勤務時間中の私的SNS使用、経費の不正使用、社内風紀の乱れ。会社は「コンプライアンス強化の一環として、不適切な行為を行った社員を厳正に処分した」と発表した。


解雇のニュースは業界紙にも掲載された。柚葉が意図的にリークしたのだ。


『テクノソリューション、パワハラ問題の責任を明確化。問題社員を懲戒解雇』


記事には沙羅の名前こそ出ていないが、業界関係者なら誰の話か容易に推測できる内容だった。


沙羅の社会的信用は完全に失墜した。同業他社への転職も困難になるだろう。


そして、健吾にとっても大きな打撃となった。沙羅を養う経済的負担が一気に増える一方で、彼女の機嫌は最悪になった。


柚葉は「M.K」として、沙羅の最新投稿にコメントした。


『大変でしたね。でも、きっと新しいスタートを切れますよ』


沙羅からの返信は荒れていた。


『最悪です。人生終わりました』


『そんなことありません。素敵な彼氏さんがいらっしゃるじゃないですか』


『彼氏?もう関係ないです。あの人、私がクビになったら急に冷たくなって』


柚葉は画面を見つめて微笑んだ。健吾は沙羅が利用価値を失った途端、手のひらを返したのだ。


一方、「佐藤美咲」としての準備も整えていた。


健吾の投資グループでの活動を続け、徐々に彼の信頼を獲得していた。今夜こそ、直接会う約束を取り付ける予定だった。


『健吾さん、いつもお世話になっています。今度、直接お話を聞かせていただけませんか?』


健吾からの返信は予想通りだった。


『美咲ちゃん、もちろんだよ。今度の金曜日はどう?』


『ありがとうございます。楽しみにしています』


罠の設置は完了した。


その夜、柚葉は雪村麗子として残業していた。テクノソリューションの案件は大成功で、会社からの評価も上がっていた。


「麗子さん、お疲れさまです」


同僚の田村が声をかけてきた。


「お疲れさまです」


「今回の案件、素晴らしい成果でしたね。クライアントからも高評価でした」


「ありがとうございます」


「次の案件も楽しみです。麗子さんの手腕には本当に感心します」


柚葉は微笑んだ。雪村麗子としての成功は、一条柚葉としての復讐を支える重要な基盤だった。


帰宅途中、柚葉は健吾の現状を確認した。


沙羅の解雇により、二人の関係は急速に悪化していた。健吾は沙羅の生活費を負担する余裕がなく、沙羅は健吾への不満を募らせていた。


完璧な状況だった。


明日から第二段階が始まる。健吾を「美咲」の罠にかけ、完全に破滅させる段階だ。


柚葉は自宅のマンションで、明日の準備を始めた。「美咲」として健吾に会うための変装、そして彼を投資詐欺に誘い込むための資料。


全ては計画通りに進んでいる。


沙羅は第一の標的として完璧に排除した。次は健吾の番だ。


「一つ目のピースが落ちたわね」


柚葉は鏡を見つめた。そこには復讐の女神が微笑んでいた。


地獄の扉は既に開かれている。あとは、二人目の犠牲者を迎え入れるだけだった。

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