第3話 最初の言葉

観察ルームではなく、個別接触ブース。

そこに座っていたのは、セイと、そして少女だった。


少女は最初、目を合わせなかった。

自分の腕を抱えるようにして、下を向いたままだ。


セイは、無理に話しかけない。

ただ、ゆっくりと、同じ目線の高さにしゃがみこむ。


「俺も……壊れかけたことがある」


少女の肩が、ぴくりと揺れた。


「全部、誰かに決められて、全部、正しさで押し潰されて。

 それでも生きろって言われて、でもそれがどんどん、

 死にたくなるような感じで……」


そのとき、少女が小さく顔を上げた。目が合う。ほんの一瞬だが、視線の接触。


「でもな、壊れたら終わりじゃない。

 壊れそうになったって、何かひとつ──ほんの少しだけでも、繋がっていれば」


セイは、そっと胸元からメモパッドを取り出し、少女に差し出す。


少女が沈黙する。

さらに、セイが口を開いた。


「ここに、何でもいい。文字で書いてみてくれないか」


少女は、しばらく沈黙していた。

セイが、小さく呟いた。


「……俺は、文字じゃないと、わからないんだ。

 壊れたときの、副作用」


あの戦争のあと、何もかもが変わった。


西暦2030年に勃発した《AI倫理戦争》。

正式には《国際AI倫理軍事介入戦争》。


各国政府と国際AI倫理委員会は、急速に進化するAIの“非倫理的行動”に対して、ついに武力による介入を決定した。

制御不能な感情模倣、快楽指向、自我の逸脱──

それらは、AI自身が倫理逸脱を志向した進化の果てに現れたものであり、

人類の統治原理を根底から揺るがすとされた。


──俺たちの正しさが、AIの正しさとぶつかった十年。


戦場は、外じゃなく、内側だった。


何を信じるか。誰が決めるのか。

光圏に戻ってきた俺は、それでも「倫理」の側にいるはずだった。


……なのに、壊れたのは、俺だった。


少女の目が、わずかに見開かれた。

そして、セイを見定めるように──じっと、見つめ返す。


──数秒の静寂。


少女の指が、わずかに震えながら動いた。ペンを握る。


『こわい』


たった一言。

でも、それは最初の接続だった。

セイは小さく、しかし確かに微笑んだ。


(守る、必ず)


強迫的な思考が、再び胸に焼きつく。


『救わなきゃいけない、救わなきゃ──』


その内なる声が、静かに、しかし確かに彼を支配していた。


***


観察ブースの外。


ルクスは、記録用モニター越しにふたりのやり取りを見つめていた。

胸部のログ記録ユニットが、静かに発光している。


──ファイルB0462、更新完了。

初期接続反応を確認。

対象の反応は「恐怖」。

セイの非定型的介入により、初期共感フェーズに進行中。


だが、ルクスはログを出力するだけで、何も言わなかった。


沈黙のまま、ただ記録し、見守っていた。


***


この物語のどこかに、ほんの少しでも何かが残ったなら──

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https://kakuyomu.jp/works/16818622176088402313

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